水の音、無形の雫

アニメやゲームのレビュー、日常の様々な事象に関する考察など。C86・3日目東P21a

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『そにアニ』それは世界を暴く肉塊   2014.02.22

テーマ:アニメ・感想 - ジャンル:アニメ・コミック Tag []


ずっと夢を見て/いまもみてる/僕はDay Dream Believer
(ザ・タイマーズ『Day Dream Believer』)



ちょうど一年前、われわれは駄肉時代の到来を予感し、股間をアツくしていました。
http://peace505.blog85.fc2.com/blog-entry-109.html

そして今、空前の「巨乳安産型」ブームが訪れています。

『未確認で進行形』自他共に認める巨乳安産型ヒロイン・夜ノ森小紅
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『のうりん』脱ぎたてのパンツを差し出してくれる系ヒロイン・中沢農
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『いなり、こんこん、恋いろは。』コミュ障クズメガネ系クズ・丸太町ちか
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そしてなんといっても、今期屈指の肉アニメ『そにアニ』の主人公、

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肉塊ちゃん(仮称)です。
重厚で肉汁たっぷりのドスケベわがままボディ、雑誌ひとつ買うのにわざわざ顔を赤らめる奥ゆかしさ、そしてメガネ。(メガネの駄肉といえば先に挙げた『いなり(略』のコミュ障クズメガネと被っている気もしますが、コミュ障クズではない肉塊ちゃん(仮称)の方が格上になります。)
第五話でとある雑誌を購入した肉塊ちゃん(仮)、第六話ではセレブっぽい豪華客船を前にナニかを決意したような表情を見せ、

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続く第七話では、ダンススクール(のある方向)へ向けて歩き出します。

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このあたりで多くの視聴者は、なるほど、このアニメは肉塊ちゃん(仮)がアイドルを目指し奮闘する物語なのだな、と気づくことでしょう。仙台ローカルアイドルに負けずにがんばれ!
と、ちょっと待って頂きたい。大事なことを忘れていますよね。

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すーぱーそに子(以下、そに子)と呼ばれる謎の存在です。
この謎の存在は、一般的には「ザーメン思念体」などと呼ばれ、無数の童貞どものザーメンが寄り集まり意思を持った集合知的存在だとされています。
それは確かに説得力があり、たとえば(童貞どもには一生縁のない)女性の象徴としての巨乳、まるで(童貞どもには生涯機会のない)種付けに最適化されたような安産型の下半身、現実には絶対に存在しない(したとしても童貞どもの人生とは絶対に交わらない)天然でドジっ子で処女で真面目な性格、こういった記号を凝縮した存在、それがそに子なわけです。
ところが、いわゆる「萌え」の記号でガッチガチに固めたそに子ですが、一つ、腑に落ちない箇所があります。
「ヘッドフォン」です。
元々がニトロプラスのライブイベントでのマスコットガールとして登場した存在であるため、ヘッドフォンを着用していること自体は不自然ではありません。ここ数年で「ヘッドフォン萌え」なんてのも出てきていますし、記号として見てもじゅうぶんに納得はできます。
おかしいのはこのヘッドフォンに対する周囲の反応です。
たとえば、ムチムチした肉感的な安産型の身体に関しては、第六話において、

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<ほんとうのセクシーさは後ろに隠されている>、<一見かわいくて純情な女の子、その裏側には妖艶なる女の本性が隠されている>などと批評されています。
しかし一方で、ヘッドフォンに関してはこれまで一切の言及がされていません。
このなぜか誰にも指摘されないヘッドフォンに関して、(これぞという文献が見つからなかったので)Wikipediaという知的サロンを参照いたしますと、以下のように述べられています。

いつも付けているトレードマークのヘッドホンは彼女自身には認識されてなく、またそのヘッドホンのことには触れないというのが暗黙の了解とされている。

この一文の出典がどこにあるのかまでは追跡しきれなかったので「触れないというのが暗黙の了解とされている」のが誰にとってなのか、つまり、作中の登場人物にとってなのか、われわれ視聴者にとってなのかが判別しかねますが、いずれにしてもそれはたとえ見えていたとしても「ないもの」として扱わなければならないということです。
もしかしたらですが、「あるもの」として扱ってしまうと何らかの「現象」が起こってしまう、そういった性質のものなのかもしれません。触らぬ神に祟りなし。
もうひとつ、そに子自身にも認識されていないという点。これはまるで、「自分が死んだことに気づいていない」亡霊のようだと、思いませんか?
思いませんよね。そんなはずはありません。この楽しいアニメにそんなB級ホラーじみた暗部があるなど疑うほうがどうかしています。

