水の音、無形の雫

アニメやゲームのレビュー、日常の様々な事象に関する考察など。C86・3日目東P21a

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残暑へ向けての爽やかな水着特集 『まよチキ!/ロウきゅーぶ!』   2011.08.31


まだまだ暑い日が続いておりますが、気付けば夏ももう終わりですね。
夏といっても、読者諸兄にはどうせロクな思い出の一つもないでしょうし、思い出の積み重ねよりも薄い本の積み重ねの方が大事でしょうが、これからの残暑を爽やかな気持ちで乗り切るためにも、また、せめてもの夏のメモリーとして、涼し気な水着美少女たちを特集しておこうと思った次第であります。

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そんなわけで、まずはこの夏イチオシの養豚場としてむさ苦しい豚どもから高い評価を受けている「まよチキ!」の話から始めましょうか。

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第6話において描かれたスバルのチャイナ服姿は、我々に「映像の虚構性」を教えてくれました。
すなわち、視聴者である我々にはハッキリとその胸元の「谷間」が見えているにも関わらず、周囲の人間には――特に間近で関わったマサムネや紅羽にすら――女である「事実」が一切バレないわけです。

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続く第7話、いわゆる「水着回」においても同様に、チャイナ服などとは比べ物にならないレベルの露出であるにも関わらず、そこに確かに存在するはずの「事実」は、最後までキャラクターたちには伝わらなかった。

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マサムネに至っては、メガネをかけて変装し身分を偽ったスバルが「本物のスバル」であると看破しておきながら、なぜか「女」であるという事実には辿り着けないのです。いくらフィクションのアニメ、コメディ作品であるとは言え、ここまでくるとさすがに異常であると言わざるを得ないでしょう。
これらの現象は、「映像」として提示された「視聴者が受け取る情報」と、「作品内のキャラクターのあいだで共有されている情報」が乖離していることを示します。つまり、我々は虚偽の映像を見せられているわけです。
「虚偽の映像」とは、「フィクション」であるとか、「実在の人物団体等とは一切関係ありません」とか、そういった類の、最初から視聴者に認識されているはずの「作品そのものの虚構性」ではなく、作品内部の構造的な部分での虚構、すなわち、「作品内で実在する人物団体等による出来事」が、虚偽を伴って視聴者に届けられているという意味です。
作品そのものが虚構の物語であり、かつそこで描かれる「事実」すらも虚構のものであると分かったとき、我々視聴者は一体何を信じればよいのでしょうか。
「ビキニの水着を着ても女であることがバレない」という「事実」は、スバルのおっぱいは映像で示されるほどの質量ではなく、実際には男と言い張れるレベルのド貧乳であるとか、あるいはマサムネは実は盲目だったのだとか(恋は盲目なんてジョークは今は必要としていません)、実は全員スバルの正体を知っていて主人公ら三人だけが壮大なドッキリにハメられているのだとか――――そういった憶測が生まれるのもやむなしでありましょう。
あるいは、例えばギャグアニメの人物は「死なない」という特性が与えられているのと同じように、スバルには「バレない」という特性があるのかもしれません。もっとも、そうなったらそうなったでバレるかバレないかのドキドキ感みたいなものに担保された作品構造は大きく変わってくるわけですが……

いずれにせよ、ただのポル産萌えアニメだ、ただの養豚場だ、などと切り捨てるには惜しいぐらいに攻撃的な作品であり、だからこれからも注目しなければならない。という言い訳を思いついたので、ここに記しておくとともに、今後も胸を張ってブヒブヒ鳴こうと思います。


ところで、やっぱり小学生って最高ですよね。
水着姿の女子小学生とバスケなんかやったらイリーガルユースオブハンズで即刻退場ですよね。

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つまり、ババァJKの水着よりもJSの水着の方が殺傷能力が高いわけで、葵オバお姉さんたちが負けたのはバスケの情熱だとかそんなものではなく、「年齢」という無慈悲にも不条理な世の中の摂理によってであるわけです。老朽部ではロリ球部には勝てなかった。
もっとも、今ここで語られるべきなのは、ババJKとJSに水着対決させることによる理不尽なまでの「女子高生Dis」についてではなく、今やアニメではおなじみとなった「スポーツ回」についてであります。

