水の音、無形の雫

アニメやゲームのレビュー、日常の様々な事象に関する考察など。C86・3日目東P21a

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2011年夏期新作アニメレビュー 『快盗天使/神メモ/生存戦略/うたプリ』   2011.07.14


最近は架空の妹に期末テスト前の勉強を教えたり、非実在幼なじみが遊びに連れてけとうるさかったり、同人誌の原稿を書いたり――シンシアニメ(8月13日(土)東地区“Q”ブロック-25b)もう少ししたら目次などアップできると思いますのでよろしくお願いします――などなど、日々の生活の忙しさにかまけてこのブログの方も長いあいだ放置しておりましたが、新作アニメが続々と始まっているので、いくつかの作品について、一言感想的な感じで気になったポイントだけピックアップしておきます。


・快盗天使ツインエンジェル

監督・岩崎良明というクレジットを見た瞬間から漂い始めたガッカリオーラに間違いはなく、予想通りな出来になっていましたが、一点だけ、考察するに値する箇所がありましたよね。

Twin Angel1

Twin Angel2


第一話での女子便所のシーンです。
個室に二人で入って機密にまつわる会話をする、という場面ですが、ここで問題となるのは、会話を終えた二人が取った行動です。

Twin Angel3


手を洗っていますよね。
会話をするだけなら手を洗う必要性は感じられないわけですが、では、この二人は、個室に二人で入って一体ナニをしていたというのでしょうか。
女の子の秘密はいつでも我々男子(紳士)の興味を誘います。

ところで、最初に述べたように、この作品からは「オオカミさん」クラスのガッカリオーラが漂っているわけでありますが、そのこと自体が実は面白い現象であると言えるのではないでしょうか。
昨今では、漫画、ラノベ、ゲームに加えて「パチンコ」というジャンルでのメディアミックスが多く見られます。そうした中、漫画やラノベがこれまで通ってきた道である「J.C.STAFF/岩崎良明」というガッカリアニメの道を同じように辿るというのは、ある意味ではメディアミックスの通過儀礼と言えるでしょう。
つまり、「吉宗」「うみものがたり」から始まり、「Rio」「戦国乙女」を経て、いよいよこの「ツインエンジェル」によって、漫画やラノベと同じく「パチンコ」がメディアミックスの一角に定着した、と考えられる気がするわけです。



・神様のメモ帳

原作ファンのあいだでは一話にして早々に駄作認定されている感がありますが、初っ端から半裸の女の子が降ってくるという描写なんかは、その女の子が恐らくもう二度と主人公たちと関わらないであろう点を含め、既存の所謂「落ちもの系」に対する皮肉を感じ取ることができるでしょうし

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落ちた先が「ゴミ捨て場」であった点にも挑発的なものを感じます。
また、最後には俺のアリスがその愛らしい半ケツを晒していましたが

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事件の解決とアリスの開ケツが掛け言葉になっており、これだけですべてが許されるほどに優れたラストシーンとなりました。(二日間お風呂に入っていないアリスのパンツはスタッフが美味しく頂きました)
それから、半裸の女の子やアリスの半ケツは映し出されても、彩夏のパンツが一切描かれなかった――鋼鉄スカートをはいていた――という事実も気になりますね。パンツはいてない説も含め、何話か進んだ段階でパンツの欠片を再構成する必要がありそうです。



・輪るピングドラム

一話の「引き」に関しては今期随一だったのではないでしょうか。
「生存戦略」という言葉もキャッチーですし、何より俺の陽毬さまがあまりに神々しい。

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実は第一話を視聴する直前までタイトルを「輪るピンクドラム」だと思っていて、ピンク=性的ななにか、ドラム=洗濯機のことだと、つまり、洗濯機でパンツやブラを洗う話だと予想していたんですが、とんでもない勘違いだったようです。実際には妹のパンツやブラをクンカする話になりそうですね。

第一話で最も重要だったのはやはりワンカットだけ挿入された便所の扉でありましょう。

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キッチンやリビングと同じく、可愛らしく飾り付けされた便所の扉は、そこが他の部屋と地続きになった「生活空間」であることを表しています。
この作品の登場人物たちは、当たり前の生理現象として排泄行為を行う「排泄する身体」を有しているわけです。(「排泄する身体」を詳しく知りたいと思った方は冒頭でも述べた「シンシアニメ」を参照することでその概要を理解できるでしょう)