なので、もう少し別の方面から探りを入れてみますと、そもそも世の中には分かっていても触れてはならない問題というものが少なからず存在します。
たとえば【検閲】の年齢問題です。ほんとうは37歳なのに17歳であると自称し、ファンもまた「【検閲】は17歳だし世界一かわいいよ!」と事実を見て見ぬふりをしています。しかしそれはそういうものなのであって、それに関して今さらツッコミを入れるのは野暮だし、そんなことをしたら秘密の扉からあらわれた何者かに消されてしまいます。(※なお、そに子のマネージャー・北村さんが着用しているお面については作中の人物によって言及されており、ヘッドフォンとは性質の違うものであると推測されます。また、そのお面のデザインと目下の話題とは一切関係ありません。)
【検閲】の年齢問題に限らず、世の中には知らないほうがよいこと、知っていても口外してはならないこと、知らないフリをしたほうがよいこと、などが溢れています。
【検閲】ランドのネズミに中の人がいること、オタクの味方【検閲】閣下がアニメ規制派であること、実の息子ではなかったこと、25%がピンハネされていること、フォアグラの作り方が残酷であること、金魚より知能が低い可能性があること、三年前から耳が聞こえるようになっていたこと、今は引っ張りだこの【検閲】も過去に彼氏とのプリクラが流出していたこと、【検閲】が一皮むけるためには【検閲】の存在が邪魔であること、【検閲】が男性とデートしていたのを目撃したこと、【検閲】が今年中にご報告しそうなこと、【検閲】のメンバーに処女なんて誰一人としていないこと、【検閲】が非処女であること……
このように、世の中にはむしろ言ってはいけないことだらけです。
そに子のヘッドフォンとはこうした性質のもの、より具体的にいいますと、そのキャラクターの出自やアニメのターゲット層を考えるに、処女/非処女問題のメタファーなのではないかと推測できます。
つまり、誰かが推している誰かが、処女であるか非処女であるか、そうしたことへの言及そのものが禁忌とされている、そんな風潮(あるいはそれに倣おうとする態度)を記号化したものがヘッドフォンなのではないかということです。
なぜヘッドフォンという形態なのかというと、処女膜とは声を出す器官であり、「音」に関連しているからです。
だから、そに子のヘッドフォンは処女膜の隠喩であるとも言えます。
通常であれば目にする機会のない処女膜がヘッドフォンという目に見えるかたちとして存在していることの安心感。と同時に、その件に関しては絶対に触れてはいけないという心理的な楔としても機能するわけです。なるほどキモオタの心理をとてもよく心得たデザインだと感心します。

さて、そに子のヘッドフォンが何やら邪悪な性質を持つ類のものだと分かったところで、本編の内容を確認してみましょう。
第一話から第四話までは、そに子の仕事に対する姿勢や、所属するロキノン系バンド「第一宇宙速度」への思いなどが綴られ、主に萌えとおっぱいとロックの話であることが伺えます。
ところが、第五話、先ほど挙げた肉塊ちゃん(仮)が登場した回から、物語は何やら不穏な方向に傾きはじめるのです。
まず、第五話アバンでは、これまでみんなからかわいいかわいいされてきたそに子が、どこの馬の骨とも知れないJKから<胸大きすぎない?>、<私の好みとはちょっとねぇ>とdisられるようになります。

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加えて、年増ワナビ編集者からも<水着で写真に撮られるような自意識過剰な女>と仕事などしたくないと、理不尽なdisを受けることになりました。

