水の音、無形の雫

アニメやゲームのレビュー、日常の様々な事象に関する考察など。C86・3日目東P21a

FC2カウンター
プロフィール

Peace-AK

Author:Peace-AK
なんとなく気が向いた時に更新していきます。
連絡はpeaceak.mizuonあっとまーくgmail.comまでお気軽にどうぞ。
『シンシアニメ』もよろしくお願いします。


最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
リンクリクリ
OTHERS
検索フォーム
RSSリンクの表示
TOP > 便所論壇

スポンサーサイト   --.--.--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2014年冬期新作アニメレビュー 『ズヴィズダー/セシル/妹ちょ/(ゴールデンタイム)』   2014.02.11


◆世界征服~謀略のズヴィズダー~

治安の悪さが有名な立川で、今度は世界征服を企む組織が動き出しました。
ASS太という名の主人公が今後どのような開発をされるのかはさておき、第二話で描かれた「ロボ子が便所から出てくる」場面は誰もが引っかかりを覚えるでしょう。

sekaiseihuku1.jpg


単純に考えて、このロボ子には排泄器官が備わっており、もしかしたら「内臓」が内蔵されているのかもしれない、ということです。(あ、今のダジャレで笑えなかったらもうこの先笑うところないですよ。)
第四話では、ロボ子が補給しているエネルギー源が特殊な燃料棒などではなく普通の「ウド」であることが判明しました。つまり、少なくともウドを消化・分解し何らかのエネルギーに変換する装置=内臓が備わっていると考えられます。
いずれは「ロボ子の命題」として語られるべき問題ですが、今はまだ指摘だけに留めます。
第二話に話を戻すと、この回ではASS太がズヴィズダー本拠地において「食事」を征服するまでが描かれました。

sekaiseihuku2.jpg


食事を征服するということは、その結果によって得られるもの、具体的にはヴィニエイラ様の排泄物をも征服したことになります。なぜなら、排泄物とは食事によって取り入れた各種物質の成れの果てだからです。
つまり、ヴィニエイラ様のかわいいお尻から排泄されるであろうギャラクティカな物質の成分がいかようなものになるのかは、すべてASS太の調理にかかっている、ヴィニエイラ様にどのようなモノ(固い・柔らかい・臭い・いいにおい・濃い・薄い・など)を排泄させるかはASS太次第だというわけです。食事をつくるということは排泄物をつくるということに他なりません。
このことは、「食卓から墓場まで」というサブタイトルが、「食卓」とは文字通り食事をする場または食事という行為を指し、「墓場」とはその食されたモノの行き着く先、すなわち「便所」を意味しており、食事と排泄がワンセットで考えられていることからも分かります。
第三話において、食事の場で喫煙しようとしたおっさんにヴィニエイラ様が放った『テメーは飯を食ってる横でうんこの臭いがしたらどう思う』との言葉からも、「食事」と「便所」の密接な関係を見て取ることができるでしょう。

sekaiseihuku3.jpg

sekaiseihuku4.jpg


このとき、『うんこの臭いはまだ身体に害はない』とも仰っておられましたが、そういえば、第二話を見ても分かるとおり、ズヴィズダー基地では食卓のすぐ側に便所がありましたよね。ヴィニエイラ様は、これまでにも何度かはうんこの臭いが漂う中で食事をしており、だから「身体に害はない」と知っていたわけですね。(これはしかし、さすがにビフォーアフター案件だと思います。)
ロボ子の命題も含め、このアニメでの便所と食事の関係はこれからも注目していく必要があるでしょう。
なお、作中で度々出てくる「ウド」には、アミノ酸の一種「アスパラギン酸」が豊富に含まれており、尿の合成およびアンモニアの排出をつよく促進する効能が認められています。


◆ウィザード・バリスターズ~弁魔士セシル

「便魔士」の名にふさわしい、上質な便所アニメになりました。

wizard1.jpg

wizard2.jpg

wizard3.jpg

wizard4.jpg

wizard5.jpg


第三話では、須藤性汁がヘッドハンティングの誘いを受けた件を話す会議場として、続く第四話では穂樽夏菜とハチミツさんの関係性に関する議論の場として便所が選ばれていました。
また、第四話における、被告人との面会でガラス越しのペロペロを受けたセシルが、『やっぱりあんなやつの弁護無理です』と被告人をdisっていた場面での、排泄物のみならず「本音が漏れ出す場」としての便所の有用性も見過ごすことはできません。