この作品のキーワードである「生存戦略」とは、「排泄」のことではないかと考えられます。あらゆる生物にとって生きるために必要なこと、それは排泄行為であり、そこには「いつ/どこで」行うかという「戦略」の要素が含まれます。
犬や猫なら「縄張り」という概念によって「排泄戦略」が行われるでしょうし、人間社会でも、例えば学校でうんこしたら「うんこ大王」とあだ名を付けられる、ゆえにうんこは家でしよう、といった戦略が必要にもなるでしょう。
そういった点を踏まえた上でこの作品を見返してみると、最後のトンデモ空間での晶馬の落下シーンも

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まるでボットン便所を模しているかのように思えもしますよね。
もちろん、冷蔵庫に掛けられたホワイトボードに書かれた、恐らくはお買い物リストでしょうか、「トイレットペーパー」という単語も見落とすわけにはいかない。

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ここからも、陽毬さまたちがトイレットペーパーを必要としている存在であることが伺えます。
まだまだ始まったばかりなのでこれからどのような話になるかは未知数ですが、便所的な観点からも目が離せない作品となるでしょう。



・うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVE1000%

「ピングドラム」の色彩センスを賞賛(または批判)する声は多いですが、もはや「色彩」などという言葉すら意味をなさないほどの圧倒的なセンスに彩られたこの作品は、「赤/ピンク髪」や「青髪」といった、よくよく考えたらリアルではあり得ないがフィクションでは普段から当たり前のように受け入れられている要素ですら、強烈な「違和感」として我々の前に「非現実性」を叩きつけてきます。

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当然のことながらそうした超センスは、制服デザインにもあらわれているわけですが、一際目を引くのはやはり主人公の瞳の色でしょうか。

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髪や制服の色と合わせて、赤、黄、緑と一人で信号機を表現してしまったこの主人公は、シリアスな場面になればなるほど我々の笑いを誘ってくれますし、逆にコミカルな場面では何とも言いようのない恐怖心を煽られもするでしょう。このドギツイ配色がなぜここまで人の精神を不安定にするのかは専門家でもないので分かりませんが、我々が普段から当然のものとして認識している非現実的な色彩について、改めて考えさせられますよね。

ついでに、すごくどうでもいいことですが、この主人公を最初に見たとき誰かに似てると思ったんですよね。
誰だっけかなと思い出してみたらミダス銀行のアイツでした。

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以上、とりわけ気になった作品だけ簡単に。
他にもいくつか興味深い作品はあるので、いずれレビューするかもしれません。













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パンツまたは便所のこと 『アスタロッテ/戦国乙女』   2011.05.20

テーマ:アニメ・感想 - ジャンル:アニメ・コミック Tag [パンツ] [便所]

まずはパンツの話から。
釘宮病患者のための向精神薬として局所的に猛威を振るっている「アスタロッテのおもちゃ!」その第6話において描かれた、優れたパンツ表現についてここに書き残しておきます。

今回の話では、「主人公の娘」というあまり類を見ない属性を与えられたパンツはいてない幼女・明日葉が、文字通り「鍵」を握ることになりました。
簡単に流れを振り返ってみると、大賢者さまに会うためドラゴン的な生物に騎乗位で搭乗し出発するわけですが、その際、珍しくパンツをはいている様が映し出されます。

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次いで、大賢者さまに謎掛けを提示された際、明日葉が脱ぎたてパンツを差し出すことにより扉がくぱぁする、というものでした。(大賢者さまのうさ耳と、パンツのうさぎ柄を合わせ絵にするという細かい演出も素晴らしい)

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(パンツを脱いで開放されるのが「二つの穴」であるというのも示唆的に映ります。)


ここで重要なのは、明日葉が普段はパンツをはかない存在であるということが、これまでの話で繰り返し強調されてきた点にあります。
我々はいつの間にか、明日葉がパンツをはいている状態に違和感を感じるようになっていた、この場において、パンツが「異質なもの」として映ったはずです。
だからこそ、普段は所有されていない異質なアイテム=パンツが扉を開くための「鍵」になることに不自然さを感じなかったわけです。
これが例えば普段からパンツをはいているキャラだったらどうだったでしょうか。
脱ぎたてのパンツは確かに人の心を開くに値する存在かもしれませんが、パンツによって扉を開けた大賢者さまは変態の謗りを免れなかったことでしょう。
しかし実際には、この時のパンツは、RPGなんかでよく見る「キーアイテム」として用意されていたわけですから、それによって扉が開かれるという現象はどこにも不自然な点は見当たらないと、そういうわけです。