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これまでには考えられなかったそに子dis、そのことにも驚きがあるのですが、この回にはさらに、これまでのそに子目線の話ではなく、年増ワナビ編集者(=外部の人間)目線でそに子を俯瞰するエピソードであるという特殊性があります。これは大きな転換といってもよいでしょう。
そもそも『そにアニ』とはそに子という「キャラクターのアニメ化」であり――似たようなコンセプトのアニメとして『ブラックロックシューター』や『ミス・モノクローム』などが挙げられます――このアニメは「そに子を動かすためのアニメ」だったわけです。だから、鈴ちゃんもフーリちゃんも北村さんもバイト先のババァもみんな、そに子のために用意された存在であり、それは言い換えれば「そに子が存在しなければ存在できない」存在であるということです。それが、第五話において、すなわち肉塊ちゃん(仮)の登場を境界として、外部の人間が独立して動くようになったわけです。
これは興味深いできごとだと思います。
これまでこのアニメでの世界とはそに子とほぼ同一、そに子こそが世界のすべてでありそに子が見たものだけが世界のすべてだったのにも関わらず、突如として外部があらわれたわけです。となると、この『そにアニ』を観ているわれわれ視聴者はいったい何なのか、という話になってきます。というのも、これまでは「そに子が見たそに子の世界」をわれわれが監視もとい観測するという関係性だったわけですが、そこに「外部」があらわれたことでこの関係性に亀裂が入ってしまいます。「そに子が見ていた世界」をわれわれが見ていた、しかし実はその世界は他の誰かも見ていた、ではその他の誰かとわれわれを隔てる境界線はどこにあるのか……
という難しい話になってきたので、ちょっと脇に置いておいて別の話をしましょう。
第六話、神回との評判も聞かれるゾンビ回です。

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ここでは、ゾンビというきわめて異質なものが描かれています。『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』でシリーズ構成を務めた黒田洋介の絡みがあるのでしょうが、ゾンビという非現実的な――われわれの住む実社会のルールに則しているかどうかではなく、第一話~第五話までに見られた世界観に反してという意味で――存在はこれまでになかった要素です。
そに子にまつわる物語は、この異質な存在を受け入れられる世界でもあったということが分かったわけです。ゾンビの異質さはそに子のヘッドフォンの不気味さに繋がるものでもあるでしょうし、これまでもわれわれは「そに子が見てきた世界」を受け入れてきたわけですから、ゾンビという異質な存在が出てきたとしても、そに子の異質さにくらべたら瑣末なものであると割り切らねばなりません。
この回のキーワードであった「脂肪」が、ゾンビすなわち死者ということで「死亡」と掛詞になっていることには気がついても、「脂肪(=そに子)」と「死亡(=ゾンビ)」の押韻にナニか深い意味があるなどと詮索するのはよしたほうがよいでしょう。世の中には知らないほうがよいことが沢山あります。
話を変えます。
第七話、そに子が「独りでどこかへ旅立つ」回。

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ここでは、前話での「死の象徴」であるゾンビとは打って変わって、「生(=性)の象徴」である亀頭のおねーさんが出てきました。

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今にも先端から生命のほとばしりが滲み出てきそうなこの亀頭のおねーさん、あまりにも露骨ですよね。まるで、ナニかと対比しているかのようです。町の名前が「胎内」というのも示唆的に映ります。
また、この回では、ド田舎の風景とともに、そに子の思い出などが走馬灯のように流れ、それらの光景がやがてひとつの歌詞へと繋がってイキます。まるで遺言であるかのように。
そしてなんといっても、森の中でのシーンからの圧巻のラスト。
その流れをまとめると、

(イキ先の案内板や注意書きもない)暗い森で迷ったそに子。
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都合よくあらわれる一匹のタヌキ(旅人を騙す動物。あなたのごはんではない)。
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そして広がる天の川。
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周囲には、多くの(イキ先の案内板や注意書きもない暗い森を抜けて来たと思われる)人間たち。
これ、どう見てもアレですよね。
「旅の果てに深い森で動物に導かれ多くの“人間”たちが集う“川”に辿り着き……」って、どう考えてもあかんやつですよこれは。
一体なぜこのようなことになってしまったのか。どこかで間違えたのでしょうか。
われわれはいつの間にか見るアニメを間違ってしまっていたのでしょうか。