wizard6.jpg

wizard7.jpg


このアニメでは、(他の便所アニメと同様に)便所とオナじぐらい食事描写が多いことも指摘せねばならないでしょう。
第三話では『セシルンに仕事が回るのが悔しいの?』『正直そうです』といった、「本音が漏れ出す場」としての食事風景が描かれました。

wizard8.jpg


第四話でも仕事場とは違う本音を交えた会議の場として機能しており、作品を通して「食事」が「便所」との対比になっていることが分かります。

wizard9.jpg


もっとも、上記の(第四話での)便所描写のすぐ後に「カレー」をつくっている場面が描かれたのはさすがに度が過ぎるとは思いますが。

wizard10.jpg


そして、第五話ではついに、便所が殺人の舞台になってしまいもします。

wizard11.jpg

wizard12.jpg


アバンで血に染まる便所が描かれると、次いでOP明けすぐに(ケチャップがブッカケられた棒状のナニかを含む)食事シーンが描かれもしました。

wizard13.jpg

wizard14.jpg


これまでの便所と食事の対比が回収されたわけです。もちろんその際には、お弁当とともに陳列された「白いボトル」と「赤いケチャップ」が、「白い便器」と「赤い血液」の比喩になっていたりもするでしょう。食卓から墓場まで。

wizard15.jpg


このように、(第五話サブタイトルの「シックス・ナイン」が示すとおり)性行為におけるシックスナインのイメージと同様に、このアニメでは便所と食事が相互作用し合いながら互いが互いをハッテンさせていく関係であることが繰り返し描かれています。
ですから、作中において魔術使いたちが「ウド」と呼称されているのにも何らかの意味があるように思えますが、そこのところはまだ明確には分かっていませんので、指摘に留めます。
なお、中国では「弁当」を「便当」と表記するなど、「弁」の文字を「便」に置き換えられることがあるようです。


◆最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。

第一話から三回連続で便所が出てくる意識の高さが話題となっているアニメですが、やはり、第一話での便所描写について語らねばなりますまい。

imocho1.jpg

imocho2.jpg

imocho3.jpg

imocho4.jpg


TSTを装着させられた美月が便所に篭もる場面ですが、ここでわれわれは革新的な描写に遭遇します。
一度外してから三分が経つと再び外せるまでに一時間かかる、というTSTの特性により、「便所の中でおしっこを我慢する」というシチュエーションが生まれました。
排泄する場(してもよい場)である便所にいるにも関わらず、出さずに我慢しなければならない。これまで様々な便所を語ってきたわれわれにとっても、きわめてエポックメイキングな出来事でした。
一時間のおしっこ我慢を経て、最後に無事開放された美月の表情は、便所論壇における新時代の幕開けを感じさせる、喜びに満ちたものとなりました。

imocho5.jpg


このとき、日和が美月に憑依する場面もありましたが、ここでは憑依した日和が美月の「尿意」を継承するという描写がされており、「内臓」を持たない存在であるゴーストが、生きた人間特有の「尿意」を感じるというのがとても面白かったですね。

imocho6.jpg


他人の身体を借用することにより、ゴーストであっても尿意を獲得することができるわけです。これも新しい発見となります。
また、このアニメにおいても、便所と同様に食事の場面が多く登場することを述べておくのもよいでしょう。

imocho10.jpg

imocho9.jpg

imocho11.jpg


特にスイーツが多い印象を受けます。女の子はスイーツが大好きですし、男の子はスイーツが大好きで糖分によって丸々と脂肪を蓄えた女の子が大好きです。(その話はまた別の機会にしますが。)
とにかく、このアニメでもまた、便所と食事の関係に注目するのは無駄なことではないと思います。
なお、第二話では、便所論壇人のあいだではオナじみの、「変身する場」としての便所の機能が描かれています。

imocho7.jpg

imocho8.jpg


便所の中で着替えを行うのは『放浪息子』のオマージュですが、そういえば第一話では、ふいに美月(=血の繋がっていない異性の同居人)の着替えを覗いてしまうという、『true tears』のオマージュシーンも描かれていたことを付け加えておきます。


