水の音、無形の雫

アニメやゲームのレビュー、日常の様々な事象に関する考察など。C86・3日目東P21a

FC2カウンター
プロフィール

Peace-AK

Author:Peace-AK
なんとなく気が向いた時に更新していきます。
連絡はpeaceak.mizuonあっとまーくgmail.comまでお気軽にどうぞ。
『シンシアニメ』もよろしくお願いします。


最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
リンクリクリ
OTHERS
検索フォーム
RSSリンクの表示
TOP > 2010年12月

スポンサーサイト   --.--.--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

パンツ・オブ・ザ・イヤー発表~2010年総括/そして時代はペロ年代へ~   2010.12.25




恐らく年内最後の更新になります。
今年一年を締めくくるとともに、次の一年へのステップとして、いくつかのパンツ表現を振り返ってみるのも悪くはないでしょう。
そして、優れたパンツ表現にはそれ相応の賛辞が送られて然るべきでありましょう。

まずは、多くの人々に夢を与え、その生活に潤いを与えたであろうパンツを「グッドパンツデザイン賞」として表彰します。


・時を刻むパンツ

2010年の幕開けに我々の目に飛び込んできたのは、「バカとテストと召喚獣」における、時空を越えた刷り込み型パンツでした。

ba


この、一見するとパンツなどどこにも映っていないように見えるカットを見た時、しかし我々の脳内では確かにパンツがその姿を顕しました。

qqq


つまり、画面下に描かれた「タイムカウンター」により、我々は非実在パンツを幻視することになったのです。
もちろん、初めてパンツとタイムカウンターがセットで描かれた「全ての始まり」である「化物語」が、新房昭之監督/シャフト制作による作品であり、「バカとテストと召喚獣」の大沼心監督と明確な繋がりが存在する点は決して無視できません。

また、新房―大沼という文脈を離れ、「とある科学の超電磁砲」においても、同様のタイムカウンターパンツが描かれていたことは覚えている人も多いかと存じますが

ppp


一度他所へと飛び火した表現が、「荒川アンダーザブリッジ」において再び新房監督の元へと戻ってきたという事実は何か感慨深いものがありますよね。

2_20100524005227.jpg

1_20100524005227.jpg

(「ストライクウィッチーズ」によって「これはパンツではありません」と定義された「スク水」が、タイムカウンターによって「いや、これはパンツですよ」と再定義されたのも重要な出来事でした。)

こうした、心理的な作用、すなわちプラシーボ効果を用いたパンツ表現は、規制だなんだと騒がれているマンガアニメ表現において、今後の貴重な財産になることでしょう。



・戦うパンツ

当ブログでも何度か取り上げました「学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD」では、パンツとゾンビの緊張感溢れる戦いが描かれました。
我々の股間も緊張感に満ちていましたし、何かしらが溢れそうになったりもしました。

6_20100707014718.jpg

5_20100811032947.jpg

20_20100826023227.jpg


この作品では、これまでいくつかの作品でチャレンジされてきたパンツを見せるためのアイデア(パンツじゃない、パンツはいてないetc...)を嘲笑うかのように、パンツが見えることは前提として、「ゾンビを見せるための演出装置」としてパンツが扱われていました。
我々は、パンツを見るためには気持ち悪いゾンビも視界に入れなければならず、ゾンビから目を逸らすとパンツも見失ってしまうという苦行を強制されたわけです。
(細かい話は過去の記事を適当に漁ってみてください。)

また、ゾンビとの戦闘における、各キャラクターの戦闘力の指標としてもパンツが一役買っていました。
戦闘力の高いキャラほどパンチラが多く、非戦闘員の幼女や先生はほとんどパンチラがなかったのですね。(このへんも昔の記事参照)

こうした、パンツを物語における演出装置として活用する手法は、これまでの「どのようにパンツを見せるか」「パンツをどう演出するか」といった文法からはかけ離れた、BD/DVDソフトによる「魔法が解けるよ商法」をも否定するような、極めて挑発的な表現であったと言えるでしょう。



