水の音、無形の雫

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緊急特集・魔法少女まどか☆マギカ――最後に救われたのは誰だったのか――   2011.04.23


ついにと言うべきかようやくと言うべきか、冬期最大の話題作、魔法少女まどか☆マギカが最終回を迎えましたね。
読者諸兄においても、その結末に関しては様々な解釈/感想が持たれているでしょうし、多くの人のあいだで既に、「ほむほむはまどかから貰ったリボンを絶対に洗濯などしていないだろうし、貰ってしばらくの間は毎晩クンカクンカペロペロしていたはずだ」とか、「ほむほむはリボンよりもパンツを貰う方が幸せだったのではないか」などといった議論が盛んに行わていることでしょう。
そして、一アニメファンとして、やはりそうした議論の波にはぜひとも乗っておきたいと、そう思うわけでありまして。

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さて、まずは最終話の一つ前、第11話の内容を簡単に振り返ってみると、そこではまどかの途方も無い魔力の由来が、因果律平行世界といったSF用語を駆使しつつ語られました。
曰く、ほむほむのループによっていくつもの平行世界の因果が収束されることになったと。
そしてその結果、まどかは途方も無い魔力を手に入れることになった。
なるほど確かに、当ブログで提唱しているアカシックパンツ論を援用すれば一定の理解が得られます。
つまり、ほむほむがループすることによって、その都度まどかのパンツには味や匂いが蓄積されていく、という理屈ですね。

また、この回では、ほむほむとワルプルギスの夜との死闘が描かれもしました。
最終話との連続放送だったこともあり、派手なラストに目が奪われがちではありますが、このバトルシーンもなかなかに面白かったのではないでしょうか。

そして最後、ほむほむの魔力が尽き、グリーフシードも真っ黒に染まろうかという中、ついにまどかが戦場へとあらわれ――――というところで最終回へ。
この流れも、連続して見ると印象が薄れがちですが、仮にここから一週間の間おあずけ状態になると思うと、ハッピーエンドにもバッドエンドにも転がりそうな、次回への想像を掻き立てられるいい切り方でしたよね。


―― 一方そのころリオとリナは最後のゲートバトルを繰り広げていた。

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いよいよもって最終回、まどかはついに魔法少女になることを宣言するわけでありますが、ここで注目されたのは契約に際しての「願い」の内容でした。
まどかが魔法少女になる場合の願いの内容は、多くの人によって様々な予想がなされていましたが、その答えは、「過去から未来すべての魔女を生まれなくする」というもの、つまり、魔法少女→魔女というシステムそのものの破壊でした。

その際、まどかは過去から未来すべての魔法少女の希望/絶望をかいま見、また、ほむほむのループの歴史も視認することになります。
ほむほむの行いがようやく報われるとともに、まどかのパンツを盗んだり靴下の匂いを嗅いだりしていたこともバレバレユカイです。
しかし、まどかはそれらの行為すらも受け入れ、「希望」に変えてしまうのです。


―― 一方、リオとリナはそれぞれの過去と向き合っていた。

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そしてついに、まどかによる時空改変が始まります。
世界中にそげぶ弾幕をバラ撒き、絶望に染まる魔法少女たちを救済していきます。
卑弥呼(らしき少女)やクレオパトラ(らしき少女)やジャンヌ・ダルク(らしき少女)、果てはヴァルキュリア(的な少女)など、歴史の教科書に載っているような人物が実は魔法少女であったと思わせる演出はベタながら面白かったですよね。


―― 時を同じくしてリオはゲートバトルに勝利、ついにレインボーゲートが起動。

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すべての絶望を希望に変え、魔法少女→魔女というシステムは根本から書き換えられます。
宇宙の再編という途方も無い作業が行われるわけです。
(その際には、ほむほむとのニュータイプ会話が行われるなど、「お約束ごと」も決して忘れません。)


―― その時、リオはアルティメットロールルーラーを発動し、世界中にラッキーをバラ撒いていた。

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果たして、まどかの「願い」は成就され、世界中の魔法少女は救済されたのでした。
もっとも、これが「救済」と呼べるのか否かは解釈が分かれるところかもしれません。
なぜならば、魔法少女→黒化→死という根本的な問題は解決されず、また、そうした問題を解決してしまう(具体的には、さやかが死なないようにする)と、今度は世界の歴史そのものが変わってしまうというパラドックスに陥るのです。


