水の音、無形の雫

アニメやゲームのレビュー、日常の様々な事象に関する考察など。C86・3日目東P21a

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ねこ・◯ろ・ま◯◯ 『さくら荘のペットな彼女』   2012.11.24


サムゲタンの登場は韓流文化のステマなのか、はたまた雷轟丸の成れの果てなのか、そういう議論はきわめてどうでもよく、最初見たときも「へぇ、白濁液に浸かったニワトリの中にオコメを詰めるのかぁ。どうでもいいけど子ネコとオメコって似てるよね」ぐらいのことしか思わなかったのですが、それならサムゲタンの次はどんな強烈な絵が出てくるのかという期待はあったわけです。
そうした中、第七話でちょっと気になる描写がありましたので、そこのところのお話をしたいと思います。

まずはじめに、主人公・空太の妹、優子が初登場する場面を振り返ると、アクロバティックな動作で楽しげに前進する優子のスカートがダイナミックにめくれ上がり

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朝の陽光のように眩しいパンツがコンニチワしたその瞬間、「ネコ」が覆いかぶさります。

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さらに数秒の後にも、オナじようにパンツ→ネコの組み合わせが描かれます。

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何らかのどうぶつのアイコンをモザイク代わりに挿入するかたちでの「規制表現」自体は、これといって珍しいものでもないのですが、ここで描かれた一連の流れにはいくつか引っかかるものがあります。
まず、なぜオナじような構図のパンチラを二度も続けたのかということ。次いで、一瞬だけパンツを見せてから遅れてネコが現れるのはなぜか。そして、そのネコがそれぞれ別の種類だったのはなぜか、という点です。
これらの疑問の正体は、中盤の銭湯でのシーンで明らかになりました。

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ましろやななみんの身体がやわらかあああああい!のかどうかはさておき、問題となるのは優子が正面にくるカットです。ここでは、シャンプーだか石鹸だかの「泡」によって股間を隠すという、これまたベタな規制表現がなされていました。
ところがこの直後、自らの身体の成長(=性徴)を決意するカットでは、その股間部に、先ほどのパンチラとオナじように「ネコ」がかぶさってきます。

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このお風呂での描写と、先のパンチラをすり合わせて考えると、おぼろげながらナニか黒い陰謀のようなものが見えてきました。
まず、ネコの存在意義とは「ナニかを隠すためのもの」と考えて間違いないでしょう。でなければそもそも出てくる意味がありません。
では、一体ナニを隠すためのものなのか、ということなのですが、「パンツを隠すため」という可能性は除外しましょう。なぜなら、パンツは一瞬だけとは言えしっかりと(普通に再生して視認できるレベルで)映されていましたし、パンツを隠すためのネコであればお風呂での出現(その前のカットでは「泡」で隠すという表現が既になされていた)が不自然になります。(また第一話の冒頭で美咲先輩のパンモロがありましたが、そこではそもそもネコが現れることすらなかった。)
以上のことから、ネコはパンツを隠すためのものではないと言えます。またそのことから、ネコが現れた瞬間には、優子の股間部に、パンツよりも重大な「テレビ的に映してはいけないナニか」が見えてしまっていたのではないかと考えられます。
それは例えば薄桃色の繊維に詰められたオメコであったり、図らずもはみ出してしまった黒色の繊維であったり、そういったものが、こう、パンツが食い込むなりして露わになってしまっており、それらを隠すためにネコが必要だったと。
だから、お風呂のシーンでは、「泡」ではもはや隠しきれなくなったコメだか具だかを隠すために「ネコ」の出撃が必要になった。そう考えるとすべて合点がいきます。ナニか黒い陰毛のようなものが見えてきました。
つまりは、ネコというのは「パンツ」や「股間」といった総体的なものを隠すためではなく、もっとピンポイントな部分、見えてはいけないナニかをケースバイケースで隠すためのものだったのですね。だから、その瞬間によって見えているものが違う(具、毛、栗、穴、等)ために別々の種類のネコが使われたと。なんかはみ出しててもネコさえあれば関係ないよね!
そして、冒頭のパンチラシーン(オナじ構図)が二度続けられたのは、パンツではないナニか(それも、複数の種類)を隠すためのネコであると印象付けるためでした。