◆ゴールデンタイム

最後に、誰もが経験したことのあるリアルな大学生活が描かれており、現在2クール目が放映中の『ゴールデンタイム』についていくつか述べておきます。

kusoani1.jpg


第一三話での、「ゴースト尿意」の話です。
イベント出演への緊張のあまり便所に行きたいという加賀香子に、リンダ先輩から『すでに三〇回ぐらい便所に行っているのだから君の膀胱は空であり、その尿意は「ゴースト尿意」である』という旨の発言がなされます。
この「ゴースト尿意」について少し考えてみますと、たとえば第一五話における、便所に行きたいけども豪雨の中で便所まで行くのは大変である、だから水着になって雨の中ではしゃぐことでごまかそう、という謎の発想が描かれた場面。

kusoani3.jpg


便所を背景に豪雨の中水着姿で抱き合う男女、という意味不明な絵面に関する考察は他の誰かにお任せして、このとき、確かに便所の存在が主張され、また尿意がアピールされていたにも関わらず、結局「便所の中」が描かれていない、という点にこそ着目すべきでしょう。
このアニメでは、「便所に行ってくる」という言動はなされても、内部が描かれません(第一七話、喫茶店でのシーンなど)。これは、たとえば上記に挙げてきた作品なんかとは一線を画しています。
その存在は明確に描写されていても実態が描かれない、まさに「ゴースト便所」と呼ぶにふさわしい現象です。

このことは、加賀香子という人間に「内臓」が内蔵されていないことを示しているのかもしれません。
第一五話の最後で交通事故があり、続く第一六話では、車から「おりる/おりない」という話がされました。このとき「おりる」か「おりない」かの選択があり、結果として加賀香子は「おりない」ことを選んだわけですが、この「おりる」ものが経血の隠喩であることは明らかで、つまり加賀香子はこのとき始めて「生理」を獲得するチャンスがあったわけです。逆に言えば、それまでの加賀香子には生理が来ておらず(=「おりる」ものがなかった)、それは内臓が内蔵されていないことに由来していたと考えられます。加賀香子は内臓の獲得を拒んだわけです。
それらのことは、第一三話で加賀香子が「焼きそばをつくるフリをする」場面からも見て取ることができます。

kusoani4.jpg

kusoani6.jpg


ゴースト便所に対応するかたちであらわれた「ゴースト調理」です。
内臓を持っていない存在であるがゆえに、内臓の中に収まるものをつくることができないということです。

というような、「加賀香子の命題」をずっと考えていたのですが、実はもうひとつの可能性があることに気付いてしまいました。
このアニメでもっとも象徴的なゴーストといえば、やはり主人公・多田万里のゴーストですよね。

kusoani7.jpg


多田万里のゴーストは、たびたびリンダ先輩への執着を語るなどしては視聴者にイライラを与える(あたかも、この女々しいゴーストによってわれわれの膀胱に尿意を植え付けられているかのような)ストレス装置として作用しているわけですが、このゴーストをいかに成仏させるか、というのがこのアニメの主題であるように思われます。
そして、ゴーストを成仏させるために必要なものといえばもちろん、TSTです。

kusoani8.jpg


内臓がないかのように思われる加賀香子の振る舞い、決して便所の内部は覗かせない秘匿性、そしてゴーストの存在。
間違いありません、加賀香子はTSTを装着しています。
思い起こせば、大学生の男女が一晩一緒に過ごしてナニもないというのは、いくらアニメであるとはいえ不自然すぎるとは思ってたんですよね。描写されていないだけでヤルことはヤッてるのではないか、とも考えたのですが、加賀香子がTSTを装着していると考えるとすべて辻褄が合うのですね。
今後どのあたりのタイミングで解錠されるのか、注目です。

以上、出遅れ気味ではありますが今期の注目作をレビューしました。




スポンサーサイト

2013年夏期新作アニメレビュー(1) 『ステラ女学院高等科C3部』   2013.08.09


今さら感全開のレビュー。
表題には(1)とありますが、たぶん(2)は永遠に訪れません。

まず、食と便所の関係についてです。
「食ったら出す」というのは健康的な人間であれば(人間以外の生物もほとんどがそうですが)当たり前のサイクルです。出すために食うと言っても過言ではありません。
ですから、食事と排泄(排尿)を一つの空間内で完結させる「便所飯」という文化の誕生は、とても理にかなったイノベーションであったと言えます。

『C3部』においては、通常考えられる「学校の便所」としてはあまりに広く機能的な、あたかも最初から食事用にデザインされたような便所が描かれました。
壁面に設えられたカウンターなんかは、ワインのボトルやグラスが置いてあってもまったく違和感がないぐらいおしゃれですし、例えば洋式便器(=皮膚と便座との接触)に抵抗のある潔癖症の人でも、カウンターを使えばビュッフェ形式で食事を楽しむことができるでしょう。「トイレノベーション」と呼ぶに相応しい優れたデザインです。

