水の音、無形の雫

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パンツ・オブ・ザ・イヤー発表~2010年総括/そして時代はペロ年代へ~   2010.12.25




恐らく年内最後の更新になります。
今年一年を締めくくるとともに、次の一年へのステップとして、いくつかのパンツ表現を振り返ってみるのも悪くはないでしょう。
そして、優れたパンツ表現にはそれ相応の賛辞が送られて然るべきでありましょう。

まずは、多くの人々に夢を与え、その生活に潤いを与えたであろうパンツを「グッドパンツデザイン賞」として表彰します。


・時を刻むパンツ

2010年の幕開けに我々の目に飛び込んできたのは、「バカとテストと召喚獣」における、時空を越えた刷り込み型パンツでした。

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この、一見するとパンツなどどこにも映っていないように見えるカットを見た時、しかし我々の脳内では確かにパンツがその姿を顕しました。

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つまり、画面下に描かれた「タイムカウンター」により、我々は非実在パンツを幻視することになったのです。
もちろん、初めてパンツとタイムカウンターがセットで描かれた「全ての始まり」である「化物語」が、新房昭之監督/シャフト制作による作品であり、「バカとテストと召喚獣」の大沼心監督と明確な繋がりが存在する点は決して無視できません。

また、新房―大沼という文脈を離れ、「とある科学の超電磁砲」においても、同様のタイムカウンターパンツが描かれていたことは覚えている人も多いかと存じますが

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一度他所へと飛び火した表現が、「荒川アンダーザブリッジ」において再び新房監督の元へと戻ってきたという事実は何か感慨深いものがありますよね。

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(「ストライクウィッチーズ」によって「これはパンツではありません」と定義された「スク水」が、タイムカウンターによって「いや、これはパンツですよ」と再定義されたのも重要な出来事でした。)

こうした、心理的な作用、すなわちプラシーボ効果を用いたパンツ表現は、規制だなんだと騒がれているマンガアニメ表現において、今後の貴重な財産になることでしょう。



・戦うパンツ

当ブログでも何度か取り上げました「学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD」では、パンツとゾンビの緊張感溢れる戦いが描かれました。
我々の股間も緊張感に満ちていましたし、何かしらが溢れそうになったりもしました。

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この作品では、これまでいくつかの作品でチャレンジされてきたパンツを見せるためのアイデア(パンツじゃない、パンツはいてないetc...)を嘲笑うかのように、パンツが見えることは前提として、「ゾンビを見せるための演出装置」としてパンツが扱われていました。
我々は、パンツを見るためには気持ち悪いゾンビも視界に入れなければならず、ゾンビから目を逸らすとパンツも見失ってしまうという苦行を強制されたわけです。
(細かい話は過去の記事を適当に漁ってみてください。)

また、ゾンビとの戦闘における、各キャラクターの戦闘力の指標としてもパンツが一役買っていました。
戦闘力の高いキャラほどパンチラが多く、非戦闘員の幼女や先生はほとんどパンチラがなかったのですね。(このへんも昔の記事参照)

こうした、パンツを物語における演出装置として活用する手法は、これまでの「どのようにパンツを見せるか」「パンツをどう演出するか」といった文法からはかけ離れた、BD/DVDソフトによる「魔法が解けるよ商法」をも否定するような、極めて挑発的な表現であったと言えるでしょう。



・攻撃力を持つパンツ

先の「学園黙示録」における「戦うパンツ」と地続きに、今度はパンツ自身が攻撃力を持った様を描いたのが「パンティ&ストッキングwithガーターベルト」でした。

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この作品では、パンツが「武器」として扱われているのみならず、その攻撃力の根拠として「脱ぎたてであること」が名言されていました。

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パンツとは、それそのものはただの布切れでしかなく、脱ぎたて、というか、「誰かが着用した」という事実こそが重要であるとの指摘がなされていたわけです。
こうした、我々がパンツに対し並々ならぬ関心を抱く所以、パンツがパンツであるための定義が明確に描かれた点は、高く評価すべきでありましょう。
また、パンツと比べて、ついついおざなりにされがちな「ストッキング」が、パンツと同等の存在として扱われていた点も評価に値します。

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あるいは、悪魔姉妹の登場によって、「スキャンティー」と「ニーソックス」の等価性も描かれていたわけですから、もしかしたら、我々は今、「女子が身につけたものはすべてパンツである」という未曾有の可能性に直面しているのかもしれません。



というわけで、以上の三作品を今年度の「グッドパンツデザイン賞」としてその栄誉を称えるとともに、製作者の方々に敬意を表します。
(他にも「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」や「けいおん!!」など、語るべき作品はあるような気もしますが、あんまりよく覚えてn時間の都合により割愛します。)

そしていよいよ、今年度の最優秀パンツ、「日本パンツ・オブ・ザ・イヤー」の発表です。
数多くのパンツ描写の中から最も優れたパンツとしてその栄光を勝ち取ったのは――


・物語るパンツ

満場一致でパンツオブザイヤーに選ばれたのは「迷い猫オーバーラン!」における「物語とシンクロしたパンツ」でした。

第一話、文乃のスカートに頭を突っ込みパンツを視認するという斬新なシーンから始まった物語は

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最終話を迎えて、希のスカートに頭を突っ込みパンツを確認するというケツ末を迎えました。

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このことは、最終話における「ぶるっつ」の一件とも相まって、「希エンド」という物語の終着を提示するとともに、文乃の縞パンではなく希の無地パンを選んだ主人公の心情が的確に表現されていました。
昔からの幼なじみである縞パンではなく、あとから家族として迎え入れられた無地パンが選ばれた――そのあたりの詳細は最終話レビューを参照のこと:パンツ論争の終着点『迷い猫オーバーラン! 第12話』――パンツによってこれほどの物語的カタルシスが描かれるのは賞賛すべき事態でありましょう。