もっとも、どのネコとナニが対応しているのかは分かりませんし、分からないほうがよいのかもしれません。あるいはもしかしたら、実はネコである必要すらなく、例えば先ほどのカットで「乳首」を隠すものが最終的には「悪魔の手」になったように

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そうであれば別に「ニワトリ」でもよいわけで、そう考えると例のアレにしたところで、何のことはない、とらじろうを使って「誰にも言わんといて」ほしい内容の行為をオこナっていたななみんの何らかの部分が露出されていたことを表現していたのだと、つまりニワトリアイコンの中にオメコが詰められていたというただのダジャレだったのかもしれません。
そのあたりのことが今後明らかになるのかならないのかは分かりませんが、われわれは第一話の時点で既に、少なくともネコ(あるいはどうぶつ全般)と股間の連動には気付かされるべきでした。

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要するに美咲先輩のパンツは何度見ても素晴らしくって事あるごとにキャプチャ画像を開きたくなるなぁということと、先輩のおっぱいがぷるんぷるん揺れる様は今期のアニメ全体を見渡しても一番の神々しさなんじゃないかということです。

以上。


※股間からとびだしたのであろう「森」と「どうぶつ」を掛けて『とびだせどうぶつの森』に絡めたジョークをどこかに挿入しようと思っていたのですが、ナニも思いつかなかったことを追記します。


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2012年秋期新作アニメレビュー(2) 『さくら荘のペットな彼女』   2012.10.17


今期一番の問題作となるのかもしれません。
『さくら荘のペットな彼女』についてです。

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第一話、物語のド頭で「主人公が目覚める→パンツ」が描かれた作品といえば、往年の名作『迷い猫オーバーラン!』を思い出さずにはいられませんが

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パンツとともに繰り返し描かれる「猫」においては

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やはり不朽の名作『迷い猫オーバーラン!』が思い出されるでしょう。

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その『迷い猫オーバーラン!』という作品は、冒頭で盛大にパンツを見せた文乃が、後から参入してきた希に結果的には敗北するというかたちのエンディングを迎えました。
すなわち、オナじ「擬似家族モノ」であるとも言える『さくら荘』においても、ファーストパンツの美咲先輩ではなく、新参者のましろの物語になることが伺えます。
まあ、そのあたりのことはキービジュアルやあらすじを読んだだけでも分かりそうなものですが(そもそも美咲先輩とはバトルにすらならないみたいですしね)、そうした確定事項をパンツによって表現するという作法に一定の評価を与えたいということです。

さて、この『さくら荘』という作品で指摘しておかねばらないのは、たとえば岡田麿里特有のシャセイ表現であったり

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その伏線となるシャセイ表現であったり

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そういったことではなく、ヒロイン・ましろの「」にこそ目を向けるべきなのですが、そこには「自分じゃパンツもはけない」というキャッチコピー以上の大きな問題提起が込められています。

第一話の後半、「自分じゃパンツもはけない」とはどういうものかが具体的に示されたシーンでは、実際にはそれは「自分じゃパンツも選べない」ということなのだと分かります。

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パンツをはくためにはまず最初に「選ぶ」という動作をしなければならない。「選べない=はけない」であると。
普段われわれはパンツをはく際に、意識的であれ無意識的であれ、自然と「パンツを選ぶ」という行為を行なっています。これは普通に生活していれば誰もが経験することです。したがって、「自分じゃパンツも選べない」少女は、およそまともな人間であるとは言い難い、社会常識のない異常な人間であると言えます。
もっとも、そう断じるための「前提」というのはとても不安定なものです。ましろを異常な者だと断言するための前提とは、「われわれは自分の意思でパンツを選んでいる/はいている」というものです。しかし、例えばあなたが今はいているパンツを、あなたが自分の意思で選んだものだと断定することが出来るでしょうか。その意思とは、あなたが本当に望んでいたものだと断言出来るでしょうか。
もしかしたら、「パンツの方こそが選んでいる」ことだってあり得るわけです。われわれがパンツを選ぶのではなく、パンツがわれわれを選び、はかせている。そのことを否定するための正当なロジックはこの世界に存在しません。