C3-1_201308082359303bf.jpg


こうした「便所飯」が、人間の「セイ」のサイクルであるのに対し、このアニメのテーマである「サバゲー」においては、当然のことながら「銃」が扱われます。銃とは人をヤルための道具です。
サバゲーはスポーツですから、もちろん実際に人をヤルようなことはしません。(学校の床に穴を開けて中で寝ている様をツイッターなんかに流せば社会的にイク可能性はありますが。)
とはいえやはり、本来人をヤルために作られた銃を扱い、人をヤル技術を競う競技ですから、そこには擬似的ながらも「シ」のサイクルが浮かび上がります。
というよりも、先ほど述べた「便所飯=セイ」によって「銃=シ」のイメージが強化されています。
そしてその「セイ」と「シ」のイメージは、「ソウゾウ」という線によって結ばれます。

C3-2_201308082359291d7.jpg


C3部部長の鹿島そのらさんは、「おにぎり」を握る際の「握らずして握る」を銃の扱いに重ね合わせます。それが「銃を握る者の極意」であると。
おにぎりを創造する行為は、銃による射撃に通ずるというわけです。
一方、握らずして握られた「おにぎり」の行く先である「便所飯」はどうでしょうか。こちらも、「飯」という部分において「排泄物の創造」へと繋がります。

あるいは逆の見方として、食事とは食物を胃の中で破壊する行為でもあり、同時に――大きな視点で見れば――食材となる動植物を殺す行為の結果でもあります。
サバゲーにおいては、人をヤルための技術ではなく「生き残るための技術」であるとも言えます。(「サバイバル」という言葉の意味としてはむしろこちらのほうが正しいでしょうか。)

いずれにせよ、「便所飯」と「サバゲー(銃の扱い)」が「おにぎり」というラインで結ばれていることが分かります。少なくとも、おにぎり=お米の話と銃の話を重ねることによって「米=アメリカ=銃社会」を暗に批判している、などという安易な描写ではなかったということは察せられるでしょう。

このアニメでは、サバゲーというスポーツと、便所飯というエクストリームスポーツの対比によって、セイとシのサイクルが描かれており、それはすなわち古来から続く生命の「サバイバル」であると言えます。

※なお、本文書は「銃」を「チンコ」に読み替えることによって、更に深い領域へと踏み出すことができます。例えば、「シャセイ」とはコンビプレイにおいて生命を生み出すための行為でありますが、一方でわれわれはソロプレイによって生命の種を殺しているわけです。



ところで、東京ビッグサイトにおけるセイシをかけたサバイバルまでもうあと二日と迫っておりますが、今年も例のやつが抜錨します。
評論海域の不チン艦こと『シンシアニメ』です。


【ご報告】シンシアニメ第5号【夏コミC84】

コミックマーケット84(2日目)
日時:8月11日(日)10:00~16:00
会場:東京国際展示場(東京ビッグサイト)
サークル名:シンシアニメ
配置場所:東O-06b


20130723210453.jpg


第三話までしか観ずに描かれたであろう表紙が目印となっております。
ぼくはモバマスこと『アイドルマスター シンデレラガールズ』の二次創作小説をカキました。(タイトルに関して、ただダジャレを言いたかっただけなので米澤穂信は一切関係ありませんしべつにパロディになっているとかでもないです。)
先着順になりますが、Sレア10%陰毛ガチャチケットをプレゼントいたしますので、お早めにお越しください。
では、有明でお会いしましょう!

以上。



【都市伝説】ゆゆ式の監督は岡××里だった   2013.07.01


つい先日、惜しまれながらも最終回を迎えた『ゆゆ式』にまつわる都市伝説のお話です。毎週とても楽しみに視聴していましたが、無慈悲にも最終回になってしまい、その悲しさを紛らわすためにせめて文書に残します。(いつも通りキャプチャを沢山撮っていろいろ貼り付けようと思ったのですが、観たらすぐに消していってたのでナニも残っていません。)

このアニメにおいては、作中で様々なシモネタが語られてきましたが、中でも便所への執着は決して忘れることができないでしょう。何度も何度も、繰り返し繰り返し、「便所へ行く」あるいは「便所から帰ってくる」場面が描かれました。
特に顕著だったのは、あいちゃんこと相川千穂ちゃんです。巨乳が殊更強調して描かれるなど、セックスを象徴するキャラクターでもありました。
廊下でたむろしているゆずこたちの前に便所から出てきたあいちゃんが現れる、というシーンは幾度となく描かれていましたよね。

