水の音、無形の雫

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時代を反映し続けたFINAL FANTASYと時代に取り残された憐れな男の哀しい物語   2010.02.17


さて今さらではありますが昨年末に発売され大いに話題を呼んだ“FINAL FANTASY XIII”に関するお話です。



FF13.jpg



シナリオだけでなくダンジョンまでもがほぼ全て一本道で構成されていたり、バトルシステムが実質的なタイムアタック制だったり、“街”や“店”というRPGにありがちなギミックをことごとく排除したりと、もはやRPGというジャンルに限らず、そもそも“ゲーム”とは一体何なのかと根本から問いかけられているような余りにもラディカルな作品構造は、発売当初から多くのゲーマーの間で議論の的となりました。

この作品のプレイレビューは大きく二つに分かれます。


・評価する新ユーザー

曰く「戦闘が斬新で面白い」「ストーリーが良い」「CGが綺麗」etc...


・批判する旧ユーザー

曰く「戦闘が斬新すぎてクソ」「ストーリーがスイーツすぎて糞」「CGの作成にかまけすぎてて全体的に糞」etc...



ここで言う“新ユーザー”とは大まかに言ってPS世代、つまりFF7以降のゲーマーであり、“旧ユーザー”は主にFC、SFC世代を指します。
お互いがお互いに軽蔑の念を込めて“ゆとり”“懐古厨”などと言ったりもします。
(もちろん、評価する旧ユーザーもいれば批判する新ユーザーも少なからずいるのは事実ですが)



さて、本項ではこうした批評に一つ一つ突っ込むようなことはしませんし、ましてや自分自身のこの作品に対する評価を述べるようなこともしません。
今からここで語られるのは端的に言えば「FINAL FANTASYとは何なのか」という問題提起についてです。


例えば、このFF13に対するコメントの一つに

「こんなのFFじゃない!」

というものがあります。

これは主に旧ユーザーから発せられる発言で、“7”以降のナンバリングタイトルでよく耳にするステレオタイプな批評ロジックの一つでありますが、では、そもそも“FF”とは一体何ものなのでしょうか。


まずはそうですね、もう少し噛み砕いて「FFらしさ」とは何か、というところに着目してみましょう。

多くの人が思い浮かべるであろうFF独自の要素として“アクティブタイムバトル”というものが挙げられるでしょう。

90年代初頭、コマンド選択によるターン制が主流だったRPGにおいて、リアルタイムな戦闘の流れを再現したこのシステムは一躍FFの代名詞になりました。
初出は“4”だったと記憶していますが、以降の作品では基本的にこの“ATB”が採用されています。

これは確かにFFの特色かもしれません。


続いて、“成長システム”をFFの特色として挙げる人もいるでしょう。

“3”や“5”における“ジョブ”や“7”における“マテリア”など、これまでFFシリーズでは毎回独自の成長システムを生み出してきました。
ここで重要なのは“アビリティ”という概念です。
つまり、キャラクター自身の“レベル”とは別の概念で“職業が成長する”という手法です。

これも極めてFF的と言えるでしょう。



他にも色々言われることはありますが、まずはこの二つが多くの人に指摘されるところですかね。


こうしたゲーム性に関する特色というのは確かに頷けるものはありますが、実は“13”においてもATBは導入されていますし、独自性が強すぎる成長システムもしっかり考案されているんですよね。

今さら「ストーリーが…」「自由度が…」などといった、もはやFFだけでなくRPG全般に対して言えるような要素を持ち出す人はいないでしょうし、ではそうなると何を以って「FFらしさ」と言えばよいのでしょうか。



いや、違いますね。
そもそも「こんなのFFじゃない!」という批評自体が間違っていたのですよ。

断言します。
このFF13は何よりもFFらしく、FF的な作品であると。


そして、ここでようやく「FINAL FANTASYとは何なのか」という問題に切り込んで行くことになります。



過去、ファミリーコンピュータの時代からFFがFFであるためにずっと継承し続けているものはこの“13”でも確かに存在しています。

本項の表題でもある“時代の反映”です。


これこそがFFがFFである所以です。
つまり、FFのナンバリングタイトルは、過去から現在に至るまで常に時代を反映したものになっているのでありす。


例えば、当時全盛を極めたトレンディードラマよろしくラブロマンスをふんだんに盛り込んだ“4”