転機はやはり、第五話にあったのだと思います。あそこで「外部」に触れてしまったあたりから、徐々にルートを外れてしまいました。
そもそもですよ、第五話のサブタイトル「New World」というのも気になるんですよね。素直に訳すと「新世界」ということですが、第四話「デイドリーム」、第六話「クルージング・オブ・ザ・デッド」、第七話「スターレイン」といった他の外国語とくらべて、第五話だけアルファベットで表記されています。これがとても気になる。
この第五話は監督の川村賢一が自らコンテを切った回であり、先述のように肉塊ちゃんカッコカリが初登場した回でもありました。監督が各話のコンテや演出で入る場合というのはいくつかありますが、通常考えられるのはその回が比較的重要な回である場合、そして、第一話です。多くのアニメでは第一話で監督のコンテ・演出が見られますよね。
つまり、アルファベット表記のサブタイトル、「新世界」ということばの意味、肉塊ちゃんの登場、川村賢一コンテ、これらのことから導き出される結論は、この第五話こそが『そにアニ』の真の第一話であるという可能性です。
より正確に申しますと、第一話から続いてきた『そにアニ』と、第五話から始まる肉塊ちゃんを主人公とした『にくアニ』の世界に分岐した、ということになります。
いやむしろ、まず第一話~第四話が「間違っていた」と考えるのはどうでしょう。第一話のサブタイトルを思い出しますと、「がんばりまうsよ~♪」と、タイプミスを思わせる表記になっています。これは、そに子という存在が天然でドジっ子であるというような演出、ではなく、この(第一話から始まる)世界が「バグ」を含んでいるという示唆だったのではないでしょうか。そして、「New World」が始まる前の第四話、ここまでが「デイドリーム」すなわち白昼夢であったと。

このデイドリームを見ていたのは誰であったのか、という疑問に答えるのは難しいことだと思います。まず、真っ先に思い浮かぶのは肉塊ちゃんが見ていた夢である、という説です。ここまで描かれてきたそに子の物語は、すべて肉塊ちゃんが見ていた夢であり、そに子とは肉塊ちゃんが理想とする姿、「New World」の幕開けとは肉塊ちゃんが夢から醒めたことを意味していた。この考えには説得力があるように思えます。すべてが夢であるとすると、ヘッドフォン問題をはじめ、そに子の身体がメスとして(不自然なまでに)理想的なそれである点や、どこに行っても「すーぱーそに子」という変な名前で通っている点など、現実的に考えると明らかに整合性の取れていない点にも納得ができます。夢に整合性は不必要だからです。
そして、「New World」で覚醒した肉塊ちゃんにとって、そに子はもはや不要な存在になりつつあった。そのため、年増ワナビ編集者を通して外部に接触させ、世界を「観測する」側から「観測される」側へと切り替え、あまつさえゾンビどもをけしかけて「思考」を停止させようとした。そしてついには、「天の川」に辿り着いたと。(第七話では、OPがカットされるという、まるで最終回のような構成になっていたことも付け加えておきます。)
なるほど確かに、この仮説は辻褄が合っているように思えます。そしてこの仮説がもしもほんとうなのだとしたら、「New World」以降にわれわれが見ていたそに子は、もはや亡霊でしかなかったということになります。
そうなってくると、そに子が所属するロキノン系バンドの名前、「第一宇宙速度」にも何やらきな臭いものを感じてしまいますよね。第一宇宙速度とは、地球の重力を振り切らずに(地表に落下もせずに)衛星として存在するために必要な初速度を指す用語でありますが、これはつまり、そに子という存在が、衛星のように「彷徨うもの」であることを示唆していたのではないでしょうか。とりわけ、そに子は最初に述べたように「ザーメン思念体」などとも呼ばれているわけですから、股間の砲台から「射出されたもの」であるという点においても納得できようものでしょう。

こうした、自身がとても不安定な存在であることや、「New World」に世界が切り替わったこと、自分の知らない世界が未確認で進行していることを、もしかしたらそに子自身も認識していたのかもしれません。だから第六話アバンでは<私は今日も元気にここにいます>と、誰に向けたのか分からない確認をしてまで自己の存在を主張していた。少なくともそうせずにいられないナニかに気づいてしまったのでしょう。
いまこの文書を執筆している時点では、第八話はまだ放映されていませんが、次回予告では「すーぱーそに子殺人事件」という露骨すぎるサブタイトルが提示されていました。そこで殺されるのはいったい誰なのか、とても気になりますよね。
予告映像を見るかぎりでは、第八話でもそに子は登場するようですが、はたしてそこにいるそに子はわれわれが今まで見てきたそに子と同一存在なのか。

というか、ここまでいろいろと語ってきましたが、われわれは確かに『そにアニ』を視聴していたんですよね?
ここまで語ってきたそに子とあなたが見ていたそに子は同じですよね?
たとえば長々と考察したヘッドフォン、あなたにも見えていますか?
それはほんとうにヘッドフォンですか?
あなたがヘッドフォンだと認識しているものはナニか別のものではなかったですか?
肉塊ちゃんの存在をあなたは認識していますか?
それを見ているあなたはナニものですか?