一方で、このアニメでは、「便所へ行く」あるいは「便所から帰ってくる」シーンは何度もありましたが、その便所の「内部」はずっと秘匿され続けていました。
それが、最終回では、唯の家の便所がハッキリクッキリボッキリと描かれたわけです。それまでずっと隠されていた便所の内部です。しかもそれが、学校というパブリックスペースではなく、家というプライベートな場所でです。

家と学校、見せられる便所と見せられない便所、この二つの対立軸は確かに興味深いものがありますが、今は割りとどうでもよいです。ここでまず重要なのは、唯とあいちゃんが便所を象徴するキャラであるという事実です。
というか、あいちゃんがまず先に便所の象徴として存在していて、最後にカウンターとして唯の(家の)便所が顕現したと考えるのが妥当でしょうか。
とにかく、執拗に便所との繋がりが示唆され続けたあいちゃんと、最終話のカタルシス的な見せ場として便所に閉じ込められた唯――あまつさえ、ゆずこには「これからずっとここで過ごせ」というようなことを言われていた――この二人を便所の女神として見ないのは不自然にすぎます。

さて、以上のことを踏まえた上で、唯とあいちゃんの中の人を比較してみましょう。

唯:津田美波(フラクタル:フリュネ、花咲くいろは:車内販売員)

あいちゃん:茅野愛衣(あの日見た花略:めんま、花咲くいろは:生徒B)

きな臭いものが見えてきましたよね。(なお、茅野愛衣さんは『戦勇。』のメインキャラクターとして出演していますが、ヤで始まってンで終わる愛称の先生は特に関係ありません)
お二方とも『花咲くいろは』にモブとして出演していた点も示唆的ですが、そうです、両者ともに初めての主役での抜擢が――


ところで、『ゆゆ式』のアニメーション制作を行ったキネマシトラスという会社は、元々はボンズ(DARKER THAN BLACK-流星の双子-、GOSICK-ゴシック-、絶園のテンペストetc……)の制作デスクであった小笠原宗紀氏が立ち上げた会社ですが、『花咲くいろは』にも下請として――


そういえば、美術監督の加藤浩と音響監督の明田川仁はともに『おとめ妖怪ざくろ』で――




というわけで、例えば「おかだまり」という文字列には「か お り」という文字が含まれているわけで、「まだ、かおり」つまり、「監督としてはまだ“かおり”という名義を使いますよ」というメッセージにも取れるわけです。

信じるか信じないかは、あなた次第です。




劇的ビフォーアフター 『便所のない家』   2013.01.20


前回の更新で取り上げた、『たまこまーけっと』第二話における「チョコの家」の提案図面ですが、便所および浴室の有無や、投影図の整合性の他にも、色々と見えてきたものがあるので、わーっと羅列します。

kintama5.jpg

kintama6.jpg


まず一階「D面」の掃き出し窓。平面図では間口がかなり広い設計になっていますが、立面図では二枚ガラスの引き違いで描かれています。このサイズの二枚引き違いはちょっとあり得ません……ということよりもそもそも平面図と立面図で明らかにサイズが一致していないことのほうが問題なわけですが。
それから、階段の向かって右側にある謎の隙間。完全なデッドスペースになっていて凄く気持ち悪いですね。
あと、通し柱の位置が一階と二階でズレていたり(具体的には、二階子供室の間仕切りと一階玄関の壁とか、寝室と階段の間仕切りの部分とか)、子供室クローゼットの建具のおさまりが変だったり(左右対称にしたかったのでしょうが、引き違いの建具は右手が前側に来るのが原則)、寝室への入り口のドアと開口部のサイズが合ってなかったりとか、そういう気持ち悪い部分がいろいろあります。