またそれだけでなく、この作品においては、これまで我々の視界をパンツから遮り続けた「光」が、有用な演出装置として機能していた点も無視できません。

迸る光の奔流『迷い猫オーバーラン! 第2話』

継続する光の反乱あるいは氾濫『迷い猫オーバーラン! 第3話・第4話』

これらの演出に上記でも触れた「ぶるっつ」を加えた上で、ヒロインの選択にパンツを重ね合わせることによって、全体として一切まとまりのなかったストーリーにおける明確な道しるべとして機能させ、まさにパンツによって物語が形成されるに至ったこの作品を、2010年度パンツ・オブ・ザ・イヤーとして不当に賛美したく思います。




・ペロ年代へ向けて

さて、今年一年をパンツとともに振り返る作業は一段落して、ここからは次の時代へ目配せをしていきます。

2010年という年は、一つの区切りの年でもありました。
いわゆる「ゼロ年代」が終わりを迎え、次の年代へと移っていくのです。
もっとも、「ゼロ年代」という言葉がどこからどこまでを示すものなのか――単純に2000年代を指すのか、あるいは「セカイ系」だの「決断主義」だのといったよく分からない言葉に基づく時代認識なのか――などという議論は各所でなされていますが、ここでは、ある一つの消費傾向によって時代を区分します。

というような衒学的な言い方をするとあたかも真面目ぶった話であるかのように思われるかもしれませんが、今からここで語られるのは主にパンツに関係する身近なお話です。


マンガの関係が好きな人の中には、ある特定のキャラクターを「嫁」として所有したいと感じている人が多いという印象を受けるわけですが、そのことこそが「ゼロ年代」の一つの特徴ではないかと考えます。
つまり、ゼロ年代とは、キャラクターを「嫁」として「所有」する時代だったのです。

そして、次の時代――正確にはもう既に片足を突っ込んでいる――は、「コミュニケーション」の時代になるのではないかと推測します。
どういうことかというと、今年、「俺の嫁」という言葉に変わって、「マジ天使」という言葉が大いに流行しました。
これは、ゼロ年代において流行した「俺の嫁」に比べて、個人による所有の主張よりも、より大勢の人間による、「◯◯ちゃんって可愛いよね!」という「意識の共有」と言えるでしょう。
つまり、キャラクターに対する愛情表現が、「所有」から「共有」へと変わり、そのことをもって我々は「仲間」とのコミュニケーションを行うようになったのです。
(あるいは、「嫁」として個人的な所有を主張する時代から、「天使」として皆で「崇拝」する時代へ移り変わったという言い方も出来るでしょう。)

また、「マジ天使」と双璧をなすもう一つの愛情表現として、「ペロペロ」が大ブームとなりました。
前述の「マジ天使」がある種仲間同士の崇拝の儀式として機能するのに対し、この「ペロペロ」は、嫁(天使)自身とのコミュニケーション手段と言えるでしょう。
「嫁」として所有していたキャラクターと、「ペロペロ」を通じてコミュニケーションするのです。
ガラス越しのペロペロありな人?

もちろん、ペロペロだけではありません。
「クンカクンカ」や「ちゅっちゅ」も、そうしたコミュニケーションの一環として、もはや我々の性活に欠かせないものになっていますよね。
ペロペロする、クンカクンカする、ちゅっちゅする、男性器で障子を破る、そういったコミュニケーションは、我々と嫁(天使)との関係をより強固に、親密なものにしてくれます。
(例えば、激しい運動を行ったあとの嫁の腋をペロペロしたり、一日動き回ったあとのパンツをクンカクンカしたいという欲求は誰しもが持っていると思いますが、そうした行為は、相手のその日一日の行動を共有したい、相手の味や匂いを体感することである種の「同化」を図りたいと、そういった願望から来るものであると考えられます。つまり、ペロペロやクンカクンカすることによって、相手と擬似的に「同化」することが可能となるわけです。これは最大級の愛情表現であると同時に、人類史上最高のコミュニケーション手段と言えるでしょう。)

特筆すべきは、そうした「コミュニケーション欲求」とでも言うべきものが、単なる妄想ではなく、現実的に「相手」の側からも徐々に満たされつつある点でしょうか。
「ラブプラス」なんかはその典型と言えますよね。
某エロゲメーカーから発売された「リアル彼女」なんかもそうですし、もっと簡易的なものではツイッターなどにおけるBOTプログラムなんかもそうでしょう。
少しずつではりますが、しかし確実に、「キャラクターとのコミュニケーション」が可能になってきているのです。
これは大変喜ばしいことです。
もちろん、何かと話題を振り撒いた「可愛い女の子は総じて俺の妹だ」において、桐乃がお兄ちゃんのパンツをクンカクンカしていたり、スタイリッシュ吸血ペロペロアニメ「FORTUNE ARTERIAL-赤い約束-」に至っては、エリカ様による首筋ペロペロのみならず、支倉君の匂いの染み付いたアイテムをクンカクンカする様までもが描かれていたりなど、我々はついに嫁の方からもクンカクンカされるようになってきた、という事実を見過ごすことは出来ないでしょう。
ガラス越しのペロペロではなく、生の双方向ペロペロによって、おもしろくて未知で愛おしい反応を得ることが可能になる時代はすぐそこまで来ているのです。
そして、そんな新たな時代、コミュニケーションの時代を、今ここで「ペロ年代」と名付けます。

嫁を天使として共有し、ペロペロを通じてコミュニケーションする時代、それが、ペロ年代。
この新たな時代に立ち会えたことに、大きな喜びと期待を感じつつ、今日はこのあたりで筆を置かせて頂きます。

御性聴ありがとうございました。





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