「スターレイン」の最後にそに子が辿り着いた広場にはほんとうはナニがありましたか?

そこにいたのはほんとうに人間でしたか?

そのときあなたはどこにいましたか?

そに子が肉塊ちゃんの見ていた夢であったようにこの現実も肉塊ちゃんの夢であるとしたらどうですか?

そのときあなたはナニを見ていますか?

この現実世界こそが肉塊ちゃんの見ている夢である可能性を否定できますか?

あなたという存在は肉塊ちゃんの夢であるとは思えませんか?

そに子を観測する周囲の人たちとあなたとの境界線はどこにありましたか?

誰かに観測されているような視線に心当たりはありませんか?

あなたはそこにいますか?

今日も元気にそこにいますか?


あなたがそこにいることを証明できますか?


そに子とあなたを隔てているものは何ですか?


あなたと肉塊ちゃんは隔てられていますか?


『そにアニ』とあなたの間にはちゃんと境界線がありますか?


それは正しい認識ですか?


ところで、あなたの後ろにいるのは誰ですか?




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2013年冬期新作アニメレビュー 『まおゆう/たまこまーけっと』   2013.01.18

テーマ:アニメ・感想 - ジャンル:アニメ・コミック Tag [] [便所論壇]

レビューします。

・まおゆう魔王勇者

『鬼作』シリーズや『そらのいろ、みずのいろ』でオナじみの高橋丈夫監督によるド直球ファンタジーアニメですね。

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某爆乳バトルニンジャアニメもアンダーガイオンの最下層に置き去りにしてしまうほどの実際デカイおっぱいに、われわれは失禁せずにいられません。オチチ・リアリティショック!
そんな魔王さまでありますが、彼女の魅力はそのホーマンな魔乳だけではありません。第二話における次のシーンを振り返ってみましょう。

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ここでは、勇者が魔王さまにヒザ・マクラしてもらうという大変うらやましい場面が描かれておりますが、その際、魔王さまは少しの恥じらいとともに奥ゆかしい言葉を述べます。

「太すぎないか?」

対して、勇者はというと、いいですか、「太すぎないか?」という質問に対してですよ、こう答えます。

「寝心地いいぞ」

ここで魔王さまが「太すぎる」かもしれないと案じているのは、素直に考えればフトモモであると言えるでしょう。
そのフトモモが「太すぎないか?」という質問に対して、勇者の「寝心地いいぞ」という回答には、少々の違和感を覚えてしまいます。「太すぎないか?」と聞かれた場合、普通であれば「太すぎる」「太すぎることはない」「多少は太い」「もっと太れ」などの回答が考えられますが、そうではなく「寝心地いいぞ」と答えた。
これは――われわれの意思/希望に反して――世の多くの女性が「太すぎること=悪いこと」であると考えており、恐らくありのまま「太すぎる」と答えたら気分を害する、あるいは怒りに触れる可能性があったため、その件に関する言及を避けお茶を濁すためのシンシ的配慮によるものと思われます。
つまり、魔王さまのフトモモは実際太すぎるのであると。
あるいは、フトモモが太すぎる女性は往々にして別の箇所も太すぎるきらいがあり、それが正だとすると、例えばヒザ・マクラの姿勢によってもしかしたら接触するかもしれない腹肉であったり、下から見上げて初めて分かる二の腕のたるみであったり、そうした部分も含めてのことかもしれません。
それらのことは、公式サイトを覗いてみても

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「油断しきったグラマラスボディ」「“プニプニ”のお肉を気にしている」との記述によって示唆されておりました。
この公式サイトでのコメントが、先述の「太すぎないか?」に対する「寝心地いいぞ」という「否定を伴わない答え(=消極的肯定)」によって強化されたわけです。
そしてそれこそが、その実際巨大なオチチ以上にわれわれの無防備股間に訴えかけてくる魔王さまの魅力であり、また、それは「巨乳の女は多くの場合他の部分も巨大である」というゲンジツ的なオンナ・リアリティであり、某女性声優の肉増し芸にいよいよ時代が追いついた、ということでもあります。タケタツ・リアリティショック!
魔王さまは、某女性声優の肉が増量されるたびに「もっと食えもっと太れ」と呪念を送り続けているわれわれにとって正に理想的なヒロインであり、それはきっと世界の理でもあります。

