水の音、無形の雫

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縞パン人気を探る~ある一方的な解釈~   2010.05.04



本日はパンツの話です。

今までずっと“分からない”ということを言い訳にして、見ないフリをして、あるいは考えないように自分の心を押し殺して、そうやって避け続けてきた一つの問題。


『縞パンはなぜ人気があるのか』


縞パンの魅力とは一体何なのか。
この、人類史上最大のミステリィに挑戦し、その謎を解き明かし、ニッポンの、いや、世界の夜明けとしたく、筆を取らせていただいた次第でございます。


国家も、人種も、宗教も、パンツの前では皆等しく無力であり、言語の違いも、文化の違いも、パンツの前では何らの意味もなし得ません。

遍く全ての子どもたちをパンツは優しく、力強く時に厳しく包み込むでしょう。
あらゆる大人たちをパンツは導き、励まし、愛を、平和を、理解を教えてくれるでしょう。


かの有名なキング牧師は言いました。
「I HAVE A PANTS」

シーサー、ユリウス・カエサルは言いました。
「パンツは投げられた」

アイザック・ニュートンはパンツがズリ落ちるのを見て万有引力の法則に気付きました。

ガリレオ・ガリレイは片足に引っ掛かったパンツの揺れを見て振り子の等時性を発見しました。

ニコラウス・ コペルニクスは極部を中心としたパンツの動きを見て地動説を確信しました。




と、若干話が逸れてきたので本題に戻します。

そう、なぜ縞パンが人気なのか、という難解にして深遠な命題です。


34.jpg



1.記号としての汎用性

昨夜の話ですが、就寝しようと布団の中に入ってパンツのことを考えていたら、ふと一つの衝撃的な仮説が思い浮かんだのです。

発想の逆転と言いますか、今まで考えもしなかった可能性が突如として閃いたのです。


「実は人気があるから縞パンが多いのではなく、縞パンが多いから人気があるように錯覚しているのではないか」


つまり、人気ありきの縞パンではなく、縞パンありきの“人気”であると。

この可能性に思い至った時、俺は布団の中でえらく興奮しました。
寝るのも忘れて思考に没頭してしまいました。
いつの間にかtnkが元気になったので最寄りのTENGAに突っ込んでみたりもしました。


縞パンの前に、先ずはもう少し大きな括りで「柄ものパンツ」に着目してみましょう。

この柄ものパンツ(いちごパンツ、クマさんパンツなど)には、心理効果の一つとして「少女性の強調」というものがあります。
どういうことかと言いますと、通常、成人した大人の女性は柄ものパンツというものをあまり着用しません。
我々は、男女問わず、「柄もの=子ども」という半ば勝手な“偏見”を抱いているのです。
そして、事実、柄ものパンツを着用しているのは大人よりも子どもの方が圧倒的に多い。

逆に言えば、柄ものパンツを着用させることによって、そのキャラクターの少女性(処女性)、平たく言えば「幼さ」を演出することが出来るのです。


では、なぜいちごやクマさんなどではなく“縞パン”なのか。
なぜ縞パンだけが他を圧倒するほどの地位を得ているのか。

そこで重要なのが表題の「記号としての汎用性」です。

記号としての汎用性とは、まず第一に“描きやすさ”が挙げられます。
例えばクマさんパンツと縞パンでは、作画する労力が変わってきますよね。
平面的な“そのもの”のイラストならともかく、女の子がはいているシーン、あるいは半ばずり落ちていたり、ケツに食い込んでいたりなどしたら、そのディテールの表現には結構な神経を使うことになるでしょう。(描き慣れた“プロ”ならばともかく、素人レベルなら尚更です)

そう、縞パンは“描きやすい”のです。


第二に、キャラクターに対する互換性が挙げられます。
キャラクターの“少女性”を演出する装置として記号化された“縞パン”は、描きやすさ(=使いやすさ)と同時に、多くのキャラクターへの互換性が備わります。

例えば前述の“クマさんパンツ”なんかでは、そのイメージが重しとなって「幼すぎる」という印象を与えてしまう要因となり得ます。
(昨シーズンまで放映されていた“とある科学の超電磁砲”なんかでは、そのイメージを逆手に取って御坂美琴という人物の“ギャップ”を演出していました)