・攻撃力を持つパンツ

先の「学園黙示録」における「戦うパンツ」と地続きに、今度はパンツ自身が攻撃力を持った様を描いたのが「パンティ&ストッキングwithガーターベルト」でした。

pa3.jpg


この作品では、パンツが「武器」として扱われているのみならず、その攻撃力の根拠として「脱ぎたてであること」が名言されていました。

pa8.jpg


パンツとは、それそのものはただの布切れでしかなく、脱ぎたて、というか、「誰かが着用した」という事実こそが重要であるとの指摘がなされていたわけです。
こうした、我々がパンツに対し並々ならぬ関心を抱く所以、パンツがパンツであるための定義が明確に描かれた点は、高く評価すべきでありましょう。
また、パンツと比べて、ついついおざなりにされがちな「ストッキング」が、パンツと同等の存在として扱われていた点も評価に値します。

pa9.jpg

pa4.jpg


あるいは、悪魔姉妹の登場によって、「スキャンティー」と「ニーソックス」の等価性も描かれていたわけですから、もしかしたら、我々は今、「女子が身につけたものはすべてパンツである」という未曾有の可能性に直面しているのかもしれません。



というわけで、以上の三作品を今年度の「グッドパンツデザイン賞」としてその栄誉を称えるとともに、製作者の方々に敬意を表します。
(他にも「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」や「けいおん!!」など、語るべき作品はあるような気もしますが、あんまりよく覚えてn時間の都合により割愛します。)

そしていよいよ、今年度の最優秀パンツ、「日本パンツ・オブ・ザ・イヤー」の発表です。
数多くのパンツ描写の中から最も優れたパンツとしてその栄光を勝ち取ったのは――


・物語るパンツ

満場一致でパンツオブザイヤーに選ばれたのは「迷い猫オーバーラン!」における「物語とシンクロしたパンツ」でした。

第一話、文乃のスカートに頭を突っ込みパンツを視認するという斬新なシーンから始まった物語は

ma4.jpg

ma3.jpg


最終話を迎えて、希のスカートに頭を突っ込みパンツを確認するというケツ末を迎えました。

15_20100626014003.jpg

10_20100626013952.jpg


このことは、最終話における「ぶるっつ」の一件とも相まって、「希エンド」という物語の終着を提示するとともに、文乃の縞パンではなく希の無地パンを選んだ主人公の心情が的確に表現されていました。
昔からの幼なじみである縞パンではなく、あとから家族として迎え入れられた無地パンが選ばれた――そのあたりの詳細は最終話レビューを参照のこと:パンツ論争の終着点『迷い猫オーバーラン! 第12話』――パンツによってこれほどの物語的カタルシスが描かれるのは賞賛すべき事態でありましょう。

またそれだけでなく、この作品においては、これまで我々の視界をパンツから遮り続けた「光」が、有用な演出装置として機能していた点も無視できません。

迸る光の奔流『迷い猫オーバーラン! 第2話』

継続する光の反乱あるいは氾濫『迷い猫オーバーラン! 第3話・第4話』

これらの演出に上記でも触れた「ぶるっつ」を加えた上で、ヒロインの選択にパンツを重ね合わせることによって、全体として一切まとまりのなかったストーリーにおける明確な道しるべとして機能させ、まさにパンツによって物語が形成されるに至ったこの作品を、2010年度パンツ・オブ・ザ・イヤーとして不当に賛美したく思います。




・ペロ年代へ向けて

さて、今年一年をパンツとともに振り返る作業は一段落して、ここからは次の時代へ目配せをしていきます。

2010年という年は、一つの区切りの年でもありました。
いわゆる「ゼロ年代」が終わりを迎え、次の年代へと移っていくのです。
もっとも、「ゼロ年代」という言葉がどこからどこまでを示すものなのか――単純に2000年代を指すのか、あるいは「セカイ系」だの「決断主義」だのといったよく分からない言葉に基づく時代認識なのか――などという議論は各所でなされていますが、ここでは、ある一つの消費傾向によって時代を区分します。