とは言え、そうしたパンツ主体の考え方にしても、残念ながらましろの人間性を擁護するための材料にはなりえません。なぜなら、過程はどうあれ「パンツの有無」自体が社会性の判断に関わってくるからです。
つまり、パンツをはいていない人間はまともではないと判断される世の中においては、「自分じゃパンツも選べない/はけない=まともな人間ではない」と同様に、やはり「パンツに選ばれなかった/はけなかった=まともな人間ではない」が成立します。人間主体であれ、パンツ主体であれ、たった一枚の布切れによってその人間性が左右される理不尽さは変わらないのですね。
ただし、後者の考え方、すなわち「パンツに選ばれなかった」者には、前者に比べて悲哀が漂います。同情の念とは、時に「萌え」に繋がることは留意しておいてもよいでしょう。

さて、椎名ましろとは、パンツに選ばれなかった少女です。
逆に、先ほど挙げた冒頭のシーン、パンツに選ばれた存在である美咲先輩は、エキセントリックな言動とは裏腹に、至極まともで常識的な人間であると言えるわけです。キ◯ガイじみたキャラが実はまともな常識を持ったちゃんとした人であるというのは定番でありますが、それを「パンツに選ばれた者」という表現の仕方であらわすのは、今まであまりなかったことのように思います。斬新というよりは、「自分じゃパンツもはけない」というコピーが大きくクローズアップされて前面に押し出された作品ですので、パンツによる常識の有無の判別がより際立っているということです。
そうした中で、パンツに選ばれなかったましろは、第二話においてその非常識ぶりを顕にします。

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買い食いならぬ「買わず食い」のシーン。
ここでは、ましろが「物資を手に入れるための最低限のルール」を知らない人間であることが謳われています。物資やサービスに対して対価を支払うのは、人間社会のもっとも古い「常識」であると言えるでしょう。ましろはその常識を知らなかったわけです。

ところが、そうした「介護が必要なレベル」で非常識な存在であるましろですが、ある一点に関してはきわめて常識的な思考を有しています。(思考というよりは知識といったほうがよいでしょうか。)

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マンガ表現に関してです。漫画家として活動しているましろは、編集者から「過激な描写に挑戦してはどうか」と言われ、そのために空太をモデルとして観察しようとします。
ここで、ましろが「過激な描写」がナニを指すのかを理解していることが分かります。買い物という社会ルールは知らなくても「過激な描写」の意味するところは理解しているのです。
さらには、「抱いて」という意味深な発言の後、ついには「セックスしたことある?」という具体的な言葉まで飛び出します。

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これは一体どういうことなのでしょうか。
ここまで、徹底的に非常識な存在として君臨してきたましろが、なぜ性の知識に関しては一般レベルの理解をしているのか不可解に思えます。そこのところを解体すると、この作品に秘められた大きな批評性が見えてきます。

繰り返しますが、椎名ましろという人間は「社会のルール」にきわめて疎い要介護者です。しかし一方で、芸術家として脚光を浴びていることが第二話のラストで判明します。芸術家には変態が多いとか、サヴァン症候群がどうこうとか、そういう話ではありません。
社会常識はなくとも、「芸術」という分野においては技法や「知識」などを高いレベルで習得しているのではないか、ということです。
つまり、漫画家でもある彼女は、「漫画の世界」におけるルールには精通していると考えられます。より詳しくは「漫画の世界の中での人間社会のルール」です。

今ここで漫画批評を行うつもりはありませんし、これは「漫画」だけに限らずアニメやラノベやエロゲなんかにも言えることなのですが、マンガ的な世界の中では、人間社会が克明に描かれることがあまりありません。例えばよく言われるのは、学園ものにおける登場人物(学生主人公など)の収入源や生活環境の問題。「両親が海外に長期出張」などというのは同居ハーレムものでありがちな設定としてネタにもされますが、マンガ世界の中では「生活感」というものが薄れがちです。「マンガにはコンビニで買い物するシーンがない」とまでは言いませんが、通常重きを置くシーンはもっと別のところにあるはずで、当然のことながら「コンビニでの買い物」のプロセスを克明に描くことを主体にしたマンガ作品になどそうそう出会えるものではありません。