また、「寝心地いいぞ」という発言自体は、先に述べたとおり、魔王さまの奥ゆかしい心理を慮ってのものであると考えられますが、それにしても、実際に寝心地がよくなければ咄嗟には出てこないでしょうから、魔王さまのフトモモは太すぎることが否定されない程度の太さであると同時に本当に寝心地がよいものなのでしょう。
そして、寝心地がよいということは、人間の三大欲求の一つである「睡眠欲」をじゅうぶんに満たしてくれるものであると思われます。睡眠欲求をじゅうぶんに満たしてくれる存在といえば、例えばフカフカのお布団であったり、ポカポカのコタツであったり、プニプニのタケタツなんかが思い浮かびますが、フカフカのお布団やポカポカのコタツは、いつの時代もわれわれの心を掴んで離さない魔性を秘めています。フカフカのお布団、好きですよね?
つまり、魔王さまの太すぎることが否定されない程度の太さのフトモモは、フカフカのお布団と同等の存在であり、ポカポカのコタツとオナじぐらいにわれわれを魅了して止まないものだということです。
それはきっとヒザ・マクラだけでなく、その油断しきったグラマラスボディはダキ・マクラとしても有用に機能するはずですし、「女の子の身体=ダキ・マクラ」であるという発想が既に一般的なものであるという事実は、販売している期間より完売している期間の方が長いのではないかと疑わしい人気魔法少女が証明してもいます。
そうすると、今度は次の発言が重みを増してきます。ヒザ・マクラをする少し前です。

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「勇者、隣……来ないか?この角度があたたかくて気持ちよいのだ」

先述したように、女性の身体とはダキ・マクラとイコールであり、また、ダキ・マクラにオナ・ホールをセッティングして出し挿れを繰り返したり、ザメンをぶっかけたりする行為はシンシの嗜みとして普遍的なものであります。したがって、魔王さまの言う「あたたかくて気持ちよい角度」というのは、挿入するのに適した角度であると考えられます。
それが、「隣」であると。つまり、魔王さまの、ダキ・マクラとして最適化された身体に挿入するにあたっては、隣へのポジショニング、すなわち「側位」がもっともあたたかくて気持ちよいのであると。
この発言は、魔王さまの「あたたかくて気持ちよい角度」を教示するものであると同時に、自身の身体にダキ・マクラとしての有用性を期待されていると自覚している証左でもあります。
そしてそれらのことは、われわれにとって「オカズ」としての有用性にも繋がってくるものであると考えているのですが、そのあたりの話はまたの機会にしておきましょう。今はまず、魔王さまの太すぎることが否定されない程度の太さのフトモモと、あたたかくて気持ちよい角度の効能を追求することがよいのだと思われます。

ところで、今期はもう一人、タケタツ的アトモスフィアを纏った良質の「肉」が存在しますね。彼女の活躍にも期待したいところであります。



・たまこまーけっと

第一話の「あの娘はかわいいもち屋の娘」というタイトルは結構気に入っていて、「かわいい」はもちろん「もち屋」に掛かっており、それはすなわちあのもち屋のおっさんが「かわいい」存在であると述べているわけで、実際もち屋のおっさん二人(もち蔵の親父含め)は些細なことで喧嘩しちゃうも喧嘩するほど仲がいいツンデレ的な「かわいい」ものとして描かれていて、これからおっさんになっていく身としてはやはり山田尚子監督のような美人から「かわいい」と持て囃されたいわけです。これが「あの娘はkawaii原宿のHollaback Girl」とかだったらもう金だけ絞られて肝心なところで寸止めされそうな感じでツラいです。

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まあそんな話はどうでもよくてですね、鳥ですよ鳥。
ところでこの鳥、太すぎないか?