こうした、キーアイテムとして機能するパンツは、これまでのパンツはいてない描写の積み重ねであると言えますが、実は物語の鍵としてだけでなく、もう一つ大きな意味が込められています。
明日葉がパンツはいてないキャラであることは前述した通りですが、この幼女は、これまでにいくつかの作品で描かれてきた「パンツはいてない」――例えば「咲-Saki-」や「Aチャンネル」など――とは一線を画しています。
それは、これまでの「パンツはいてない」が、実質的にはパンツをはいているがあえて「描かない」ことによる「パンツはいてないから恥ずかしくない」という、パンツ規制へのカウンター的な側面を持っていた、つまり制作者側の都合によるメタ視点での表現であったのに対し、明日葉の「パンツはいてない」は、作中人物の意思によってはいてない、ネタ視点の表現であるという点にあります。

このことは、ある一つのメッセージを浮き彫りにします。(まるでパンツに浮き彫りになる縦筋のように!)
明日葉のノーパンツスタイルは、先ほど述べたように、自分の意思によるものですから、「パンツはいてない」というよりは、「パンツはかない」と表した方が適切でしょう。
そして、そうしたパンツの「はかなさ」はそのままパンツという存在の「儚さ」に直結します。
普段は人目に触れることなく、草場の陰(性的な意図はない)から我々の生活を見守ってくれているパンツ。
因果律の積み重ねにより、時々ほんの数瞬だけ我々の前に現れてくれるパンツ。
紳士的な休憩所でご対面した時には、すぐに脱がされてしまうパンツ。
そういった、パンツという存在の「儚さ」を表現するための「パンツはかない」描写、そしてその「儚さ(=はかなさ)」が、これまた儚い存在である「幼女」――幼女という期間は人間の一生においてあまりに短命である――によってなされている。このことに我々は切なくも美しい情緒を感じずにはいられません。
つまり、この作品における「パンツはいてない」は、「パンツ/幼女」の「儚さ/はかなさ」が幾重にもミーニングされた意義深い表現だったのです。
今回取り上げた「鍵」としてのパンツにしても、一種の演出装置として「脱がされるために」用意されていたわけですから、そこには「消えるために打ち上げられる」花火のような日本的な美意識を感じ取ることが出来るでしょう。
非常に味わい深いパンツ表現でした。


といったあたりで、前座はこのぐらいにして便座もとい便所の話に移ります。
この第6話では、パンツもさることながら、大変興味深い便所描写がなされました。
ロッテさまが人間界の便所の洗礼(ウォシュレット的な意味で)を浴びるシーンです。

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よく、外国人が日本に来た際には、ウォシュレットに感動または驚愕すると言われます。逆の場合もしかり、例えば中国なんかでは間仕切り壁のないフルオープンな便所が話題になりますし、水洗ではなく所謂ボットン便所が主流の国もまだまだ多い。
便所の様式は異文化交流における最重要項目であると言えるのです。
そうした中、ロッテさまはその幼いながらも発育途上の青い果実のような瑞々しい肉体によって精製された黄金色に輝く聖なる液体をまだ開発されていない閉じた蕾のような深淵への出入口を通して外界へと排出なさっていたわけですが、そこで「ウォシュレット」という近代科学の最先端技術の結晶に直面するわけです。
ファンタジーとサイエンスの交錯です。
こういった、異文化における便所の様式の違い(個人的に「トイレーションギャップ」と名づけたい)が臆することなく描かれた事実は賞賛に値します。
便所論壇的に大変意義のあるシーンでした。
ちなみに、このウォシュレット描写が、実はアバンタイトルの時点で

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“花ビラ”に水をぶっかけるという形で示唆されていた点は見逃すわけにはいかないでしょう。
最初から既に伏線が張られていたわけです。

思えば、この作品は、そもそもの物語の起点が、主人公が金髪巨乳サキュバス(CV:皆口裕子)の肉便器になったというところにあるわけですし、そういった意味でも、なるほど確かに「便所的」な作品であると言えるでしょう。
先述のパンツ表現と合わせて、ますます目が離せない作品になってきました。