で、そのあたり諸々を修正して、ある程度リアルなおさまりの平面図をカイてみました。寸法は元の絵の家具や開口の大きさと、一般的な住宅のモジュールからあたりをつけています。

tama1.jpg


なんということでしょう。全体的にモジュールがめちゃくちゃで家具類のおさまりが無茶だった家が、見事にピッタリおさまりました。
D面一階の掃き出しは二枚引き違いの二連(風の)開口にして間に柱を一本通します。
階段横のデッドスペースは消し去って壁付けにして、ついでに玄関には床面への立ち上がりのラインをカキ足しました。玄関って普通は床から一段下がってますよね。
それから玄関ドアは元の絵では大開口の片開きっぽくなっていますが、左右非対称の両開きタイプにしました。よく目にする型だと思います。理由は、人が通るところをできるだけ図面の上側にしないと階段で頭打ちになるからです。
あとは階段を寄せた分寝室を広げてダブルベッドのサイズを適切なものにしています。(元の絵ではダブルベッドとして使うにはちょっと狭かった。)
まあそんな感じでしょうか。

なお、前回の記事で指摘した謎空間(元の絵の「a」「b」の場所)に便所とお風呂をレイアウトするとこんな感じになります。

tama2.jpg


なんということでしょう。便所もお風呂もない家が、人が住むにじゅうぶん耐え得るものに進化しました。
おさまり的にはピッタリだと思います。
問題は、この案だとキッチン・便所の縦の繋がりに対して、お風呂が離れすぎている点ですね。水廻りを一箇所に集めなければならない、などというのは頑なに守る必要もありませんが、その分やっぱりコストが高くなるのと、動線的に不自由だとは思います。ちなみに浴室の右側、階段との間にちょろっとカキ足してるのは洗面所です。
図面にはカイてませんが、全体的に収納が少ないので、階段下を段下収納にするとよいでしょう。


さすがに立面図をカク余力がなかったので平面だけですが、自分でカイてみて分かったのは、この程度の図面をカクのに寝不足になるようでは大工の道はまだまだ険しいということです。

以上。


2013年冬期新作アニメレビュー 『まおゆう/たまこまーけっと』   2013.01.18

テーマ:アニメ・感想 - ジャンル:アニメ・コミック Tag [] [便所論壇]

レビューします。

・まおゆう魔王勇者

『鬼作』シリーズや『そらのいろ、みずのいろ』でオナじみの高橋丈夫監督によるド直球ファンタジーアニメですね。

maonyu1.jpg


某爆乳バトルニンジャアニメもアンダーガイオンの最下層に置き去りにしてしまうほどの実際デカイおっぱいに、われわれは失禁せずにいられません。オチチ・リアリティショック!
そんな魔王さまでありますが、彼女の魅力はそのホーマンな魔乳だけではありません。第二話における次のシーンを振り返ってみましょう。

maonyu2.jpg

maonyu3.jpg


ここでは、勇者が魔王さまにヒザ・マクラしてもらうという大変うらやましい場面が描かれておりますが、その際、魔王さまは少しの恥じらいとともに奥ゆかしい言葉を述べます。

「太すぎないか?」

対して、勇者はというと、いいですか、「太すぎないか?」という質問に対してですよ、こう答えます。

「寝心地いいぞ」

ここで魔王さまが「太すぎる」かもしれないと案じているのは、素直に考えればフトモモであると言えるでしょう。
そのフトモモが「太すぎないか?」という質問に対して、勇者の「寝心地いいぞ」という回答には、少々の違和感を覚えてしまいます。「太すぎないか?」と聞かれた場合、普通であれば「太すぎる」「太すぎることはない」「多少は太い」「もっと太れ」などの回答が考えられますが、そうではなく「寝心地いいぞ」と答えた。
これは――われわれの意思/希望に反して――世の多くの女性が「太すぎること=悪いこと」であると考えており、恐らくありのまま「太すぎる」と答えたら気分を害する、あるいは怒りに触れる可能性があったため、その件に関する言及を避けお茶を濁すためのシンシ的配慮によるものと思われます。
つまり、魔王さまのフトモモは実際太すぎるのであると。
あるいは、フトモモが太すぎる女性は往々にして別の箇所も太すぎるきらいがあり、それが正だとすると、例えばヒザ・マクラの姿勢によってもしかしたら接触するかもしれない腹肉であったり、下から見上げて初めて分かる二の腕のたるみであったり、そうした部分も含めてのことかもしれません。
それらのことは、公式サイトを覗いてみても

detail_maou.png


「油断しきったグラマラスボディ」「“プニプニ”のお肉を気にしている」との記述によって示唆されておりました。
この公式サイトでのコメントが、先述の「太すぎないか?」に対する「寝心地いいぞ」という「否定を伴わない答え(=消極的肯定)」によって強化されたわけです。
そしてそれこそが、その実際巨大なオチチ以上にわれわれの無防備股間に訴えかけてくる魔王さまの魅力であり、また、それは「巨乳の女は多くの場合他の部分も巨大である」というゲンジツ的なオンナ・リアリティであり、某女性声優の肉増し芸にいよいよ時代が追いついた、ということでもあります。タケタツ・リアリティショック!
魔王さまは、某女性声優の肉が増量されるたびに「もっと食えもっと太れ」と呪念を送り続けているわれわれにとって正に理想的なヒロインであり、それはきっと世界の理でもあります。