つまり、ましろは「マンガの世界」の常識は知っていても、その中には実際の「人間社会の常識」が含まれていない。だからコンビニでものを買うという発想がないわけです。(先ほどの話に戻ると、マンガの中で「パンツを選んで/はく」という行為が詳細に語られることもほとんどないわけですから、「自分じゃパンツも選べない/はけない」に繋がってきます。)
逆に言えば、このことは「マンガでは人間社会の常識が描ききれない」ということにもなります。
このあたりのマンガ世界に対する態度が、この作品に批評性を与えています。
それは多くの「ヒロイン象」にも言えます。最近では、エキセントリックな言動をする者や常識はずれな行動を取るヒロイン、すなわち極端なかたちでディフォルメ化されたキャラクターたちを、そのまま「萌え要素」として見るのではなく、「マジキチ」「障害者」といったメタな視点で見る向きもあります。これは、もういい加減いわゆる「天然」系のヒロインが飽きられてきたからであるというのが一因として考えられますが、そうした天然ヒロインに対して「介護」という言葉が使われたのはとても批判的に映ります。

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古くから受け継がれてきた様式美であると言える天然系/キチ◯イ系ヒロインへの「介護」という発言は、この作品がご都合主義的でありきたりな同居ハーレムアニメの皮を被った、その実きわめて攻撃的なアニメであることをあらわしています。危険ですよこのアニメは。

さて、この作品が思いもよらない怖いアニメであることが分かったところで、くだらない話はやめにしてさっそく本題に入りましょう。
まず一つは、ましろが「マンガの世界」での常識しか理解していないという前提での、先ほど挙げた「セックス」のシーン。

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「自分じゃパンツもはけない」少女は、セックスの知識があります。またここまでの議論によって、彼女はマンガから「常識」を学んでいることがわかります。
ゆえに、ましろはエロマンガを読んでいると言えます。
当然のことながら「はじめての男子」の意図するところも理解しているでしょうし

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そうするとこの発言は故意犯的な意思に基づくもの、つまりましろは物凄く腹黒い女である可能性も浮上しますし、そうでなくとも、エロマンガからオナニーの知識を習得しているので「はじめての(オカズに使った)男子」であるとも考えられます。
興奮してきました。

続いて、またもやセックスシーンの話になりますが、ここで空太の股間に起きた出来事を見逃すわけにはいきません。

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腕の角度が手コキしてるようにしか見えないのはさて置き、この場面というのは、ましろがマンガの資料として空太の半裸体を観察する場面です。観察し、それを描写せんとするわけです。
対象物を観察し描写することを何と言うか、そう、シャセイですね。

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もうお分かりですね。第一話で描かれたシャセイの表現とは、この一連のシーンでの空太のシャセイへの伏線だったわけです。第一話を見た時には「またベタなことを……」と思っていたのですが、思わぬ回収に椅子から転げ落ちそうになりました。

というわけで、このアニメの危険性はじゅうぶん伝わったと思いますので、文字というかたちでのシャセイ行為、すなわちオナリチュールを終わりにしたいと思います。
※「オナリチュール」に関しては現在執筆者を募集中の『シンシアニメ』に詳しい。

以上。


パンツ/亀頭 『夏待ち/プリキュア』   2012.03.05


・イチカ先輩のパンツ問題(あの夏で待ってる)

随分長い間放置していたイチカ先輩のパンツ問題についてです。

どうしても腑に落ちないカットが一つ、イチカがお風呂に入っている時に映し出された脱ぎたての衣服。

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その中にパンツとブラが見当たりません。通常であれば、パンツやブラは最後に脱ぐ=一番上に積み上げられるものですが、そこに描かれていたのはあたかも最初からパンツやブラなど存在しなかったかのような光景です。
女性特有のエチケットとして、衣服の中に隠す、という可能性も考えられなくはないですが

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平気で風呂のドアを開けるような女性がそのような発想を持ちあわせているとは考えられません。
すなわち、イチカは最初からノーパン/ノーブラだった、またはこの世界には下着という概念が存在しない、このどちらかということになります。