―― ちょうどその頃、リオの「願い」が成就され、世界同時多発ラッキーによって世界中の人々が救済された。

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さて、こうして振り返ってみると、「まどか☆マギカ」において描かれた「世界救済」は、あくまで「魔法少女」に対する救いであり、一般人(特に、この作品においてはゴミクズ以下の存在としてしか描かれなかった「男」)にとっては感知することのできない、身も蓋もない言い方をすれば「ありがたみを感じづらい」救済システムでした。
まどかが救ったのはセカイではなく魔法少女だったわけです。

一方、「Rio RainbowGate!」では、セカイ中の人間に認識される形ですべてをダイレクトに救済してみせました。
Rioによる世界救済(=世界同時多発ラッキー)は、一人一人それぞれの事情に考慮した救いの道、言わば幸福の個別指導でありました。
過去、人知れずセカイを救っていたヒーローは沢山いましたが、公衆の面前であれだけの規模の幸福を撒き散らしたのはRioが初めてなのではないでしょうか。

また、まどかの魔法少女救済のプロセスは、過去(及び未来)の因果に干渉し既存のシステムを書き換えるというものでしたが、Rioの場合は、過去も未来も変えることなく、現在の「ありのままの世界」を「そのままの形」で救ってしまいました。
しかも、実質的には「自己犠牲」によって成り立ったまどかの「願い」とは真逆に、Rioは一切の犠牲を払うことなく世界救済を成立させてしまったわけです。

そしてなにより、そうしたプロセスを、因果律だの平行世界だのループだのエントロピーだの謎の白い液体だのといった使い古しのSF用語に頼ることなく、「資質」というたった一言ですべてを乗り切ってしまった「Rio RainbowGate!」こそが、冬期アニメの覇権を握る作品であると強く断言したく思います。

まどかマギカという作品は、時に「エヴァンゲRioン」なんかと比較されもしますが、何のことはない、世界同時多発ラッキーによって人類補完計画を上書き/克服し、誰よりも、視聴者たる我々を救済してくれたのは他ならぬRioだったのです。
2011年、我々はついに、Rioによって「セカイ系」の呪縛から解放されました。


以上、「緊急特集・Rio RainbowGate!――最後に救われたのは誰だったのか――」でした。













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新アニメが始まる前に――超簡易版便所論・序章――   2011.04.02

テーマ:アニメ・感想 - ジャンル:アニメ・コミック Tag [便所]

当ブログでは以前、「放浪息子」における便所を介したドラマツルギーについて言及しましたが――女子便所から発生するドラマ 『放浪息子 第7話』――7話に続いて、第8話、及び第9話においても女子便所が有用な演出装置として働いていた点は指摘されねばならないでしょう。
この作品において、高槻くんと千葉さんのコミュニケーションは主に女子便所で行われます。

また、「STAR DRIVER 輝きのタクト」においても、便所は圧倒的な存在感を見せつけます。
例えば、タクトとミズノが邂逅を果たしたのは男子便所でしたし、ワコ、ケイトらヒロイン同士の会談も女子便所が主な舞台となります。


ところで、便所、とりわけ「公衆便所」には、公共の施設でありながら個のための空間が広がっている、という稀有な特性が備わっています。基本的に誰でも無料で使えて、なおかつパブリックとプライベートを完全に両立させた空間は他に類を見ません。
そして、そういった「パブリック←→プライベート」の共存は、人間にとって「建前←→本音」の相反する感情を表に晒け出させる場として機能し、故に時として大きな「物語」を生み出す起点となります。

「君に届け」なんかは、まさに「女子便所」から物語が始まっていると言っていいでしょう。
爽子に敵対意識を持つ女子同士の陰口、すなわち「プライベート」が、たまたまそこに居合わせた爽子本人(または爽子の味方)に露見(=パブリック化)したところから物語が大きく動き始めます。
便所とは、排泄物だけでなく「本音」も漏れる場所なのです。
(だからこそ、放浪息子にしろスタドラにしろ、ヒロイン同士の本音対談が実現したわけです。)

また、何かしらの「作戦会議」が行われるのも大抵が女子便所でした。
便所には作戦会議室としての機能も備わっています。
この、意外とスルーされがちな作戦会議室としての便所の有用性は、「フラクタル」においても描かれていましたよね。