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なんとなく「野球」が多いように感じますが、昨今のアニメでは「スポーツ回」を見る機会が多くなりました。理由としては、キャラクター同士の「団結」を演出したり、美少女たちの身体の各々から飛び散るであろう何かしらの汁を撒き餌にして視聴者を釣り上げたり、「勝負空間」というある種の非日常を演出したりなどなど、色々あるのでしょうが、この「ロウきゅーぶ!」においてはそういったスポーツ回の挿入がきわめて難しくなります。
そもそもが「スポーツアニメ」なのだから当たり前ですよね。
そこで、水着です。
常識的な考えを持った者ならば、水着姿でバスケをプレイするという発想は持ちあわせていないでしょう。ゆえに、水着という衣装に「非日常性」が生まれます。つまり、「いつものバスケ」を水着姿で行うことによる特異性をもって、他の回とは差別化された「スポーツ回の代替エピソード」としたわけです。
もちろん、この第8話の水着バスケ対決の前話、第7話への言及は避けられません。なぜならば、第7話が、バスケをせずに水泳を行うという文字通りの「サービス回/水着回」であった点が重要だからです。

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すなわち、この作品における「サービス回/水着回」とは第7話のことであり、第8話はサービス回/水着回ではない(=水着バスケはサービスとして描かれたわけではない)ということになり、このことが、先述の「スポーツ回の代替エピソード」という解釈を裏付けます。
まとめると、第7話~第8話は、「連続する水着回」ではなく、片方が「水着回」、もう片方が「スポーツ回(の代替)」だったわけです。

こうした、水着着用による特異性の演出は、スポーツアニメにおいて有用な手法かもしれませんが、我々は今、水着姿でソフトテニスをプレイしたアニメを思い出さずにはいられないでしょう。

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この時我々は、ついに水場以外の陸上において水着を着用するための(させるための)合理的な動機を手に入れたのだと喜びもしたわけですが、水着姿でスポーツをするという発想が、思いもよらぬかたちで受け継がれていたことを知り、再び歓喜の涙を流すのに躊躇いの必要はありません。
「そふてにっ」という作品の先見にも驚かされますが、何より、我々は今や、「水着」という言葉の定義すら覆そうかという事態に直面しているのだと、アニメ文化の想像力の飛躍に感嘆せざるを得ません。

以上。















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便所論壇2.0 『異国迷路のクロワーゼ』   2011.08.05


便所論壇は今まさに第二章へと移行しようとしているのかもしれません。

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「異国迷路のクロワーゼ」において描かれる、あるいは描かれない「便所」は、その空間としての存在に加えて、周辺環境まで含めた「文化」としての特色に着目すべきであると我々に語りかけてきます。

この作品の時代設定は、19世紀後半という便所的にきわめてデリケートな時代――下水道の整備によって水洗便所の普及が始まろうかという時代――であるため、どこの家庭にも現代のようなかたちの便所があるとは言い切れません。(ひどく曖昧な言い方になりますが、それぐらい微妙な年代ということです)
つまり、ここで押さえておきたいのは、クロードの家には、現代で想定されるかたちの便所はなかった可能性が非常に高い、という点であります。

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例えば、第三話において描かれたのは、この作中世界/時代における「水」および「紙」の希少さでした。
水が貴重な存在であるということは、上下水道などのインフラがまだ整っていない、すなわち水洗便所が未だ普及するに至っていないことを示唆しています。
また、紙が高価なものである旨は、「トイレットペーパー」が存在する可能性を危ういものにします。歴史的に見ても、トイレットペーパーが最初に製品化されたのは1857年のアメリカでのことですから、少なくとも、決して裕福とは言い難いクロードの家にトイレットペーパー(またはそれに準ずる紙製のもの)が常設されているとは考え難い。
すなわち、湯音は便所に行ったあと、紙以外の何かで拭く、あるいは拭いてない可能性すらあるわけです。

これらのことは、第四話で語られた「お風呂」の事情からも読み取れます。

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ここでもやはり、日本とフランスにおける水資源に関しての捉え方の差異が描かれており、湯音はフランスに来てから満足にお風呂に入れない生活を強いられていたのだという大変喜ばしい事実が明らかにされるとともに、便所についても同様に、よくて汲み取り式、もしかしたら昔ながらに「おまる」のようなものに排泄した後、窓から捨てる/川に流すという形式なのではないかとの疑念をより強固なものとします。
また、お風呂がそうであったように、「便所」も壁や扉によって隔離された空間ではなく、いつクロードとはち合わせてもおかしくない環境である可能性も示唆されています。
この作品では、便所という空間をまったく描くことなく、別の要素によって、当時の便所の有り様を描いているわけです。

ところで、ちょっとした余談になりますが、フランス人は便所に行ったあと手を洗わないという話はご存知でしょうか。これはあくまで「日本と比べて」といった程度の話ですが、公衆便所などでも手を洗わずに立ち去る人が多いとはよく耳にします。
さてさて、現代ですら「手洗い」の文化が日本ほど浸透していないフランスで――上述のお風呂の件も然り、そもそも「衛生」というものに関して現代日本のような潔癖さがない――水洗便所も未だ普及していないと思われる19世紀、「水」も「紙」も貴重な存在とされる時代、果たして湯音は、便所に行ったあと手を洗うことなどできたのでしょうか