以上が、以前書いたレビューでの問題提起でありますが、そろそろ結論を出してもよい頃合いだと思われます。
結論から言えば、第一話の時、イチカ先輩はパンツをはいていませんでした。「イチカ先輩だけ」が、パンツをはいていなかったのです。
なぜならば、美桜という人物の存在によって、この作品が「パンツ的に意識の高い作品である」と言えるからであり、例えば第六、七話におけるパンツはき忘れ事件とその弁明においては、そもそもパンツとは何なのか、何のためにはくのか、といったきわめてラディカルな問題を突き付けられます。

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(先ほどイチカ先輩だけがパンツをはいていなかったと述べましたが、もちろんその時美桜もはいていなかった可能性は高い)

四月からの第二期が待たれる「咲-Saki-」を始め、「パンツはいてないアニメ」はいくつか確認されていますが、演出上の必要性によるもの(パンツ規制へのカウンター=パンツはいてないから恥ずかしくない)や、単なる作画ミスなど、その多くは「パンツはいてない」というよりは「パンツ描いてない」と言うべきものであります。
一方で、この作品での美桜という人物は、意図的に「パンツをはかない」わけです。そして、そのことが哲朗との仲を進展させるためのギミックにもなっている。
すなわち、脚本レベルで、あるいはキャラクター設定の段階で、パンツに対して強烈な意識が向けられていることが伺えます。
したがって、第一話での例のカットも、単なる作画ミスだとは言い難いわけで、そうなると導き出される結論は一つ、イチカ先輩は地球にやって来る際にパンツをはいて来なかった、ということになります。
また、そのことから、イチカ先輩の出身の星ではパンツ(というよりブラも含めた下着)という文化が発展していない、下着を身につける習慣がない可能性が考えられますが、その辺りはまあ置いておくとして、上述の事柄から、第一話のレビューの中で指摘した

例えば、電車の中でイチカが「どうしてこんなに目立ってるのか」と自問するシーンがありますが

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ノーブラで乳首が立っていたから、ないしパンツはいてないことが周囲にバレたからであると考えると辻褄も合うでしょう。



といった解釈は正しかったのだと確信するに至った次第であります。
イチカ先輩は、料理のセンスやコミュニケーションの作法など、常に何か「間違っているかもしれない」ということが強調されてきましたから、地球にやって来る際に「間違って」ノーパン/ノーブラで来てしまったとしても、何らおかしな話ではありません。
繰り返しになりますが、結論として「一話の時点ではイチカ先輩はパンツをはいていなかった」と断言させて頂きます。
(美桜によって提起された「パンツとは何のためのものか」問題はまた別の機会に考えましょう)



・キュアピースの亀頭問題(スマイルプリキュア!)

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キュアピースさんといえば亀頭に酷似したヘアースタイルが話題となっていますが、その話をする前に、二年前に放映された「ハートキャッチプリキュア」を思い出さなければなりません。

ハートキャッチプリキュア!に学ぶ新しい保健体育のはなし

~前略~

“女性器”の暗喩として語られることの多い“花”という要素が、物語に密接に関わっていることも決して無視することは出来ません。

世の男性諸君のお楽しみ、“変身シーン”なんかでは、花ビラの舞う中で刺激的な格好をしたお姉ちゃんが“回転”するわけですから

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これはどう控え目に見ても花ビラ大回転のメタファー以外には考えられません。

~中略~

あるいは、第三話なんかでは、蒼の子キュアマリンによる盛大な潮吹きが描かれたりもしました。

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このようにして見ると、“花咲つぼみ”という主人公の名前にしても、もはや女性器のビラビラ及びクリトリスの隠喩であるとしか思えません。



以上のように、「ハートキャッチ」では「女性器」をモチーフにしたキャラクター造形がなされておりました。であれば、逆に「男性器」を模したキャラクターが登場するのも決して不自然ではなく、その存在を肯定するのは難しい話ではありません。
むしろ、我々は今、テレビの前の女児たちに向けて無修正の亀頭が露出されている意味をこそ考えるべきなのでしょう。
そのためには、昨年放映の「スイートプリキュア」、そしてもう一度「ハートキャッチプリキュア」を振り返る必要があります。