また、「寝心地いいぞ」という発言自体は、先に述べたとおり、魔王さまの奥ゆかしい心理を慮ってのものであると考えられますが、それにしても、実際に寝心地がよくなければ咄嗟には出てこないでしょうから、魔王さまのフトモモは太すぎることが否定されない程度の太さであると同時に本当に寝心地がよいものなのでしょう。
そして、寝心地がよいということは、人間の三大欲求の一つである「睡眠欲」をじゅうぶんに満たしてくれるものであると思われます。睡眠欲求をじゅうぶんに満たしてくれる存在といえば、例えばフカフカのお布団であったり、ポカポカのコタツであったり、プニプニのタケタツなんかが思い浮かびますが、フカフカのお布団やポカポカのコタツは、いつの時代もわれわれの心を掴んで離さない魔性を秘めています。フカフカのお布団、好きですよね?
つまり、魔王さまの太すぎることが否定されない程度の太さのフトモモは、フカフカのお布団と同等の存在であり、ポカポカのコタツとオナじぐらいにわれわれを魅了して止まないものだということです。
それはきっとヒザ・マクラだけでなく、その油断しきったグラマラスボディはダキ・マクラとしても有用に機能するはずですし、「女の子の身体=ダキ・マクラ」であるという発想が既に一般的なものであるという事実は、販売している期間より完売している期間の方が長いのではないかと疑わしい人気魔法少女が証明してもいます。
そうすると、今度は次の発言が重みを増してきます。ヒザ・マクラをする少し前です。

maonyu4.jpg


「勇者、隣……来ないか?この角度があたたかくて気持ちよいのだ」

先述したように、女性の身体とはダキ・マクラとイコールであり、また、ダキ・マクラにオナ・ホールをセッティングして出し挿れを繰り返したり、ザメンをぶっかけたりする行為はシンシの嗜みとして普遍的なものであります。したがって、魔王さまの言う「あたたかくて気持ちよい角度」というのは、挿入するのに適した角度であると考えられます。
それが、「隣」であると。つまり、魔王さまの、ダキ・マクラとして最適化された身体に挿入するにあたっては、隣へのポジショニング、すなわち「側位」がもっともあたたかくて気持ちよいのであると。
この発言は、魔王さまの「あたたかくて気持ちよい角度」を教示するものであると同時に、自身の身体にダキ・マクラとしての有用性を期待されていると自覚している証左でもあります。
そしてそれらのことは、われわれにとって「オカズ」としての有用性にも繋がってくるものであると考えているのですが、そのあたりの話はまたの機会にしておきましょう。今はまず、魔王さまの太すぎることが否定されない程度の太さのフトモモと、あたたかくて気持ちよい角度の効能を追求することがよいのだと思われます。

ところで、今期はもう一人、タケタツ的アトモスフィアを纏った良質の「肉」が存在しますね。彼女の活躍にも期待したいところであります。



・たまこまーけっと

第一話の「あの娘はかわいいもち屋の娘」というタイトルは結構気に入っていて、「かわいい」はもちろん「もち屋」に掛かっており、それはすなわちあのもち屋のおっさんが「かわいい」存在であると述べているわけで、実際もち屋のおっさん二人(もち蔵の親父含め)は些細なことで喧嘩しちゃうも喧嘩するほど仲がいいツンデレ的な「かわいい」ものとして描かれていて、これからおっさんになっていく身としてはやはり山田尚子監督のような美人から「かわいい」と持て囃されたいわけです。これが「あの娘はkawaii原宿のHollaback Girl」とかだったらもう金だけ絞られて肝心なところで寸止めされそうな感じでツラいです。

kintama1.jpg


まあそんな話はどうでもよくてですね、鳥ですよ鳥。
ところでこの鳥、太すぎないか?

