水の音、無形の雫

アニメやゲームのレビュー、日常の様々な事象に関する考察など。C86・3日目東P21a

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HYPER-CUBE   2009.07.29

テーマ:自然科学 - ジャンル:学問・文化・芸術
つまるところ、「信じて進むのか信じずに立ち止まるのか」という話です。


例えば、あなたの目の前を歩いている女性、あなたとすれ違った女性、あるいはあなたの前でレジに並んでいる女性、もしくは電車であなたの隣に座った女性、これらの女性がみな一様に「パンツをはいていない」と言われたらあなたはどう思いますか?

「そんなバカな」と一笑に付す人が大半かもしれません。
しかしながら、本人を除いて誰一人として「はいている」と証明出来る人などいないというのも事実なのです。

街中を歩いていてすれ違った女性がパンツをはいていない可能性は決してゼロではないのです。
要は信じるか信じないかの違いです。



さて、ここから先はそういったことが信じられる人にのみ開かれた世界です。

この巫女さんは絶対処女だ!
幻想郷はある!
フィギュアはもはや三次元だ!
あ、今ルイズが俺の方見た!
こう思える人。

「空島も黄金郷も誰一人として“無い”と証明出来たやつはいねえ!バカげた理屈だと人は笑うがいいじゃねえか!それでこそロマンだ!」と大声で言える人のみここから先を読み進めて下さい。





『四次元萌えの可能性に関して~導入編~』







まずは次の証明式を見て頂きたい。



三次元=現実
二次元=希望

三次元-二次元=一次元


  変換すると↓

現実-希望=一次元

   つまり

 一次元=絶望

この式は

三次元(現実)-一次元(絶望)=二次元(希望)
一次元(絶望)+二次元(希望)=三次元(現実)


が成立することから正しいと証明される。







以上の公式はだいぶ昔にどっかの掲示板で見たものでありますが、俺はこれをさらに発展させ、以下の様な事を思考しました。





仮に上記の式が正しいとするならば

三次元(現実)+一次元(絶望)=四次元(地獄)

となるわけか・・・


いやまて、この場合はプラスされる一次元はむしろ「期待」になるのではないか。

であれば

三次元(現実=希望+絶望)+一次元(期待)=希望+絶望+期待

が成立するわけだ。

なるほど、つまり四次元とは希望だけでなく絶望というリアリティさえも含んだ未知の可能性というわけだ――







と、そのようなことを考えたんですが、しかし、その直後、一つの誤りに気付きました。


当初俺は「一次元」という単位を“変数”とみていました。
つまり、二次元に加えられる一次元は絶望であるのに対し、三次元に加えられる一次元はまた違った意味を持つものだと解釈したのです。

これは、元来考えられている多次元理論を基に考察した結果ですが、どうやらこれは間違いだったみたいなのです。

事はもっと単純でした。
そもそも「一次元」というものを一つの単位と見做した場合、上記のように一次元(絶望)が一次元(期待)へと変換されるのはやはりおかしい。
あくまで一次元の持つ意味は一つに限られなければならないのです。


という事を踏まえた上で考察すると、一つ重要なことに気付きました。
とんだ盲点です。

なぜ最初に気付かなかったのかと自分を責め苛みたいです。


早い話、最初の式を基にすると

一次元(絶望)+一次元(絶望)=二次元(希望)

という式が成り立つのです。
この発見はまさに目から龍神の鱗でした。

これにより(絶望)が二つ合わさると(希望)へと変換されるということが証明されました。


もしかしたら、皆さんは今「絶望が二倍なのに希望なの?」と思っているかもしれません。
俺も最初はそう思いました。

しかし、これは何ら不思議なことではないのです。

例えば

「怒りを通り越して笑ってしまう(巨人の補強的な意味で)」

「疲れもピークを過ぎとハイになってくる(徹夜連チャン的な意味で)」

「痛みも一定以上になると快感になる(ドM的な意味で)」

「不幸が重なるのはむしろ運がいい(ネタ的な意味で)」



このように、絶望も重なると希望へと発展させることができるのです。
俺はこれを「ランナーズハイ理論」と名付けました。



まあそれはさておき、四次元について考えてみると

三次元(現実)+一次元(絶望)=四次元

であると同時に

二次元(希望)+二次元(希望)=四次元

でもあるのです。

さてここで重要なのは(絶望)×2が(希望)へと変わったように(希望)×2も何らかの変化を伴うのではないか?ということです。
何かこう、「希望」という我々にとって最も気高い概念をも凌駕する、とんでもない概念が生まれるのではないかと、そう思えてしまうのです。



ではそれは一体何か。

残念ながらそこまでの答えはまだ出ていません。
それはこれから長い時間をかけて研究していかなければならない難問なのです。


と、ここで最初の話に戻ります。
そう、「信じるか否か」ということです。

この現世に於いて「四次元」という概念が存在し得るか否かについてあなたはその存在を信じますか?という話です。

ちなみにですが、相対性理論とか、数学の難しい公式を使えば“計算”することは可能です。飽くまで机上の理論ですが。
ですが私が言いたいのはそういう事ではなくて、目で見て、触れられる形で存在し得るか否かということなのです。
これは未だかつて観測された例が無いので否定的に取る人が大半でしょう。

しかし、だからと言ってそこに秘められた可能性を無下にしてしまってよいのでしょうか?
そこにはもしかしたら三次元はおろか二次元すら及ばない「萌え」が隠れているかもしれないのです。

それを見ずに人生を終えますか?
画面の中の美少女より可愛い、現実の女性よりリアルな感触の「何か」が四次元世界には住んでいるかもしれません。

そこに触れずに一生を終えて後悔しませんか?






最後にもう一度問います。

信じて進むのか信じずに立ち止まるのか

あなたはどうしますか?









以上。
ありがとうございました。

正直これ以上考えるのがメンドウなのでどなたか引き継いで頂けませんか?



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