イメージとして少々幼すぎるアニマルパンツではなく、縞パンを選ぶ理由はここにあります。

つまるところ、「縞パンを着用する年齢層」というのは、アニマルプリントを着用するほどの幼女でもなければ、セクシーな黒レースなんかを着用するまでには成熟していない、少女性を保ちつつ大人の階段昇るシンデレラ的な微妙なお年頃の女性、即ち非実在青少年であるわけですね。

アニメや漫画よりも、実はエロゲーのヒロインにこそ、その爆発的な広がりが確認される縞パンにおいては、まさしく非実在青少年と呼称するに相応しいキャラクターたちの、少女性と成熟性の狭間、“成長途中”あるいは“発展途上”とでも言うべき微妙な立ち位置を明確に演出するツールとしての汎用性が極めて高いと言えるでしょう。

そして、こうした演出装置としての汎用性と、単純なボーダー柄という“描きやすさ”によって、“記号”としての価値が高まり、結果として縞パンが氾濫することになったと、そう推測します。





2.記号の定着

さて、前項においては縞パンの“記号”としての汎用性に着目しましたが、その結果として、「縞パンは人気があるから描かれるのではなく、制作者側の都合によって描かれている」という推論が導き出されました。
(あくまで“推論”であって明確な解答ではあり得ません)


ここでは、その記号化された縞パンが、なぜ今日のような支持を得るまでに至ったのか、その理由を考えてみます。

一つには“刷り込み効果”が挙げられます。
あるいは“サブリミナル効果”と言い換えることも出来るでしょう。

つまり、我々は無数の縞パンを繰り返し見せつけられ続けることによって、「パンツ=縞パン」ひいては「縞=パンツ」という、パブロフのバカ犬も驚くほどの固定観念を植え付けられています。
(ニコ厨が「テレビの画面にコメントが流れないと落ち着かない」と言うのと同じですね)


また、縞パンには、例えば“無地”のパンツに比べて「立体感が強調されやすい」というメリットがあります。
尻や極部の曲線によってボーダーが微妙に歪むことで、その歪みによって二次元の絵に立体感(=リアリティ)が生まれ、扇情的なラインを精製することが出来ます。
つまり、エロイのです。


加えて、前述の通り、サブリミナル効果によって「ボーダー=パンツ」という刷り込みを得ている我々は、縞パン文化に触れたことのない貧弱な一般人に比べて、パンツを“認識しやすく”なっています。
ほんの一瞬描かれるパンチラであっても、そこにボーダーがあれば、我々は即座に「これはパンツだ!」と認識することが出来るでしょう。
(無地の白パンなんかだと、角度や描写の仕方によっては“スカートの裏地”との判別が難しかったりしますよね)


こうした、様々な視覚的有用性によって、クリエイターサイドだけでなく、ユーザーの側から見ても、縞パンというものの効用が認められ、また、刷り込みによって「縞じゃないと落ち着かない」という、半ば中毒じみた現象が起こっているのではないか、と推測されます。
(ちなみに、もしかしたら「横縞=よこしま=邪」という押韻によって無意識の内に「縞パン=エロス」という概念を定着させ、無自覚的に縞パンを求めてしまう、などという心理効果もあるかもしれませんが、心理学のことはよく分からないので割愛します)


最後に、もう一つ精神論を述べておくと、縞パンの“縞”とはボーダー(border)であり、ボーダーとは即ち“境界”を意味していますから、そういう意味でも「幼女と大人の境界線」を表現するに相応しく、また、パンツという限定空間の中で延々と繰り返される“境界”は、その連続性/継続性を以って“少女”という、極めて短い刹那的な“美”を“横縞の檻”の中に閉じ込めよう、閉じ込めてしまいたいという、我々自身の願望の表象なのかもしれません。