kintama2.jpg


この丸々と太った、明らかに太すぎる鳥は、ダキ・マクラにしてみたらさぞかし寝心地もよいことでしょうが

kintama3.jpg

kintama4.jpg


かわいいもち屋には当然多くの「もち米」が常備されているでしょうし、そうであれば、この太すぎる鳥の行く末といえば……


smgtn.jpg

ja.wikipedia.org/wiki/サムゲタン
蔘鷄湯(サムゲタン)は 韓国のスープ料理である。 鶏肉に高麗人参、鹿茸、ファンギ(牙なおぎ)などの漢方ともち米、くるみ、松の実、ニンニクなどを入れて煮込んだポシン(補身)料理、つまり滋養食である。


まあそんな話はどうでもよくてですね、問題となるのはこちらも第二話、大工娘がプレゼンテーションした「チョコの家」の図面であります。

kintama5.jpg


平面図と投影図が描かれておりますが、さて、どこにも便所が見当たりません。便所だけでなく、お風呂場もありませんよね。
これは果たしてどういうことか、キッチンやベッドルームはある程度詳細に描かれているのに、です。
考えられる可能性は三つあります。

1.大工娘の家には便所がなく、排泄物は垂れ流しである(中世ヨーロッパスタイル)
2.この世界には便所という概念がない(ファンタジースタイル)
3.ただ単にめんどくさかっただけ(ズボラ)

最も可能性が高いのは「3」でしょうか。最も考えたくない可能性は「2」ですね。「1」に関しては、決定的な描写がなければ確定不可能なので一先ず置いておきます。
さて、この三つの可能性のうち、いちばん悲劇的な「2.この世界には便所という概念がない」を消し去るための作業をおこないます。すなわち、「3.ただ単にめんどくさかっただけ」であるというのを確実なものとしたいのです。そうしないと不安で安眠できません。

まず、見やすくするために図面を回転して、いろいろカキ込みました。大文字アルファベットは平面図と投影図のそれぞれの面の対応を示しています。玄関および掃き出し窓の位置から推定できます。(※ただし、この図面にはミスがあり、投影図(下の方)のC面とD面が反転しています。C面-D面の投影図を描こうと思ったら、C面が向かって左側に来なければなりません。まあ瑣末なことなのでとりあえず無視します。)

kintama6.jpg


結論から言いますと、小文字「a」「b」で示した空間が便所であると考えられます。
理由は、「a」に関しては、「A」の面にある窓の形状が、例えば寝室にあるような左右引き違いの窓ではなく、上下の上げ下げ窓である点。これは、このタイプの窓が便所や浴室でよく使用されることから考えられる可能性です。
また、平面図を見て分かる通り、aの空間にはリビングとの間仕切りが存在します。これはこの空間がリビングとは切り離されるべき場所、隔離されるべき場所であるからだと考えられ、それは便所である可能性が高い。
便所にしては明らかに広すぎるので、この空間には浴室もセットになると見るのが妥当でしょうか。
次いで、「b」の空間。ここは、子供室を隔てる「廊下」のような空間になっておりますが、突き当りに物置があるとか、サンルームになっているとか、そういったことはなく、完全にデッドスペースになってしまっています。サイズ的にも便所にピッタリな空間ですし(W910mm×D1820mm、つまり畳一枚分が一般的な家庭の便所のサイズ)、その便所の外壁(「C」面)にでっかいハートマークが付くなんて、とても素敵です。

以上のことから、「a」ないし「b」が便所のために用意された空間だと言えます。したがって、「空間が用意されている」ということから、「この世界には便所という概念がない」に異を唱えることができるわけです。
もっとも、建具が描かれていないという点に関しては今後とも注意深く見守っていく必要があるでしょう。というか一見して「便所がない」と判断されるのはそこなんですよね。子供部屋のクローゼットなんかは結構細かくカキ込まれているにも関わらず、です。
カリに「a」ないし「b」が便所のための空間だとしたら、この大工娘の家庭がよほどオープンな家風なのか、はたまた大工娘のクリエイティビティがわれわれの想像を遥かに超える高みに達しているのか。何にせよあまりにも大胆なデザインだと思います。行き過ぎたポストモダニズム、ディコンストラクションの末路。
この図面については追々ですがもうちょっと色々考えたいですね。

という具合に、今のところ目立った便所描写の見られない作品でありますが、便所を見せずしてその存在を考えさせる、きわめて高度なアニメでした。
今後は、玩具屋娘の扱う玩具問題にも注目していきたく思います。

以上。
次回は『ささみさん』における陰毛問題に関してです。






«  | HOME |  »
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。