第5話、雲隠れしたネッサを探すための拠点、作戦参謀室として選ばれたのが便所でした。
もちろん、この回では「便所掃除」という神聖な儀式も行われていたわけですから、便所という空間がいかに丁重に扱われていたかが分かるというものでしょう。


こうした、アニメにおける便所描写は、物語的に重要な会話/対話シーンを描きやすいという利点――先ほども述べた通り、公衆便所とは、半パブリック、半プライベートな空間であり、「他人にはあまり知られたくない情報(プライベート)」を「限定少数の人間と共有できる(パブリック)」機能が備わっている――に加えて、もう一つの重要な問題を浮き彫りにします。

アニメキャラの排泄問題です。
例えば、「アイドルはうんこしない」といった論は常に多くの支持を得ていますが、では、アニメキャラはどうでしょうか。
我々は、これまでアニメキャラの排泄をあまりに無視しすぎたのではないか。
上述のような便所描写――ギャグとしての便所/排泄ではなく物語の舞台としての便所――によって、アニメキャラはようやく「排泄する身体」を手に入れることが出来るようになったのではないか。
そういった問題と、我々は今こそ真剣に向き合わなければならない――――わけでありますが、この問題を考えるにあたっては、膨大な量の資料及び考察が必要になるので、今のところは「またの機会に」ということにしておきます。
とりあえずは、便所空間における物語的な有用性、この指摘までに留めておきましょう。


以上、ごく簡単にではありましたが、本格的に春アニメが始まるまでに見直しておきたかった問題に関するまとめでした。





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お客様がお望みなら 『Rio RainbowGate!』   2011.03.26


今期のベストアニメに「Rio RainbowGate!」を挙げる人は少なくないでしょう。
事実、今月半ばに発売予定だったBD第一巻はあまりの人気に生産が追いつかず発売延期になりましたし、例えばニコニコ動画における第10話の再生数を見ても、「まどかマギカ」の73万再生に対し、6.2万再生という圧倒的な数字を叩き出しています。
なぜ我々はRioという作品にこんなにも惹かれてしまうのか、Rioとは一体何なのか、今回はそのあたりを考えてみたく思います。

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・Rioはどのような作品か

まず始めに、Rioという作品はそもそもどういったものなのか、というところをまとめてみましょう。
結論から言えば、Rioは「魔法少女アニメ」であると言えます。
「敵」が現れて、何かよく分からない能力を使って倒す、という流れは、まさしく魔法少女であると言えるでしょう。
もちろん、「変身」という要素もしっかり取り入れられていますし

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毎回様々なコスプレ衣装を着させられていたり

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「カード」を収集するというストーリーに触れたならば

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我々は往年の名作「カードキャプターさくら」を思い出さずにはいられないでしょう。

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あるいは、今期の魔法少女といえば「まどかマギカ」が人気なようですが

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Rioにおいて、リンダられるシーンが頻繁に描かれるのは読者諸兄もご存知の通りです。

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また、ロールルーラーの能力によって誘導される異空間が、「まどかマギカ」におけるイヌカレー空間に類似しているという指摘や

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(両作品共に「植物」が出現した点は極めて興味深い)


いやいや、この異空間は「男版魔法少女」である銀河美少年のバトルフィールド、「ゼロ時間」にこそ類似性を指摘されねばならないだろう、というような議論も活発に行われていますよね。
行われているはずです。
行われていなければならない。

もちろん、言葉巧みにリオを煽動し、戦いの場へと駆り立てる「淫獣」の存在も確認されています。

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こうしたギミックの数々を並べるだけでも、Rioという作品が魔法少女アニメであることの証左になるでしょうが、ここでもう一点、その綿密なストーリー構成についても述べておかねばならないでしょう。
Rioという作品は、日常→バトル→勝利という極めて分かりやすい魔法少女アニメの構成となっていますが、ループがどうのとか、エントロピーがどうのといったような小難しい考察は必要とせず、基本的にどの話数から見ても確実に理解が出来る構成は、「プリキュア」を始めとするニチアサアニメの系譜に近しいものがあります。