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キュアミューズさん。
御年9歳のょぅι゛ょ。

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キュアフラワーさん。
御年67歳のろぅι゛ょ。

彼女ら二人のプリキュアの存在を考えることによって、キュアピースさんの存在意義が見えてきます。
キュアフラワーさんとキュアミューズさんの共通点は、他のプリキュアたちとの極端な年齢差です。この年齢設定には大きな意味があり、9歳のょぅι゛ょは生理が来ていない可能性がきわめて高く、また67歳のろぅι゛ょは一般的に考えて既に閉経しています。
つまり、この二人の存在によって、「プリキュアに変身するのに生理は関係ない」という結論が導き出されます。
そして、生理がなくてもプリキュアに変身できるということは、「男の娘」であってもプリキュアに変身できる可能性が高い、ということになります。将来的に、男の娘プリキュアの参戦もあり得るわけです。
とはいえ、女子であることが前提とされている風潮の中、いきなり男の娘が登場すればテレビの前のちびっ子たちは少なからず動揺するでしょう。もしかしたら混乱のあまり泣き出してしまう子もいるかもしれません。
そこで、キュアピースさんです。
つまり、男の娘プリキュアを出す前段階として、まずは視覚的に男根に慣れてもらおうというわけです。
性別はあくまで女子として、しかしそのビジュアルで男性的なシンボルを表現することで、男の娘プリキュアをスムーズに挿入するための愛液あるいは先走り汁的な役割を期待され生み出されたのが、キュアピースさんなのです。
「ハートキャッチ」の公式サイトで、えりか様のプロフィール欄に「たまたまにキズ」という表記を確認した方は多いかと存じますが、思えばその頃から東映は「男の娘プリキュア」の参戦を計画していたのかもしれません。
以上。





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2012年冬期新作アニメレビュー 『アクエリオン/夏待ち』   2012.01.13


第一話の段階での疑問点、問題点を挙げていきます。
とは言え、まだまだ始まったばかりなので、現時点で何かしらの結論など出せるはずもなく、今後それらの謎が解明されるのか、あるいはされないのかさえ不透明でありますが、作品を見続ける上での一つの指針にはなるかもしれません。



・アクエリオンEVOL/なにが柔らかかったのか

一時期話題となったロボットギャグアニメの続編ですが、シリーズ構成が岡田麿里さんということで、何かあるだろうとは思っていましたが、やはり初っ端から飛ばしてきましたね。

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ペーパーの位置から察するに和式便器としての使い方が正しいのでしょうね。
この独特のデザインは誰の手によるものか、というのも気になりますが、便所に行く前には、「排泄」の対概念としての「食事」が描かれていたことを指摘せねばなりません。

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また、よりによって便所の中にいる時にアブダクターが襲ってくる、という流れは、3.11の震災を経験した我々にとって決して軽視できない問題提起となっています。

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つまり、便所に篭っている最中に災害が起こったとき、我々はどのように行動すべきか、というクエスチョンです。
もちろん正解は、手など洗わずに即座に女の子の元に駆け寄る、です。

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災害に直面した際には、手を洗っている暇などないのです。手は洗わずに、しっかりと愛する女性を抱きとめましょう。

ところで話は飛びますが、なんやかんやで男女による創生合体を行ったあと、いくつかのピンチを経て、「ミコノさんの手のひらって小さくてスベスベであったかくてやわらかああああい!」と絶頂するシーンがあったのですが

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ここで、本当に柔らかかったのは何なのか、という疑問が出てきます。
もちろん、アマタの台詞をそのまま受け取るとそれは「手のひら」ということになるわけですが、前提として、この作品では性的な文言はすべて「合体」などの他の用語に置き換えられている、あるいはエクスタシーの表現なども光る羽として演出されたりなど、あらゆる言葉がそのままの意味には受け取れないということは念頭に置かねばなりません。
つまり、この「手のひら」も、何らかの隠語である可能性を捨て切れないわけです。
では、実際のところ何が柔らかかったのでしょうか。
これはあくまで仮説にすぎませんが、もしかしたらミコノはうんこを漏らしていたのではないかと考えられます。以下がその論拠です。