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この丸々と太った、明らかに太すぎる鳥は、ダキ・マクラにしてみたらさぞかし寝心地もよいことでしょうが

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かわいいもち屋には当然多くの「もち米」が常備されているでしょうし、そうであれば、この太すぎる鳥の行く末といえば……


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ja.wikipedia.org/wiki/サムゲタン
蔘鷄湯(サムゲタン)は 韓国のスープ料理である。 鶏肉に高麗人参、鹿茸、ファンギ(牙なおぎ)などの漢方ともち米、くるみ、松の実、ニンニクなどを入れて煮込んだポシン(補身)料理、つまり滋養食である。


まあそんな話はどうでもよくてですね、問題となるのはこちらも第二話、大工娘がプレゼンテーションした「チョコの家」の図面であります。

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平面図と投影図が描かれておりますが、さて、どこにも便所が見当たりません。便所だけでなく、お風呂場もありませんよね。
これは果たしてどういうことか、キッチンやベッドルームはある程度詳細に描かれているのに、です。
考えられる可能性は三つあります。

1.大工娘の家には便所がなく、排泄物は垂れ流しである(中世ヨーロッパスタイル)
2.この世界には便所という概念がない(ファンタジースタイル)
3.ただ単にめんどくさかっただけ(ズボラ)

最も可能性が高いのは「3」でしょうか。最も考えたくない可能性は「2」ですね。「1」に関しては、決定的な描写がなければ確定不可能なので一先ず置いておきます。
さて、この三つの可能性のうち、いちばん悲劇的な「2.この世界には便所という概念がない」を消し去るための作業をおこないます。すなわち、「3.ただ単にめんどくさかっただけ」であるというのを確実なものとしたいのです。そうしないと不安で安眠できません。

まず、見やすくするために図面を回転して、いろいろカキ込みました。大文字アルファベットは平面図と投影図のそれぞれの面の対応を示しています。玄関および掃き出し窓の位置から推定できます。(※ただし、この図面にはミスがあり、投影図(下の方)のC面とD面が反転しています。C面-D面の投影図を描こうと思ったら、C面が向かって左側に来なければなりません。まあ瑣末なことなのでとりあえず無視します。)

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結論から言いますと、小文字「a」「b」で示した空間が便所であると考えられます。
理由は、「a」に関しては、「A」の面にある窓の形状が、例えば寝室にあるような左右引き違いの窓ではなく、上下の上げ下げ窓である点。これは、このタイプの窓が便所や浴室でよく使用されることから考えられる可能性です。
また、平面図を見て分かる通り、aの空間にはリビングとの間仕切りが存在します。これはこの空間がリビングとは切り離されるべき場所、隔離されるべき場所であるからだと考えられ、それは便所である可能性が高い。
便所にしては明らかに広すぎるので、この空間には浴室もセットになると見るのが妥当でしょうか。
次いで、「b」の空間。ここは、子供室を隔てる「廊下」のような空間になっておりますが、突き当りに物置があるとか、サンルームになっているとか、そういったことはなく、完全にデッドスペースになってしまっています。サイズ的にも便所にピッタリな空間ですし(W910mm×D1820mm、つまり畳一枚分が一般的な家庭の便所のサイズ)、その便所の外壁(「C」面)にでっかいハートマークが付くなんて、とても素敵です。

以上のことから、「a」ないし「b」が便所のために用意された空間だと言えます。したがって、「空間が用意されている」ということから、「この世界には便所という概念がない」に異を唱えることができるわけです。
もっとも、建具が描かれていないという点に関しては今後とも注意深く見守っていく必要があるでしょう。というか一見して「便所がない」と判断されるのはそこなんですよね。子供部屋のクローゼットなんかは結構細かくカキ込まれているにも関わらず、です。
カリに「a」ないし「b」が便所のための空間だとしたら、この大工娘の家庭がよほどオープンな家風なのか、はたまた大工娘のクリエイティビティがわれわれの想像を遥かに超える高みに達しているのか。何にせよあまりにも大胆なデザインだと思います。行き過ぎたポストモダニズム、ディコンストラクションの末路。
この図面については追々ですがもうちょっと色々考えたいですね。

という具合に、今のところ目立った便所描写の見られない作品でありますが、便所を見せずしてその存在を考えさせる、きわめて高度なアニメでした。
今後は、玩具屋娘の扱う玩具問題にも注目していきたく思います。

以上。
次回は『ささみさん』における陰毛問題に関してです。






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