この作品は、深夜に放映されているのが不思議なほどにニチアサ向けの、魔法少女の王道展開を巧みに取り入れた健康的な作品であり、それであるが故に、心無い視聴者からは「安っぽい」だの「茶番だ」だのとネガティブなニュアンスで言われることも多々ありますが、そもそも魔法少女アニメとは総じて茶番劇であるわけですから、そうした茶番劇を、それと分かった上で楽しめる玄人にこそ実は相応しい作品であると言えるでしょう。
決してパチンコ脳のバカに向けて作られている作品などではありません。

また、先ほども述べたように、この作品では「リンダられる」シーンが頻繁に描かれ、あたかも我々のトラウマを刺激し精神的の崩壊を助長しているかのように思われるかもしれませんが、しかしその一方では、リンダられたリンダが頭部を修復し復活する様も同時に描かれているわけですから

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むしろ、こうした一連のシーンには「マミられ」のトラウマを克服し精神の安定をもたらす効果が期待されるとともに、「まどかマギカ」への痛烈な皮肉をも感じ取ってしまうことでしょう。(妹兼親友だと思っていたリナが敵になる=魔女化するという驚愕の展開も含めて)
こういった点からも、この作品の「魔法少女」に対する高い批評精神が伺えます。



・Rioの身体性

この作品では、しばしば基準値を超えたおっぱい(学名「りおっぱい」)が検出されるわけでありますが、この不謹慎なおっぱいには、「場面によってサイズが変わる」という性質が指摘されています。

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確かに、こうして並べてみるとサイズの違いが一目瞭然です。
実はこうしたおっぱいの可変性、すなわち「変身」という要素こそがRioという作品が魔法少女アニメであることの証なのではないか、という話はさておき、この変形型のおっぱい、我々は別の作品でも目にしていましたよね。

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そう、養豚場アニメとして名高い「IS<インフィニット・ストラトス>」におけるシャルルの可変収納式おっぱいです。
場面ごとにサイズの変わるシャルルのおっぱいとリオのりおっぱい、これらを並べて語ることは決して間違いではないでしょう。

もちろん、この可変式りおっぱいのサイズが、上記のキャプチャの通り、着衣>水着となっており、水着>着衣であるシャルっぱいと対になる存在であることは見逃せません。
先述の「まどかマギカ」と同様、今期の人気アニメの一つである「IS」に対してもそのアンチテーゼを隠すことなく表明しているわけですね。

また、この作品は、そもそもキャラデザの時点で総じて奇形であると認識している人は多いでしょう。
この場合の「奇形」とは、所謂「萌えアニメ」のテンプレに属さない、特異なキャラデザであることを指します。(コンビニで売ってる系のエロ漫画に通じる歪なボディバランスなど)
そしてもちろん、奇形キャラデザといえば今期の妹枠、「お兄ちゃんのことなんか全然おちんこ!」が思い出されるでしょう。

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あるいは、常時ヘソ出しという斬新なユニフォーム姿は、「夢喰いメリー」を彷彿とさせもしますよね。(ここでも、メリーちゃんの「下乳」に対し、リオの「上乳」という、他作品への対称性が見てとれます)

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こういった、身体的な特異性においても、他作品に対する批評的な視野を感じ取らずにはいられません。
我々は今、アニメキャラの身体構造を問われています。
(そういえば、公式サイトに「かわいいりおっぱいに注目してくださいませ」という一文がありますが、そもそもおっぱいを「かわいい」と評する姿勢からして何らかの高い意識が伺えますよね)



・まとめとして

さて、以上のようにまとめてみると、このRioという作品が、様々な作品の要素を緻密な計算のもとで柔軟に採り入れ制作されているアニメであることが分かるでしょうし、また、逆に他の様々な作品に影響を与えている側でもあることが伺えます。
つまり、今期はRioを中心に回っていると言っても決して過言ではありません。
Rioという作品は、まさに「ハイブリッドアニメ」と呼ぶに相応しい逸品であり、そのことを知ってさえいれば、「Rioはパチ屋の税金対策のためのアニメだ」などといった間違った見解を述べることなど到底できないでしょう。
我々は今こそ(まどかマギカやフラクタルのような安易なタイトルではなく)このRioをこそ語らなければなりませんし、肉感溢れる女性的なエロスに満ち溢れたキャラクターであるにも関わらず男の気配が一切しないという、処女厨への配慮も忘れないリオにこそブヒブヒ鼻を鳴らさなければならないのでありましょう。
Rioの存在はついにアニメシーンのエントロピーを凌駕しました。

以上。













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