まず、当初ネオ・ディーバでは男女による合体を禁止されていました。アクエリアの合体は必然的に男×男もしくは女×女の組み合わせになります。
この作品における「合体」とはセックスであるというのは今さら言うまでもありませんが、女女はともかく男男による合体はアナルを使う以外にありません。また、女性陣に関しても、創世合体の際のゼシカのコメント「ずっと大切にしてきた何かが~」から、膣性交ではなくアナルを使っていたことが読み取れます。これまでは男女共にアナルセックスを行なっていたわけです。
ではなぜアナルなのか、それはアナルに「栓をする」必要があったからではないでしょうか。つまり、場合によっては中毒になるほどの快感を伴う「合体」を行う際には、その快感によって肛門が緩んでしまいうんこを漏らしてしまう可能性があると、だから、栓をするという意味も込めて普段はアナルによる合体を行なっていた、と。
そう考えると、「創世合体」というのも、実は「男女による合体」のことではなく、「性器による合体」のことを指すのではないか、何なら性器と創世記が掛け言葉になっているのではないか、といったところまで飛躍してもしまいますが、そのあたりはまあ置いておいて、ともかく、普段はアナルに栓をしていた彼ら彼女らが、初めて性器による合体を行ったと、そしてその快感によって肛門が開放され、うんこを漏らしてしまった、というのはある程度納得のいく解釈ではないでしょうか。(もちろんこの場合、ミコノだけでなくゼシカやカイエンも漏らしていた可能性は高い。)
そして、そのミコノのうんこが「やわらかあああい」状態、すなわち、固形として完成していない、全力で未完成なうんこであったと。
事前にアイスを食べていたことを考えると柔らかくなるのも致し方ありませんよね。(そのほとんどはペットの謎生物に食べられたみたいですが。)
創世合体直後のカグラによる「凄まじく臭い」という評価であったり、最初のアブダクター襲撃の際に、真っ先にミコノのケツの部分をチェックしていたのも、なんとなく頷ける気がします。

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というような妄想をしておりますが、先ほども述べた通り、まだ一話を見ただけでの仮定の話ですので、今後ひっくり返る可能性は山ほど残されているわけで、それらを確認するためにも(決してエロやキャラ萌え目的ではなく)継続して視聴しなければなりません。



・あの夏で待ってる/パンツはどこへ消えた?

どうしても腑に落ちないカットが一つ、イチカがお風呂に入っている時に映し出された脱ぎたての衣服。

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その中にパンツとブラが見当たりません。通常であれば、パンツやブラは最後に脱ぐ=一番上に積み上げられるものですが、そこに描かれていたのはあたかも最初からパンツやブラなど存在しなかったかのような光景です。
女性特有のエチケットとして、衣服の中に隠す、という可能性も考えられなくはないですが

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平気で風呂のドアを開けるような女性がそのような発想を持ちあわせているとは考えられません。
すなわち、イチカは最初からノーパン/ノーブラだった、またはこの世界には下着という概念が存在しない、このどちらかということになります。(上記のカットで、海人が持ってきた着替えの中に下着がなかった、というのも気になりますが、そこはまあ、下着まで姉のを貸そうとは普通思わないだろうということで納得はできます。)
あるいは単なる作画ミス、と断じてしまうことも出来るかもしれませんが、初回からスク水描写やお風呂上がりハプニングなど

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紳士的な意識の高さを伺わせる作品ですので、ただ描き忘れたのではなく何らかの意図があるのではないかと疑ってしまうのが人の性というものでしょう。
今のところは二つの可能性の内、イチカだけがブラつけてない/パンツはいてない説が濃厚ではないかと睨んでいます。明らかに人外キャラであるイチカは、何か「間違っている」部分がないかをしきりに気にしています。逆に言えばこれは「どこか間違っている可能性がある」ことを示唆しています。つまり、全員が下着を着用していない(下着という概念がない)のではなく、イチカだけが「間違っている=下着を持っていない」かもしれないという話です。
例えば、電車の中でイチカが「どうしてこんなに目立ってるのか」と自問するシーンがありますが

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ノーブラで乳首が立っていたから、ないしパンツはいてないことが周囲にバレたからであると考えると辻褄も合うでしょう。
下着という概念の不在もまだ完全に否定はできませんが、何か「間違っているかもしれない」イチカの常識と、周囲の常識との乖離というのも、この作品の一つの面白み(あるいは萌え要素)となるのでしょうから、やはり作品世界の常識は現実世界に根ざしたものであると考えるのが妥当でしょうか。
逆に、「下着という概念が存在しない世界」とはどのようなものか、そうした世界に水着という概念は生まれ得るか、といったようなことを考察するのもまた一興ではありますが。