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まとめます。

1.クロードの家には現代で考えられるような便所はない可能性がきわめて高い。(少なくとも水洗ではないと考えられる)
2.恐らくトイレットペーパー的なものもない。(当時の主流はボロ布や干し草、あるいは「手」)
3.水は貴重なので手は洗わない。
4.お風呂と同じく、便所も他の人の目に晒されるような空間である可能性が高い。

以上のことは、あくまで憶測の域を出ないわけでありますが、しかし一方で、そうした憶測を裏付けるための描写が頻繁に行われている点にこの作品の面白さがあるのではないでしょうか。
先述の通り、便所以外の要素、すなわち「水」や「紙」に関する文化を描写することによって、間接的に「便所」の様子が描かれるわけです。
直接的に「かたち」は描かれなくとも、我々の目には、湯音がその着物の裾をたくし上げ、もしかしたらクロード様に見られてしまうかもしれないと羞恥に頬を染めながら「容れ物」の中にカレーを注ぎ込み、そのまま手を洗わずに何食わぬ顔で店頭に立つ姿がハッキリと映るでしょう。
そして、こうした「便所描写」は、冒頭で述べたように、便所という空間そのものだけではなく、「トイレットペーパー」や「手洗い」といった周辺機器への目配せの必要性を訴えかけています。
それはすなわち、便所論壇の新たなフェーズへの移行を促すものとなるのでしょう。


――――と、以上のようなことを書き綴ったのは、言わば便所論壇1.0の総まとめである「排泄する身体」が掲載されたシンシアニメの宣伝であると同時に

シンシアニメ
コミックマーケット80(二日目)
会場:東京国際展示場(東京ビッグサイト)
開催日時:8月13日(土)10:00~16:00
サークル名:シンシアニメ
ブース:東2 Q-25b
夏コミ特別価格:500円(通常0,721円のところ)



実はこの中で「異国迷路のクロワーゼ」に少しだけ触れており、その部分への補足あるいは訂正/加筆の意味を込めたものであります。
ので、上記の文章を読んで便所論壇に興味を持たれた方や、第一話(シンシアニメの原稿が書かれた当初)の時点で判断した「クロワーゼ」への解釈の微妙なズレに羞恥で頬を染める筆者の姿が見たい方は、ぜひとも夏コミ二日目にお立ち寄り頂ければと思います。

以上。













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排泄戦略しましょうか 『輪るピングドラム』   2011.07.23


第1話を見たときに便所アニメになるのではないかと予感していましたが、どうやら正解だったようなので、以前書いた第1話レビューへの追記として、第2話、第3話を振り返ります。

第一話で最も重要だったのはやはりワンカットだけ挿入された便所の扉でありましょう。

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キッチンやリビングと同じく、可愛らしく飾り付けされた便所の扉は、そこが他の部屋と地続きになった「生活空間」であることを表しています。
この作品の登場人物たちは、当たり前の生理現象として排泄行為を行う「排泄する身体」を有しているわけです。

この作品のキーワードである「生存戦略」とは、「排泄」のことではないかと考えられます。あらゆる生物にとって生きるために必要なこと、それは排泄行為であり、そこには「いつ/どこで」行うかという「戦略」の要素が含まれます。
犬や猫なら「縄張り」という概念によって「排泄戦略」が行われるでしょうし、人間社会でも、例えば学校でうんこしたら「うんこ大王」とあだ名を付けられる、ゆえにうんこは家でしよう、といった戦略が必要にもなるでしょう。
そういった点を踏まえた上でこの作品を見返してみると、最後のトンデモ空間での晶馬の落下シーンも

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まるでボットン便所を模しているかのように思えもしますよね。
もちろん、冷蔵庫に掛けられたホワイトボードに書かれた、恐らくはお買い物リストでしょうか、「トイレットペーパー」という単語も見落とすわけにはいかない。

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ここからも、陽毬さまたちがトイレットペーパーを必要としている存在であることが伺えます。――――



第2話では、ファーストカットで便器が描かれるなどしましたが、ピンク色の便器とピングドラムが掛かっている高度なジョークなんじゃないかという推測はさておき、便器及び便所において何らかの記号として表出された「☆」たちの存在については考察の必要があるでしょう。