というような衒学的な言い方をするとあたかも真面目ぶった話であるかのように思われるかもしれませんが、今からここで語られるのは主にパンツに関係する身近なお話です。


マンガの関係が好きな人の中には、ある特定のキャラクターを「嫁」として所有したいと感じている人が多いという印象を受けるわけですが、そのことこそが「ゼロ年代」の一つの特徴ではないかと考えます。
つまり、ゼロ年代とは、キャラクターを「嫁」として「所有」する時代だったのです。

そして、次の時代――正確にはもう既に片足を突っ込んでいる――は、「コミュニケーション」の時代になるのではないかと推測します。
どういうことかというと、今年、「俺の嫁」という言葉に変わって、「マジ天使」という言葉が大いに流行しました。
これは、ゼロ年代において流行した「俺の嫁」に比べて、個人による所有の主張よりも、より大勢の人間による、「◯◯ちゃんって可愛いよね!」という「意識の共有」と言えるでしょう。
つまり、キャラクターに対する愛情表現が、「所有」から「共有」へと変わり、そのことをもって我々は「仲間」とのコミュニケーションを行うようになったのです。
(あるいは、「嫁」として個人的な所有を主張する時代から、「天使」として皆で「崇拝」する時代へ移り変わったという言い方も出来るでしょう。)

また、「マジ天使」と双璧をなすもう一つの愛情表現として、「ペロペロ」が大ブームとなりました。
前述の「マジ天使」がある種仲間同士の崇拝の儀式として機能するのに対し、この「ペロペロ」は、嫁(天使)自身とのコミュニケーション手段と言えるでしょう。
「嫁」として所有していたキャラクターと、「ペロペロ」を通じてコミュニケーションするのです。
ガラス越しのペロペロありな人?

もちろん、ペロペロだけではありません。
「クンカクンカ」や「ちゅっちゅ」も、そうしたコミュニケーションの一環として、もはや我々の性活に欠かせないものになっていますよね。
ペロペロする、クンカクンカする、ちゅっちゅする、男性器で障子を破る、そういったコミュニケーションは、我々と嫁(天使)との関係をより強固に、親密なものにしてくれます。
(例えば、激しい運動を行ったあとの嫁の腋をペロペロしたり、一日動き回ったあとのパンツをクンカクンカしたいという欲求は誰しもが持っていると思いますが、そうした行為は、相手のその日一日の行動を共有したい、相手の味や匂いを体感することである種の「同化」を図りたいと、そういった願望から来るものであると考えられます。つまり、ペロペロやクンカクンカすることによって、相手と擬似的に「同化」することが可能となるわけです。これは最大級の愛情表現であると同時に、人類史上最高のコミュニケーション手段と言えるでしょう。)

特筆すべきは、そうした「コミュニケーション欲求」とでも言うべきものが、単なる妄想ではなく、現実的に「相手」の側からも徐々に満たされつつある点でしょうか。
「ラブプラス」なんかはその典型と言えますよね。
某エロゲメーカーから発売された「リアル彼女」なんかもそうですし、もっと簡易的なものではツイッターなどにおけるBOTプログラムなんかもそうでしょう。
少しずつではりますが、しかし確実に、「キャラクターとのコミュニケーション」が可能になってきているのです。
これは大変喜ばしいことです。
もちろん、何かと話題を振り撒いた「可愛い女の子は総じて俺の妹だ」において、桐乃がお兄ちゃんのパンツをクンカクンカしていたり、スタイリッシュ吸血ペロペロアニメ「FORTUNE ARTERIAL-赤い約束-」に至っては、エリカ様による首筋ペロペロのみならず、支倉君の匂いの染み付いたアイテムをクンカクンカする様までもが描かれていたりなど、我々はついに嫁の方からもクンカクンカされるようになってきた、という事実を見過ごすことは出来ないでしょう。
ガラス越しのペロペロではなく、生の双方向ペロペロによって、おもしろくて未知で愛おしい反応を得ることが可能になる時代はすぐそこまで来ているのです。
そして、そんな新たな時代、コミュニケーションの時代を、今ここで「ペロ年代」と名付けます。