と、夜寝る前に思い付いた試論を殴り書き程度にまとめてみましたが、この「縞パン」という叡智にはまだまだ隠された真理が秘められているはずです。

パンツについて深く考え、想いを馳せる。
これ以上ない有意義なゴールデンウィークの過ごし方となることでしょう。

今日ここで発表した論考は、決して“正しい答え”ではありません。
いや、きっと“正しい答え”などというものは存在しないのでしょう。
今回は“制作側の都合”という一つの試論をでっち上げましたが、きっと皆さんの中にも様々な主張/意見があると思います。

また、これまでパンツについて考えたことがなかった人も、これを機に、ご家族や恋人、友人らと語らってみてはいかがでしょうか。
きっと素敵なゴールデンウィークの思い出となるはずです。

といったあたりで。
ではっ。









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非実在青少年に対するみだりな規制に対して我々がすべきこと~近年のパンツ表現を振り返って~   2010.03.14

数日前、我々の元に爆笑モノの恐るべきニュースが飛び込んできました。



東京都「顔や声が18歳以上に見えない二次元キャラを『非実在青少年』と定義して規制する」

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1429873.html



東京都青少年健全育成条例改正問題のまとめサイト

http://mitb.bufsiz.jp/



規制反対派:保坂展人議員のブログ

http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/1dc69866b2b3b5c69eea9edb1269327a





まあ、こうした記事の数々を紹介するまでもなく、今東京で、ひいては日本全土で巻き起こっている“規制議論”に関しては皆さんもご存知のことでしょう。

非実在青少年という言葉が斬新すぎて何か変なツボに入ってしまい、この言葉を見る度に爆笑してしまう、という個人的な問題は置いておくとして、こうした“規制”の流れは何も今に始まったことではございません。

例えば昨年なんかも、某凌辱ゲームの海外流出に端を発した“凌辱規制騒動”が起こりましたし、また、近年は様々な媒体・コミュニティで“児童ポルノ規制強化議論”が頻繁に取りざたされています。

もっとも、こうした動きすら“つい最近”のもので、過去に遡り始めたらキリがないほど大昔から“規制の流れ”は寄せては返す波のように繰り返されているんですよね。


こうした中、我々に出来ること、いや、すべきことは何なのか、果たして本当に「声を荒げて反発する」だけでよいのか、所謂“世間一般”の誰の耳にも届かない屁理屈を並べ立てることで本当に事態が解決するのか、そういったあたりを少し考えてみたく思います。




というわけで、「デスクトップ¥パンツ画像フォルダ」の中に眠る数少ない在庫から選りすぐりのパンツを並べ立ててみましょう。




○アナザーパンツ


ggg

aaa

※ストライクウィッチーズ(2008年/監督:高村和宏、原案:島田フミカネ)


「パンツじゃないから恥ずかしくない」という名言を生み出した革新的なコスチュームが話題となったことは読者諸兄も記憶に新しいことでしょう。

そもそもパンツとは何なのかという根本的な問題を我々に提示してくれました。




○インビジブルパンツ


ttt

fff

※咲-Saki-(2009年/監督:小野学、総作画監督:佐々木政勝)


上記のストライクウィッチ―ズと同じGONZO制作のこの作品は外せないでしょう。

「そもそもパンツを描かなければオッケー」という、もはや開き直り以外の何ものでもない斬新な“パンツ描写”が話題となりました。

確かにその通りではありますよね。
パンツを描くのがダメだと言うならこの処置は仕方ありません。

まさにパンツ隠して尻隠さず。


(残念ながらマイPCに資料が保管されていませんでしたが、咲-Saki-の少し前に“屍姫”という作品で同様のインビジブルパンツが描かれていたことを追記しておきます)




○ビフォアーパンツ/アフターパンツ


ccc

eee

bbb

ddd

※かんなぎ(2008年/監督:山本寛、シリーズ構成:倉田英之)


この作品で描かれたのは、ナギ様がこれからはく予定のパンツ(上)と、今まではいていたパンツ(下)の二種類です。

即ち、はいているシーンを直接描くのではなく、パンツの“事前提示”と“事後提示”を行ったのですね。

つまり、「パンチラではなくパンツそのものであれば恥ずかしくないのではないか」という試みでした。




○サブリミナルパンツ


hhh

iii

※けいおん!(2009年/監督:山田尚子、総作画監督:堀口悠紀子)