何れにせよ、今後このパンツの行方が解明されるのを期待しつつ、新年の幕開け早々からこのようにパンツの存在を深く考えさせられる有意義な作品に出会えたのは大変喜ばしいことなのでありましょうね。

以上、アクエリオン及び夏待ちのステマ記事でした。





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「このパンツがすごい!」&「この便所がすごい!」2011年版   2011.12.03


パンツオブザイヤーに代わって今年から新設された「このパン」及び「この便」が発表されました。
まずは「このパンツがすごい!2011」から。

第3位:そふてにっ

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規制とは何か、規制とは誰のためのものなのか、そういった疑問に真っ向から勃ち向かう姿勢が評価されました。パンツを規制するという行為そのものをパロディ化し皮肉な笑いへと昇華した優れた作品でした。
参照:パンツ規制の基準はどこにあるか


第2位:ベン・トー

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「見せパン」という言葉が一般的に認知されて久しい昨今ですが、そうした世間の流れとは逆行するように「伏せパン」の魅力を追求しました。改めて、パンツへの渇望、パンツに対する憧れの気持ちを思い出させてくれる有意義な作品となりました。
参照:2011年秋期新作アニメレビュー(2)


第1位:Aチャンネル

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パンツの有無を画面上で表現するのではなくキャラクター自身の語りによって認知させる手法は群を抜いて秀逸でした。タイポグラフィや劇中歌同様、パンツについても、視聴者は作品内部の情報と画面上に表示される情報をその場その場で選り分ける必要に迫られ、片時も目を離せない構成になっていました。高度なパンツ・リテラシーを要求される作品でしたが、その分、次世代のパンツ表現への示唆に富んでいたと言えるでしょう。
参照:可視化される不可視性~メタ・パンツはいてない~


続いて「この便所がすごい!2011」の発表です。

第3位:輪るピングドラム

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序盤から見せた便所への執念もさることながら、明らかに下水処理場のメタファーとして描かれている子供ブロイラー(一ヶ所に集められ、ろ過されて透明な存在になる)であったり、いずれは排泄物へと変化する運命を背負った「食事」シーンの多用であったり、何かにつけて便所が付きまとう攻撃的な作品でした。プリンセスオブクリスタル(=陽毬)が「ウン命の至る場所(=下水処理場=子供ブロイラー)」から来た、という真相も終盤になって解き明かされましたし、そうであればペンギンとベンキの押韻にも頷けるでしょう。
参照:排泄戦略しましょうか


第2位:放浪息子

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2011年の便所論壇はまさしくこの作品から始まりました。便所とは如何な空間か、便所とは決して排泄行為を行うためだけの場所ではない、というラディカルな指摘がなされました。物語の舞台として、そして物語を動かす演出装置として大活躍する便所の姿に感動の念を禁じえません。
参照:女子便所から発生するドラマ


第1位:戦国乙女~桃色パラドックス~

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満場一致で大賞の受賞となりました。もはや出来レースの感さえ漂いますが、今年最も輝いていたのは間違いなくこの作品でしょう。排泄、そして便所への探究心あるいはリスペクトがひしひしと感じられる、まさに便所論壇の金字塔と言える作品でした。今や我々は、この作品なしに便所を語ることなどできないでしょう。個人的には第六話「想出乙女」での治水の話が印象に残っています。「水を制した者が便所を制する」というありがたいお言葉に感動しました。スイッチを押すと水が流れるという排水システムによって安土城が高度に便所化されていたというのも、この作品を象徴するエピソードとして映るでしょう。
参照:便所化する物語――ミツヒデの命題――


以上、「まどか☆マギカ」に一切触れない今年の総括記事でした。
ちなみに、今度の冬コミで二日目・東ポ-29bにおいて頒布されるらしいシンシアニメ第二号(もうちょっとしたら詳細出ると思います)でピングドラムの記事を書いてます。それから、便所論壇に関しては第一号でより詳しく書かれていますので、冬コミに参加された際にはぜひお勃ち寄りください。





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