嫁を天使として共有し、ペロペロを通じてコミュニケーションする時代、それが、ペロ年代。
この新たな時代に立ち会えたことに、大きな喜びと期待を感じつつ、今日はこのあたりで筆を置かせて頂きます。

御性聴ありがとうございました。





にほんブログ村 アニメブログへ
にほんブログ村
スポンサーサイト

STAR DRIVERとCLANNADを接続するための電波   2010.12.14



日曜の夕方5時という極めて健康的な時間帯に放映されている深夜アニメ「STAR DRIVER 輝きのタクト」と、2007年から2009年にかけて放映された「CLANNAD/CLANNAD AS」を繋げてみようという話です。

std1_20101214034328.jpg


ことの発端は第10話、「野球」の回でした。
(いや、伏線はもっと前からあったのですがそれは後ほど)

std2_20101214034328.jpg

std3_20101214034327.jpg


この、男女が集団で棒やタマを弄り回す(しかも野外で)という性交類似行為を、不当に賛美しまたは誇張するように描写すること自体は、最近のアニメ作品では「バンド」と並ぶ鉄板イベントとして定着しています。
(例えば直近では「イカ娘」なんかでも原作では「バドミントン」であったのを改変してまで描かれましたし、京アニで言えば「ハルヒ」の時点で既に描かれていましたよね。確かに、魅力的な青少年が棒やタマを巧みに操って手慰みする様は壮観なものがあります。)

件の「CLANNAD」においては、第二期の一話などで描かれました。

cra1.jpg


もちろん、棒やタマを集団で弄り回すエクストリームスポーツが描かれた程度で「CLANNAD」との繋がりを指摘してまうのは早漏、もとい、尚早というものでしょう。
我々はもっと以前の伏線、すなわち「演劇部」の方にも目を向けなければなりません。

std14.jpg

std15.jpg


タクト様が入部した「演劇部」が、まさか「CLANNAD」における「演劇部」と繋がっているなどとは当初は思いもしませんでしたし、「野球」「演劇部」というたった二つのキーワードだけでこれらの作品を繋げてしまうのは少々強引にすぎるでしょう。

しかし、今週放映の第11話において、我々はとんでもない光景を目の当たりにします。
そう、スガタ君の「一人芝居」ですね。

std4.jpg

std5.jpg


この「一人芝居」描写に、我々はCLANNAD第一期のラストで描かれた「渚の一人芝居」を幻視せずにはいられません。

cra2.jpg
(※両作品における「演劇」とは「艶劇」であり、「一人芝居」とは「一人性交類似行為」の隠喩に他ならないなどという意味のよく分からない指摘は今は黙殺します)


「スガタの一人芝居=渚の一人芝居」というラインが浮かび上がることによって、ついに我々は「スタドラ―クラナド」という繋がりを明確に意識することとなるのです。

そうなってくると、\綺羅星☆/は言わずもがな、そも作品全体の象徴でもあり、タクト様のTシャツにも描かれている「☆」なんかは

st2.jpg


実は「星」ではなく「ヒトデ」なのではないかと疑いの眼差しを向けてしまいもするでしょう。

cra3.jpg


また、スタドラにおける「ゼロ時間」および「サイバディ」の存在を、CLANNADでの「幻想世界」と「ガラクタ人形」に見間違える視聴者が出てきたとしても何ら不思議ではありません。

std7.jpg

cra4.jpg


目下のところの問題としてはやはり、「団子」がいつ出てくるのか、といったあたりでしょうか。

cra5.jpg


今のところはゼロ時間を漂う「球体桟敷」であったり

std8.jpg


サカナちゃんやヘッドが口に含んではペロペロしていた飴(のような何か)だとか

std9.jpg


あるいは、「銀河美少年」という最重要キーワードを考えると、そもそもこの作品では「団子」が「男子」に置き換えられている、という指摘もあるかもしれません。

std10.jpg


今日もやられやく――『STAR DRIVER 輝きのタクト』変身バンクシーンでタクトの玉袋っぽいのが見えてるんだけど

798.jpg

(個人的な予想としては今後もっと的確な形で「団子」描写がなされるのではないかと思っておりますが。)