ところで、便所と言えば「戦国乙女」でありますが、前回の舞台の便所化に続いて、第6話においても、その便所的な目配せはしっかりと行われていました。
この回は、主に回想シーンがメインとなり、例えばミツヒデとノブナガの出会いや、騎乗位での初デートの様子、そして休憩に適しているであろう個室において

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(女同士であるがゆえに)男性器の代わりに「茶」を勃てるという性的な描写が無修正で描かれたり、その際にはノブナガさまが「お前の頭は石よりも硬い」と、まるで男性器への感想であるかのような評価を口にしていたりなど、ミツヒデこそが挿入する側、つまり「攻め」であったことが示唆されました。
この時の、休憩に適している淑女的な個室が、あたかも便所の個室であるかのように見えるかどうかはさておき、問題なのは後半、ノブナガさまの回想によって語られたノブサダお婆ちゃんの言葉でした。

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「水を制したものが国を制する」
これを便所的な発想と言わずして何と言いましょうか。
(この時代、恐らくもっとも水を制していたのは、水洗便所に並々ならぬ情熱を注いでいた武田シンゲンであったでしょうが、彼女がケンシンとのイチャイチャに終始せずに本気で国盗りを狙っていたら、もしかしたら日本の歴史は大きく変わっていたかもしれません。)
この、「水を制した~」発言は、本編へとそのままフィードバックされます。

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「スイッチを押すと水が流れる」というきわめて便所的なシステムは、舞台の便所化だけでなく、水を流すことによって外部への突破口を開く、という描写によって、ノブナガさまの便所レベルのアップ、「水を制する」に一歩近づいた事実があらわされています。

一方、ノブナガさまとヒデヨシちゃんが水に流されている頃、快便乙女であるところのミツヒデさんは、何らかを洗い流すかのような雨に打たれながら、「水場」の側でマサムネ先生と会談乙女を行っていましたよね。

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そして、ノブナガ/ヒデヨシの排水乙女と交錯した時――

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まるで何かしらを洗浄せんとばかりに「ウォシュレット」が起動したわけです。
(もちろん、アバンタイトルで“花ビラ”が水に打たれる様が映し出されていた伏線も忘れてはならない)

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ここまで高い準で便所化された物語を見せ付けられた今、我々はもうこの作品を便所なしに語ることは出来ません。
今こそ高らかに宣言しましょう。
便所を制したものが天下を制する、と。


以上。













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2011年春期新作アニメレビュー(2) ~便所的な~『戦国乙女、俺たちに翼はない』   2011.04.11

テーマ:アニメ・感想 - ジャンル:アニメ・コミック Tag [便所] [パンツ]

はい、新規アニメレビュー第二弾です。
サクサクっといきましょう。




・戦国乙女~桃色パラドックス~

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パチンコ機が原作ということで、前期におけるベスト(またはワースト)アニメ「Rio」を思い出す人も多いかもしれませんが、実際には、「便所」に焦点が置かれた、「放浪息子」に近しい作品となっていました。
印象深かったのはやはり、Bパートのファーストカットで描かれた便所(厠)でありましょう。

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Bパートといえば、信長との対談により物語が動き出す、きわめて重要なパートであり、そうしたパートの始まりが便所であった、という点は留意する必要があります。
まさしくこの物語は「便所から始まっている」と言えるでしょう。

加えて、ラストシーンにおいては、再び便所が描かれ

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そこでは主人公による決意の表明(これからどうすべきか、という指針の確認)が行われていたわけですから、やはり我々は、便所という空間の心理的効用にも着目せねばなりません。
つまり、便所とは、物事を決断するに至る舞台にもなり得る空間であると。
こうした、以前から当ブログでも指摘していた、便所における物語的な有用性が活用されているのみならず、もう一点、ここで描かれた便所が「ボットン便所」である点にも興味深いものがあります。
アカシックパンツ論の応用としての「アカシック便所」への言及です。
乙女たちの体内から抽出されたアレやコレといったライフログが、水に流されることなく蓄積された、いわば「生命」の集積所。
現代では失われてしまった古き良き知と痴の遺産、それがボットン便所なのです。
よほどのド田舎にでも行かない限り遭遇することのできない文化遺産が、アニメによって再発見されたという事実には興奮を抑えきれません。