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この、星の形をした何かしらは、便器の中から出現していることから、「排泄物の匂い/臭い」を表現していると推測されます。
アニメーションにおいて「におい」をどう表現するかというのは一つの課題であり、オーソドックスなかたちとしては、黄色い靄で異臭をあらわしたり、あるいはキャラクター自身にセリフとして語らせたりなどがありますが、星の記号によってにおいを表現するという方法それ自体の面白さとともに、この場合は、星型という綺羅びやかな形状によって「女子便所のにおいはキラキラした美しいものである」という紳士的な嗅覚をも表現することに成功しています。
確かによくよく考えれば、女の子が入ったあとの便所からは芳醇でギャラクシーな香りが漂うでしょうし、まかり間違っても「臭い/汚い」といったイメージにはならないでしょう。

こうした「☆」による演出は、第3話においてその威力を発揮します。
この回では、アバンにおいて水泡の音とともに部屋が水没している様――海の中を漂っているかのような――が描かれましたが

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この海(=水)というイメージは、第2話の便所で描かれた洗面鏡の背景とリンクします。

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つまり、海のイメージ=便所のイメージと言えるわけです。
そしてこの便所のイメージは、OP開けの排泄シーンへと繋がります。

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件の「☆」を飛び散らせながら焦げ茶色の半固形物をひり出すという直視するにはあまりにおぞましい光景が、あろうことか無修正で描かれたことに驚愕するとともに、アニメ表現はここまで進化したのかと感嘆の声を上げずにはいられません。
そしてその際には、この回のキーワードである「カレー」の話もなされていました。
曰く、20日はカレーの日であると。
この時点で既に多くの視聴者は嫌な予感に駆られていたでしょうが、我々はこの後、思い出すのもはばかられるほどにグロテスクな光景を目の当たりにすることになります。

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嫁入り前の女子高生が「カレー」を精製するという絶対子供には見せたくないアブノーマルなプレイです。ニコニコ動画に投稿したら炎上は必至でしょう。
また、このシーンでは、JKのスカトロ描写とともに、ある重要な事項が示唆されています。

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いくつかの食材たちの中でも殊更大量の「☆」を噴出させる「リンゴ」です。
このカットは、便所云々以前に、実は「リンゴ=苹果」こそが「☆」を出現させる要因なのではないかとの疑問を我々に投げかけています。
つまり、「ウン命」という言葉を信奉する苹果ちゃんは、「☆」という記号によって「カレー」とダイレクトに繋がる存在――すなわち「肛門」あるいは「胃腸」のメタファーである可能性が高いと。
そのことは、カレーを排泄している最中に着用していたエプロンに刻まれた「☆」が有力な手がかりとなります。

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この「☆」は、例えばカバンのアクセサリーであったり

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あるいは部屋の中にもオブジェとして登場しており

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苹果ちゃんという存在が、便所のみならず常日頃から「☆」と密接に繋がっていることをあらわしています。
また、排泄したカレーを持ち運ぶ際、電車の中に「カレー臭」が漂うという描写がありましたが、その際に中吊り広告で描かれた「消臭」の様が

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ホースで水をぶっかけながらブラシで擦るというものであったことから、この時の「カレー臭」とは、「便所を掃除するのと同じように洗い流さなければならない臭い」であったことが伺えます。(この、明らかに「パンティ&ストッキング」を模した二人組も、耳に「☆」のイヤリングを装着している点、「パンスト」という作品が「便所/カレーネタ」を乱発したスカトロアニメであった点から、彼女らもまた「便所的」な存在であるとの見解を付け加えておきます)

こうした、「☆」を基点とした苹果ちゃんの便所的身体性を踏まえてみると、この第3話が、自身が排泄した「カレー」をどのようにして「愛する人」に食べさせるかという「排泄戦略」の話であったことが分かります。
ここでは、泥棒猫と遭遇した苹果ちゃんが、素手でカレー鍋を掴むという狂気的な戦略によって一応の勝利をおさめました。
一方で、愛される人である多蕗くんは、「カレー」を受け取る側、つまり「便器」であるのではないか、といった疑問が提示されもしましたが、そこの問題に関してはもう少し様子見が必要でしょう。
なぜならば、我々はまだ、陽毬さまの足元から漂う「☆」であったり

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冠葉と晶馬の着る制服に刻まれた「☆」についての言及を待たねばならない段階なのです。

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あるいは、OPの映像で出てくるアンプルのようなものも

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浣腸剤もしくはデリケートな部分に塗る薬の容器なのではないかと疑われますが、そのあたりもまだまだ先の展開を待つより他ないでしょう。
今のところはまず、「人がうんこ食ってる時にカレーの話すんなよ……」というヌルいツッコミとともに、苹果ちゃんの便所性の指摘に留めておくことにして、これから先どのような排泄戦略が描かれるのかを楽しみにしたく思います。

以上。


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