エヴァブームに引っ張られる形で所謂“オタク”を強烈に意識した“7”

映画“タイタニック”以外の何ものでもないギャルゲー展開で我々を大いに笑わせてくれた“8”

俗に“スイーツ(笑)”と呼ばれる類の失笑もののシナリオで唖然とさせられた“10”及び“10-2”



こうした、時代毎のムーブメントを的確に取り入れ、時代の映し鏡たり得るというコンセプトは過去から現在までずっと健在で、それは“13”においても変わっていないわけです。


ではここで、現代の“時代性”とはどのようなものか考えてみましょう。

一言で言って“コミュニケイション不全”です。

家庭や教育現場におけるコミュニケイション不全については読者諸兄も一度はニュースなどで耳にしたことがあるでしょう。
「先生の言うことを聞かない子どもたち」というのもそうですし、昨今流行りの「モンスターペアレンツ」というものもある種のコミュニケイション不全ですよね。

また、実害の無いレベルではあっても、オンライン文化の発達によって直接的なコミュニケイションが不足しがちになった(必要なくなった)というのは多くの人が実感していることでしょう。

俺が中学生ぐらいの時なんかは、まだ携帯も普及しておらず家電が主流だったので、好きな子に電話かけるのも一大イベントだったものですが、最近の子はみんなメールなんですよね。
(我々の世代はそういうとこで相手の親御さんに対する礼儀なりを学んだものですが…)

と、思い出話はさて置き。


FFに限らず、昔のゲームにはクリエイターとユーザーの間に「問題の提起→自分なりの解答」という、ある種のコミュニケイションが確かに成立していました。

「こんなステージを用意してやったぜ!」

「俺はこうやって攻略してやったぜ!」

というような、抽象的な言葉になりますが“情熱”とか“魂”とか、そういうものが確かに存在していたんですね。

プレイヤーはクリエイターからの“思い”を確かに感じ取り、“攻略”という行為を通じて返信していた。

それこそがゲームにおける“自由度”であり、そこにかける少々歪んだ愛情表現として“縛りプレイ”なるものが生み出されました。


ところが今現在、俗に懐古厨と呼ばれる人たちの言う“最近のゲーム”ではどうか。

ほとんどの作品では、一方的にプログラムに沿った行動をさせられるだけで、クリエイターとプレイヤーの間のコミュニケイションが無くなってきているのです。
コメント欄のないブログを無理矢理読ませられている感じです。

“一本道”と揶揄されるゲームの正体がこれです。


もちろん、今でも自由度(=コミュニケイション)の高い作品は数多く存在しますし、全部が全部一本道などとは言いません。

しかしながら、着実にコミュニケイション不全な作品が幅を利かせてきているのもまた事実です。
そして、そうしたコミュニケイション不全の最先端がこの“FF13”なわけですね。

ほとんどコントローラーを触ることなく一方的に押し付けられるストーリー、ひたすら事務的に前に進むだけの単調なダンジョン、特に何も考える必要のない成長システム。
極めつけはやはり“街”という“コミュニケイションの場”の廃止でしょうか。

あらゆる要素においてただ押し付けられるままに進めなければいけないこの作品は、確かに時代を反映していると言えるでしょう。

何者かに追われるままに敷かれたレールの上をただ真っ直ぐ走り抜ける主人公たちの姿に、独り終電で塾から帰る小学生の姿を重ねずにはいられませんでした。



こうした、時代に対する批評性を以って、俺は全力でこう叫びたい。


この作品は何よりもFFじみている、と。



そして、旧来のユーザー、いわゆる“懐古厨”と呼ばれる人間には、そうしたコミュニケイションの不足が、割と寂しかったり、またつまらなかったりするものであります故に、俺はそっとディスクを取り出し中古ゲームショップに足を向けたのでした。




2500円。




どこの会社の製作かもよく分からないエクシズフォルスなるゲーム(2009/11月発売・PSP)と同じ値段でした。





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