もちろん、アニメキャラにおける排泄問題、アニメキャラの排泄は是か非かといった問題提起が行われている事実も忘れるわけにはいかないでしょう。
ギャグとしてのうんこネタやおしっこネタ、あるいはサービスカットとしてのお漏らしなどではなく、あくまで物語上の1シーン、キャラクターの日常的な生活の場としての便所――そういった描写がなされることは、アニメキャラが「排泄する身体」を手に入れたことをあらわす――が、第1話という、作品の導入部分、作品の「顔」となる部分で描かれたことは賞賛に値します。
なぜなら、我々は今後、この作品を視聴するにあたって、「この娘は現実の人間と同じく排泄機能を備えた身体を有している」と常に認識しながら視聴することができ、それ故に、他の、非現実的な身体性を有したキャラクターたちよりも、より身近に、より親密にキャラクターと接することができるでしょう。

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と、いったように、思わぬところで便所の有用性を再認識させられたこの作品、恐らく今後は、「えぇ!?ウィスパー売ってないんですか!?」「た、タンポンってどうやって使ったら……」というような場面や、「着替えのパンツがないんですが……」「ムダ毛の処理はどうすれば……」といった問題が必ず出てくるはずですので、そうした描写がどこまでなされるのかという点に注目していきたく思います。




・俺たちに翼はない

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ヒロインたちのパンツデザインを公募によって決めるという画期的なアイデアが注目された作品でありますが、なるほど確かに、そのパンツ表現には一定の評価がなされて然るべきでしょう。
そのためにはまず、昨年のグッドパンツデザイン賞受賞作品である、タイムカウンターパンツ(参照:パンツ・オブ・ザ・イヤー発表)を思い出さなければなりません。

新房昭之監督・化物語から始まったタイムカウンターパンツは、2011年になった今でもなお、その存在感を発揮します。
我々は、きなこさんの登場シーンにおいて現れた「タイムカウンター」を決して見逃しはしませんし

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同じ「時を刻むツール」である「アナログ時計」の存在にも目を向けることとなるでしょう。

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したがって、結果として、きなこさんから基準値を越えるパンツが検出されたとしても、直ちに股間に影響はありませんでした。

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また、コンパクラッシャー英里子のパンチラにしたところで、きなこさんと同じく時計が描かれてもいたわけですから

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やはり同様に、取り立てて騒ぎ立てるほどのことではありませんでしたよね。
ただし、ここでは、デジタルの時間表記からアナログのそれへとシフトした、という点は強調されねばならないでしょう。
このデジタル→アナログという変化には、何らかの意図が含まれているはずですので――今はまだ「地上波デジタルへの強引な以降に対するアンチテーゼとしての痴情派アナログパンツ」という程度の仮説しか思いつきませんが――今後の話の展開に大いに期待したく思います。(もっとも、これらのパンツ描写にしたところで、せめてパンツの柄と時計の裏の壁紙を揃えるぐらいのことはしてほしかった、といった消化不良な感は否めないわけでありますが)


さて、パンツについてはこのぐらいにして、この作品の主題である便所へと話題を移しましょう。
きなこさんが「便々しない」派であることが判明したシーンが、恐らく第一話のハイライトであったでしょうか。

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――便々しないよ、女の子だし――


この、あまりに前時代的な思想は、この物語が、先にレビューした「戦国乙女」とは真反対に位置する「排泄を許されない身体」を有したキャラクターたちによるものであるとの宣言に受け取れます。
こうした保守的な姿勢は確かに、Navel(原作)という老舗ブランドや、西又葵というエロゲ文化(≒萌え文化/処女厨文化)の象徴と言える存在の名前によっても担保されているでしょう。(このことはもしかしたら、先述の「パンツのアナログ化=パンツの前時代化」にも繋がっているのかもしれません。)

しかしその一方で、この作品もまた、便所の有用性を考える上で決して外せない作品であることも明白です。
例えば、合コン(合同コンドームにあらず)における「連れションミーティング」が夢だと語るマスターの存在などは

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この作品において、「便所」とは排泄を行う場ではなく「会議室」であるべきだと解釈されている旨が伺えます。(会議室としての機能は「君に届け」なんかで示唆されていましたよね。)