何れにせよ、こうして「CLANNAD」という文脈を重ねることで、これまで我々が見てきたものとは別のシナリオが見えてくる可能性は決して否定できません。――例えば、CLANNADはあるベクトルに向けた性的な読解が可能であり、CLANNADと繋がっているスタドラも同様のベクトルで解釈することが可能、といったストーリーも既に用意は出来ているわけですが、そこを語ろうとすると今度はCLANNADを一から語らなければならなくなるため、今は割愛しておきます――CLANNADとスタドラの接続から何を見出すか、ここから先は読者諸兄の手に委ねておきますが、個人的にはやはり、団子の登場とともに、タクト様による「フラグ三本折り」なんかにも期待しつつ、2クール目も楽しみにしたく思います。

std11.jpg

std12.jpg

std13.jpg


以上、誰がみても一つの解釈しか出来ないであろうアニメ作品のレビューでした。





にほんブログ村 アニメブログへ
にほんブログ村

パンツはどこへ消えた? 『それでも町は廻っている 第8話』   2010.12.01


ごきげんよう。
「それ町」の第8話が非常に興味深い内容だったので急遽執筆することにしました。
あ、タイトルに特に意味はありません。

machi0.jpg


簡単に流れをまとめると、雨に打たれた歩鳥たちが、たまたまコインランドリーに辿り着き、そこで衣服を乾かし、うどんなどを食す、という他愛もない日常の一コマなわけでありますが

machi2.jpg

machi5.jpg

machi7.jpg


さて、この時、いくつかの重要なカットが挿入されます。
言わずもがな、「誰かの」パンツやブラですね。

machi6.jpg


この「誰かの」パンツやブラは、最後の「オチ」としてさんま師匠のものであることが判明するわけですが……

machi12.jpg
(※ドラム式の乾燥機で見事に視聴者を騙したさんま師匠が、Bパートではドラムの件で騙されるという構成はなかなかクールなジョークでしたがそのあたりは別件で。)


この、乾燥中だったパンツたち、果たして誰のものだったのでしょうか。

もちろん、「オチを見た」我々はこれらがさんま師匠のものだったと知っています。
しかし、それまでの段階では「誰のものか分からない」状態でしたよね。

machi11.jpg


つまり、この時、乾燥機の中のパンツは
1.歩鳥たちのもの
2.他の誰かのもの
という二つの状態が1:1で重なり合っていたわけです。

もちろん、「下着が濡れたままで気持ち悪い」「これ(乾燥機の中の下着)借りちゃう?」といった発言などから、乾燥機の中のパンツは歩鳥たちのものではないということが容易に推測されます。
衣服を乾燥機に放り込むシーンでも、通常一番上に来るはずのパンツやブラは描写されませんでしたし

machi3.jpg


乾燥中の衣服の中にも下着類は確認できなかった。

machi4.jpg


しかしその一方で、乾燥機の中で回転していたカラフルなパンツやブラは、実際には「五種類」あるにも関わらず、一瞬見ただけだと「赤」「青」「黄色」の三種類しかないように錯覚を起こします。

machi6.jpg

machi11.jpg


キャプチャの静止画だとこの通り、五種類がちゃんと確認できますが、動画だとどうでしょうか。
実は、これがこの話の悪質なところなんですね。
五種類のパンツやブラの内の二種類は同じ「赤」系統で、もう一種類は「黒」という極めて目立ちにくい色をしています。
それが、回転という「動き」を与えられ、なおかつほんの数瞬だけ挟まれるカットとなれば、「パンツやブラは三種類=歩鳥たちは今パンツはいてない」と錯覚してしまっても何ら不思議ではありません。
(というかそういうふうにミスリードするための演出で、だからこそ「オチ」が際立つのだと確信しています。)