然るべき角度からならパンツが見えているであろう“状況”を提示した上で、直後にパンツ柄の“イメージ”を挿入するという手法ですね。

これは新房昭之監督・ひだまりスケッチにおいても同様の演出がなされていました。

パンツの形状は一切描かずにイメージのみで視聴者に“連想”を促すという、極めて重要なテクニックでした。




○プラシーボパンツ


ba

ppp

※(上) バカとテストと召喚獣(2010年/監督:大沼心、シリーズ構成:高山カツヒコ)
※(下) とある科学の超電磁砲(2010年/監督:長井龍雪、シリーズ構成:水上清資)


最新のパンツです。

この新しいパンツ表現は少し特殊なもので、過去のデータベースを参照することで効果を発揮します。
ずばり、新房昭之監督“化物語”の冒頭です。


qqq


注目すべきは画面右下、パンツと共に描かれた“タイムカウント”ですね。

つまり、“化物語”での開き直り英断によって、我々は「タイムカウント=パンツ」という大きな“刷り込み”を得ることが出来たわけです。

そしてそれを踏まえた上で、上記の二枚の画像を見た時、そこに直接的なパンツなど描かれていなくとも、プラシーボ効果によって即座に「非実在パンツ」を見出すことが可能となりますよね。

規制の網をかいくぐり見事な決断力で描かれたパンツが後世にまで“偽薬”として受け継がれて行く。
なかなかに感慨深いものがあります。



また、このプラシーボパンツは、時としてその姿を変質させ、一個の生命として躍動します。




○フライングパンツ


aa

ss

※そらのおとしもの(2009年/監督:斎藤久、総作画監督:渡邊義弘)


これはパンツではなく“鳥”です


あくまで“鳥”なんです。



と、いうことは、逆に考えると…

例えば“あにゃまる探偵キルミンずぅ”で描かれた、カノン様が(パンツが見えそうな角度で)スカートをなびかせながら身を躍らせた直後に飛来する何ものかであったり


lll

mmm



“こばと”の周りをこれ見よがしに飛び交う何ものか、なんかは


kkk

nnn

ooo

jjj


果たして何を意味しているのでしょうね?







といった感じで、パンツフォルダの中から最近のものをいくつかピックアップしてみましたが、いかがだったでしょうか。

最近の作品を簡単に振り返っただけでも、実に様々な“規制回避パンツ”が描かれていますよね。


そして、ここで表題の規制問題へ。

俺は思うのです。
今我々がなすべきなのは、伝わりもしない無茶なロジックを組み立てることでも、ヒステリックに騒ぎ立てることでもなく、来る日に備えて「いかにして規制をかい潜ってパンツを描くか」という建設的な考察/議論を行うことではないでしょうか。

どれだけ騒いだところでどうせもう後には引けない状況になってるんだから無駄な体力を浪費せずに少しでも建設的な方向に頭を働かせた方がよいのではないか。

そう、思ってしまうのです。




そもそもですよ、“規制反対派”の意見にしたところで、はたから見てたら結構痛々しい屁理屈や綺麗事しか出てきていないわけですし、表現の自由だの何だのと綺麗な言葉で取り繕ったりしてる時点で既に“規制推進派”のロジックと大して変わらない気がするんですよね。


なのでここはいっそのこと、もっと正直に、そう、正直に、ストレートに、心からの本音として


オナニーの自由


これこそを訴えていくべきなのではないでしょうか。

「心身ともに健やかであるためにも日本国憲法でオナニーの自由を保障すべき」とか何とか、変に綺麗事で着飾るよりもよほど説得力がある気がするんですが。



と、話が逸れましたが、まあ要するにみんなもうちょっと冷静になろうぜ、といったあたりで。

確かに規制だの何だのと、息苦しい世の中になってきてはいますが、決して二次元の火が消えることはないと、俺たちの“想像力”まで規制出来るものならやってみろ、ぐらいの気持ちで力強く生きていくと共に、今後も非実在青少年をみだりに性的な目線で追いかけていきたく思います。


以上。
ありがとうございました。









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