加えて、アレキサンダーパートの最後、鷲介が便所に駆け込むシーンなどは

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(重大なネタバレになるので詳細は避けますが)この物語がまさしく便所を基点として始まっていることを巧みに演出しています。
「排泄する身体」は否定されるその一方で、物語的な効果はしっかりと活用されているわけです。
また、この便所描写の直前のシーンがきなこさんのパンチラメルトダウンであったこと、つまり、パンツによって便所へ誘導されたというのも中々に興味深い現象ですし、件の「アナログ時計」にしても、実は結構な伏線になっていたり――このあたりも激しいネタバレになるので自粛しますが――便所を軸とした時計、パンツの流れは実は結構秀逸だったのではないかと、恐らく終盤頃になると気付く人も出てくるでしょう。

というような感じで、便所に関して戦国乙女とはまた違った解釈がなされていたこの作品も、やはり便所から始まった物語であると、そして、今後はどのような便所表現がなされるのかを注視したいところです。


以上。













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新アニメが始まる前に――超簡易版便所論・序章――   2011.04.02

テーマ:アニメ・感想 - ジャンル:アニメ・コミック Tag [便所]

当ブログでは以前、「放浪息子」における便所を介したドラマツルギーについて言及しましたが――女子便所から発生するドラマ 『放浪息子 第7話』――7話に続いて、第8話、及び第9話においても女子便所が有用な演出装置として働いていた点は指摘されねばならないでしょう。
この作品において、高槻くんと千葉さんのコミュニケーションは主に女子便所で行われます。

また、「STAR DRIVER 輝きのタクト」においても、便所は圧倒的な存在感を見せつけます。
例えば、タクトとミズノが邂逅を果たしたのは男子便所でしたし、ワコ、ケイトらヒロイン同士の会談も女子便所が主な舞台となります。


ところで、便所、とりわけ「公衆便所」には、公共の施設でありながら個のための空間が広がっている、という稀有な特性が備わっています。基本的に誰でも無料で使えて、なおかつパブリックとプライベートを完全に両立させた空間は他に類を見ません。
そして、そういった「パブリック←→プライベート」の共存は、人間にとって「建前←→本音」の相反する感情を表に晒け出させる場として機能し、故に時として大きな「物語」を生み出す起点となります。

「君に届け」なんかは、まさに「女子便所」から物語が始まっていると言っていいでしょう。
爽子に敵対意識を持つ女子同士の陰口、すなわち「プライベート」が、たまたまそこに居合わせた爽子本人(または爽子の味方)に露見(=パブリック化)したところから物語が大きく動き始めます。
便所とは、排泄物だけでなく「本音」も漏れる場所なのです。
(だからこそ、放浪息子にしろスタドラにしろ、ヒロイン同士の本音対談が実現したわけです。)

また、何かしらの「作戦会議」が行われるのも大抵が女子便所でした。
便所には作戦会議室としての機能も備わっています。
この、意外とスルーされがちな作戦会議室としての便所の有用性は、「フラクタル」においても描かれていましたよね。

第5話、雲隠れしたネッサを探すための拠点、作戦参謀室として選ばれたのが便所でした。
もちろん、この回では「便所掃除」という神聖な儀式も行われていたわけですから、便所という空間がいかに丁重に扱われていたかが分かるというものでしょう。


こうした、アニメにおける便所描写は、物語的に重要な会話/対話シーンを描きやすいという利点――先ほども述べた通り、公衆便所とは、半パブリック、半プライベートな空間であり、「他人にはあまり知られたくない情報(プライベート)」を「限定少数の人間と共有できる(パブリック)」機能が備わっている――に加えて、もう一つの重要な問題を浮き彫りにします。

アニメキャラの排泄問題です。
例えば、「アイドルはうんこしない」といった論は常に多くの支持を得ていますが、では、アニメキャラはどうでしょうか。
我々は、これまでアニメキャラの排泄をあまりに無視しすぎたのではないか。
上述のような便所描写――ギャグとしての便所/排泄ではなく物語の舞台としての便所――によって、アニメキャラはようやく「排泄する身体」を手に入れることが出来るようになったのではないか。
そういった問題と、我々は今こそ真剣に向き合わなければならない――――わけでありますが、この問題を考えるにあたっては、膨大な量の資料及び考察が必要になるので、今のところは「またの機会に」ということにしておきます。
とりあえずは、便所空間における物語的な有用性、この指摘までに留めておきましょう。


以上、ごく簡単にではありましたが、本格的に春アニメが始まるまでに見直しておきたかった問題に関するまとめでした。





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