普通に考えたら時間軸的にもそれまでの会話的にも描写的にも、これらのパンツが歩鳥たちのものであるわけがない、という結論は簡単に導き出されるにも関わらず、光や影、他の物質による過剰なまでの「規制」や、サブリミナル的に挿入されるカラフルパンツによって、我々はいつの間にか「このパンツたちは歩鳥たちのものだ、よって歩鳥たちは今パンツはいてない」とミスリードされてしまうのです。
(昨今では「はいているパンツはダメだけどパンツそのものであれば映してオッケー」というパンツ描写がにわかに濫用されていることも決して無関係ではないでしょう。というか今となってはそれに対する皮肉なのではないかとすら思えます。そういう意味でも、このミスリードの手法そのものが高く評価できます。)

こうして、周到に用意された演出効果によって、乾燥機の中のパンツには「歩鳥たちのものであるという可能性」が付与されるのです。


では、これら、ミスリードも含めた「可能性」及び「オチ」を含めた上でもう一度見てみると、歩鳥たちがうどんを啜っている間、パンツたちは次のような状態にあります。

1.乾燥機の中のパンツは歩鳥たちのもの
2.乾燥機の中のパンツはさんま師匠のもの
3.乾燥機の中のパンツは全然関係ない誰かのもの
4.乾燥機の中に関係なく歩鳥たちは最初からパンツはいてない

これらの可能性が全て1:1で重なり合っている状態と言えますよね。
最終的には「2」が正解だったわけですが、それはあくまで結果論でしかありません。

ここで重要なのは、どれが正解か、ではなく、「どこで正解が確定したか」です。
例えば、「1」に関しては、(ミスリードに引っ掛かったかはともかく)実際にはかなり初期の段階から削除されていることが分かります。
歩鳥たちのセリフや描写によって「1の可能性の削除」が「認識」できるのです。
この段階で、パンツたちの「可能性」は

2.乾燥機の中のパンツはさんま師匠のもの
3.全然関係ない誰かのもの
4.歩鳥たちは最初からパンツはいてない

という三つに絞られます。
しかし、これら三つの解答のうち、「2」に確定する瞬間はどこにあったのか、他の可能性がどこで削除されたのか、そういったことが判明していないのです。
これらの解答を導き出すのは決して容易なことではありません。
なぜならば、描写がされない以上、我々は推測に頼るしかないからです。

ではここで、一つの推測を提示します。
あくまで数ある可能性の内の一つです。

machi1.jpg


お分かりでしょうか。
つまり、アバンで示唆的に語られた、モニュメント、「過去の遺物」です。
「過去を動かすと未来が変わる」というのはSFなどでよく目にする光景ですよね。

このコインランドリーにおいては、「うどん」や「ハンバーガー」の自販機が「過去の遺物」として設置されていました。

machi8.jpg


これらのモニュメントを起動したことによって因果律が変動し、「誰かのパンツ」が「さんま師匠のパンツ」に確定されたのだと推測します。

あるいは、うどん自販機のトビラを開けた瞬間かもしれませんし

machi10.jpg


ハンバーガーのフタを開けた瞬間かもしれない。

machi9.jpg


正確にどこのタイミングで因果律が変わったのかは断言は出来ません。
しかし、何れにせよ、「過去の遺物」が再起動したことにより、何らかの因果が働いたというのは一定の信頼を得られるのではないでしょうか。
過去の変動が未来のパンツを変動させる、ロマン溢れる素晴らしい演出ですよね。

もちろん、前述したように、あくまで数ある推測の内の一つにすぎません。
何を信じるかはあなた次第なのです。

そして、残る最後の一つの可能性――4.乾燥機の中に関係なく歩鳥たちは最初からパンツはいてない――この可能性に賭けてみたい気持ちは誰もが持っているでしょう。

歩鳥の「下着が濡れてて気持ち悪い」という旨の発言も、モニュメントを起動し、因果の改変が行われたとなれば、あるいは……







※特別付録―紺先輩のギリギリ限界セクシーグラビア―

machi13.jpg

machi14.jpg


いや、特に意味はないんですがなんとなく好きな構図だったので。
ではっ。













にほんブログ村 アニメブログへ
にほんブログ村
«  | HOME |  »
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。