水の音、無形の雫

アニメやゲームのレビュー、日常の様々な事象に関する考察など。C86・3日目東P21a

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日常系エロゲは成立するのか   2010.06.06

テーマ:エロゲ - ジャンル:ゲーム Tag [日常系]


さて本日は表題の通り、「日常系エロゲ」というものが果たして成立し得るのか否か、というお話です。

昨今、漫画やラノベ、とりわけオタク向け深夜アニメにおいて“日常系”という言葉をよく耳にします。
一昔、エヴァの影響でしょうか、“セカイ系”という言葉が流行った時には、エロゲにおいてもそうした世界観/物語の作品が多く生み出されました。
そして今、世は空前の日常系ブーム。
今こそ「日常系エロゲ」を考える時期ではないかと、そう思うのです。

では、まずはこの日常系という言葉の定義を知るためにググレカス教授を訪ねてみましょう。



-変態検索中-



はい、よく分からないということが分かりましたね。
続いて、「他のキーワード」としてググレカス先生に勧められた「日常系アニメ」についても調べてみましょう。



-変態検索中-



さて、定義が曖昧すぎて何かよく分からないということが分かったところで、独断と偏見によって定義付けを行っていきましょう。
(定義が曖昧ということは即ち好き勝手語ってもオッケーなジャンルだと強引に解釈)

まずは多くの場所で「日常系アニメ/漫画」として語られる作品を列挙します。


・あずまんが大王

・苺ましまろ

・らき☆すた

・ひだまりスケッチ

・けいおん!


この5作品ぐらいでいいでしょう。
(個人的には“ひだまり”と“けいおん”意外は微妙な感じですが)

続いて、これらのサンプルに共通する要素を抽出します。
これが当ブログにおける「日常系」の定義となります。
(当然のことながら“例外”は存在します)


・基本的に男は絡まない=恋愛要素の排除

女の子4人組+αというテンプレが(なぜか)好んで使用されているようです。
モブキャラなど、一部の例外を除いて男はほとんど出てきません。
そしてそのことは、“恋愛要素”の排除へと至ります。


・“サービス”以上のエロがない

水着回や温泉回が挿入されることはまあお約束としても、それ以上のエロス、例えば男に肩車された状態でJCがおしっこを漏らしたり、童貞の前でJKがエロ妄想したりといった“下ネタ”は忌避される傾向があります。
これは上述の“恋愛要素の排除”とも繋がっており、つまるところ“性”を意識させる描写が省かれるわけですね。


・明確な主人公がいない

話の中心となる人物は存在しても、一般的に“主人公”と呼ばれるべき存在が欠如しています。
もちろん、ゆのを“ひだまり”の主人公としたり、唯を“けいおん”の主人公としたり、宮子やあずにゃんを俺の嫁とすることは解釈の仕方によっては可能でしょうが、そもそも“日常系”の魅力の一つは「男子禁制の女の子空間を覗き見する」ような、ある種背徳的な感覚にあり、「主人公=視聴者の投影」が存在しない、というのは日常系にとって最も必然性の高い作品構造となります。


・“物語”がなく“関係性”のみが存在する

物語がない、というよりは「物語に連続性がない」とした方がより正確でしょう。
日常系と呼ばれる作品は基本的に一話完結というスタイルが選ばれます。
重要なのはどこを切り取っても同じ金太郎飴のような構造であり、そうした構造によって、一話二話見逃したとしても次に出会う時にはまた以前と同じ世界が待っていてくれる、という「安定感/安心感」に繋がります。
逆に、物語がない代わりにキャラクター同士の「関係性」が継続性をもって描かれます。
幼なじみ、親友、部活、クラスメイト、これらキャラクター同士の関係性が半ば永続的に続いていき、基本的に「人間関係の変化」というものが描かれないあたりが、より一層「物語性」を希薄にします。


・キャラが成長しない

俗に“サザエさん方式”と呼ばれる手法で、キャラが年を取らず、学年も常に一定に保たれる、という形式が多くの作品で取り入れられています。
また、年齢だけでなく、多くの場合「人間性が変化しない」という意味での“未成長”が選択されます。
つまり、価値観や性格の変化(=物語)が排除されるのです。
これは前項と同じく、常に一定の世界が保たれることに意義があります。


・舞台が限定されている

街単位や学校単位での限定空間は様々なジャンル/作品で見受けられますが、ここではより尺度の小さい範囲、つまり教室、部室、自宅、といった空間を指します。
もちろん、キャクター達は時には街へ繰り出し、合宿や旅行へも出掛けますが、基本的にはある一定の、ほぼ密室と言っても過言ではない極小範囲内での活動になります。







というわけで、ようやく本題である「日常系エロゲ」の可能性への言及へと至ります。
上記で挙げたようなおおよその定義を元に、日常系エロゲというものが成立し得るのか否か、また、成立するとしたらどのようなものになるのか、そのあたりを探ってみましょう。
(現状でも一応「日常系エロゲ」と呼ばれている作品は存在しますが、それらはあくまで「魔法や超科学、神仏などの存在しない、現代社会が舞台となった作品」という程度のものであり、アニメや漫画で言われる“日常系”とは若干意味が異なります)


この検証は上記で挙げた“定義”をエロゲへと落とし込んでいくことで為されます。

例えば「物語」の排除と「関係性」の継続。
これは比較的容易に可能となるでしょう。
というか、エロゲではありませんが「ラブプラス」なんかはまさにギャルゲーから物語を排除して関係性のみを追求した結果ですよね。
何年か前に「こいびとどうしですることぜんぶ」という斬新な作品がありましたが、ひたすら女の子とイチャイチャするだけ、というシステム自体は既にいくつかの作品で取り入れられています。
同様に「キャラが成長しない」というシステムも可能でしょう。
というか「物語」を捨て去り関係性の継続を選択する時点で半ば必然となるでしょう。

さらに「舞台の限定」これも既に多くの作品で取り入れられていますね。
監禁陵辱モノとか←
エレベーターパニックという作品があって

続いて、「主人公の欠如」でありますが、これも問題はないでしょう。
そもそも「物語」がなければ主人公も必要ありません。
また、多くのエロゲープレイヤーは自分を主人公に置き換えて画面の中の美少女との恋愛を楽しむ、という趣向を良しとしている反面、昨今では(というかもうだいぶ以前からですが)、例えばAIRや車輪の国、クロスチャンネルといった作品のように、いわゆる“シナリオ重視”、即ち恋愛のシミュレーションではなく“読み物”として作品を楽しむ、「第三者の視点による俯瞰」が出来る土壌が整っています。
ですので、主人公不在(=プレイヤー置いてけぼり)でキャラ同士がイチャイチャしてるだけでも十分に需要は開拓できるでしょう。
むしろ、先にも挙げた通り、女の子たちのイチャイチャを「覗き見」するが如き感覚こそが日常系にとって重要な要素となります。


さて、ここまでは割とすんなりいきました。
ここからが少し難しい話になってきます。

まず「男キャラの排除」というどうしようもない“縛り”が発生します。
(あ、もちろんここでいう“縛り”とは作品を企画する上での“制約”のことであって、俺が普段から望んでいるような物理的な拘束という意味ではありませんよ!)

男を絡めることが出来ない以上、日常系エロゲとはつまり「百合モノ」に限定されることになります。
百合がNGという人には無条件で退席していただくことになってしまいます。
(まあ、昨今ではあまり問題ないような気もしますが)


それよりもさらに問題となってくるのが、“日常系”における最大の難所、つまり「恋愛要素/エロ要素の排除」です。
恋愛はともかくとしても、エロの排除をしてしまうともはやエロゲでなくなってしまうので、ここで大きな二律背反にぶち当たってしまいます。
ここの処理をどうするのか、というのが実は最大の問題なのです。

まずエロは後回しにして「恋愛」という要素について考えてみます。
例えば上で挙げたような日常系アニメ/漫画においては、男キャラが排除されているがゆえに必然的に恋愛要素がなくなっており、また、恋愛要素をなくすために男キャラを排除した、という見方もできます。

そして、「恋愛」という要素が入ってくると、そこには「ドラマ=物語」が生まれてしまう、という解釈が可能となり、そのことが“日常系”において恋愛要素が排除される所以なのだと考えます。

つまり、我々にとって「恋愛」とは“非日常的なドラマ”であると、意識的にか無意識的にかそういう思想が定着しているわけですね。

ところがその一方で、「男×女」という恋愛ドラマが忌避されている割に、「百合」によるカップリングは普通に受け入れられています。
異性愛はダメでも同性愛はオッケーという謎の不文律が成立しているのです。
これは恐らく「百合」であればキャラの“処女性”は保たれるとか、そういう処女厨的な発想だと思われますが、これは逆に「日常系エロゲ」を考える上での突破口になるのではないでしょうか。

つまるところ、日常系において「男=恋愛要素」が省かれるのは、“性”による人間性の変化、即ち「日常の変化」に対する恐れからきているものであると解釈します。
逆に言えば、日常に変化(物語)をもたらさないための最も安易な方法として恋愛要素の排除が行われているのではないかと、そう考えられるのではないでしょうか。

ですから、“物語”が発生しないレベルで、安定的な日常が描けるようなバランスであれば、恋愛要素自体は挿入されても大丈夫である、と結論付けることが可能となります。

そして、そこに付随するであろう「エロ」に関しても同様に、キャラクターの“処女性”を保ったままで、且つ、日常的に不自然でないレベルであれば描写することも可能となるでしょう。


と、いったあたりで何となく纏まってきたのではないでしょうか。

ここまでに挙げた“日常系”の定義と、エロゲーへの落し込み作業をまとめて、「日常系エロゲ」とはどのような作品になるのか発表します。



・4人組の女の子が教室で、部室で、イチャイチャペロペロするのをただ黙って眺める盗撮ゲーム。







これ面白いか?






というわけで、日常系エロゲ、成立は出来てもどう考えても人気は出ない、という結論に至ったところで、京アニの次回作『日常』のリリースを待ちながら、この日常系ブログの更新を終えたいと思います。










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