水の音、無形の雫

アニメやゲームのレビュー、日常の様々な事象に関する考察など。C86・3日目東P21a

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最終回を迎える前に確認しておきたいこと 『戦国乙女』   2011.06.25


あのRioに匹敵する、あるいはそれ以上の名作かもしれないと評判の戦国乙女でありますが、いよいよ最終回も目前ということで、これまでに描かれてきた「史実」を改めて振り返っておきましょう。

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参照1:第一話レビュー記事

明らかに便所が強調される形で始まったこの作品は、随所に便所的なギミックが散りばめられていたわけですが、特に重要だったのは舞台の便所化が行われた第5話だったでしょうか。

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参照2:舞台の便所化に関して

ここでは、シンゲン、またミツヒデの存在を通してこの作品の便所的なあり様が提示されました。このあたりから我々は、このアニメを便所なしに考えることは不可能になったでしょう。
また、6話では「水」の大切さが描かれもしましたよね。

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参照3:水と便所に関して

こうした中、第8話において、ついにキャラクターの便所化が行われたことは特筆しておかねばなりません。
この回では、湯気と光のスペクタクルアドベンチャーによって、紳士的な視聴者たちの「肉便器」としてのキャラクター描写――昨今では必ずといっていいほど水着を着させられたり温泉に入らせられるアニメキャラの肉便器性――が描かれもしましたが

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何より、その後ヒデヨシが風邪をひくという展開によって、「肉便器」という性的なニュアンスを含む概念を遥かに凌駕する、真性の「便器」としてのあり方が明示されました。
そのことは、次の一幕によって理解できます。
まず、熱を出したヒデヨシにノブナガが飲ませたものは何だったか。

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「馬糞」のかたまり、すなわち「うんこ」です。常識的な範囲で我々が知る限り、「うんこを飲み込むもの」といえば便所以外にありませんよね。
つまり、ここにきてヒデヨシはついに便所としての身体を獲得したわけです。
また、その「うんこのかたまり」の出所はというと

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ノブナガの懐中(胸中?)からでしたよね。
ここでは、ノブナガ自身も「うんこを溜めておく場所=便所(肥溜め)」であったことが分かります。
加えて注目したいのは、ヒデヨシがうんこを飲み込む際に「水」によって流し込むという描写です。

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つまりこの一連のシーンでは、「水によってうんこを流すヒデヨシ(現代人)=水洗便所」「うんこのかたまりをそのまま保存するノブナガ(過去人)=ボットン便所」という対比が行われていたわけです。
時代によって様々に形を変える便所の様式を「キャラ」によって表現する、見事な演出でした。もはやヒデヨシもノブナガも便所の擬人化キャラなのではないかとすら思えてしまいます。

一方、そうした便所的なコミュニケーションから置いてきぼりを食らったミツヒデは、伝説的な神回となった第10話、本能寺回においてその立ち位置を明確なものとします。

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伊達先生から受け取った「ひょうたん」の中身をノブナガに飲ませるわけですが、ここでその中身を「酒」であると断言してしまうのは早計です。
なぜならば、この時代において「ひょうたん」とは現代で言うところの「ペットボトル」にあたる携帯用容器であり、現代でペットボトルと言えば「携帯便所」としての有用性も備わっているわけですから、この「ひょうたん」の中におしっこ的な液体が入っていても何ら不思議ではありません。
この、ひょうたんの中身のすり替えは、次のシーンで示唆されています。

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ここでミツヒデの脳裏にフラッシュバックするノブナガとヒデヨシの接吻の場面は、接吻という行為そのものではなく、便所的な要因がトリガーになっていると考えられます。
どういうことかというと、8話のあの局面において、ノブナガとヒデヨシは「うんこのかたまり」を通した便所的コミュニケーションを行っていたわけですが、ミツヒデの記憶に刷り込まれたのは「便所的コミュニケーションありきの接吻」であり、それと同じ流れ「便所→接吻」を自身が再現しようとしたことにより、トラウマのような形でフラッシュバックが起こったわけです。
そういった点から、ミツヒデがノブナガに飲ませた「ひょうたんの中身」とは、「うんこのかたまりに相当する何か」ということが実証されます。
そして、これは単なる憶測に過ぎませんが、ミツヒデがヒデヨシに感じていた劣等感とは、自身が便所的身体を獲得できなかった点なのではないでしょうか。5話では便所化された舞台で排泄を行う役回りでしたし、この時点でも未だ「飲ませる側」であり、ヒデヨシやノブナガのような便所的身体を得るには至らなかった。そのことが彼女を追い詰めてしまったと考えると、とても切なくやるせない気持ちになってしまいますよね。
もっとも、このエピソードの最後で彼女は自身のあり様を肯定し、独自のポジションを確立するに至ります。

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この人工呼吸のシーン、後にヒデヨシに「私は12回だ」と申告していますが、作中で実際に描写されたのは数回程度であったこと、また、ミツヒデの意識が戻る前にも何度か行われているはずなので正確な回数を数えるのは不可能であろうことを考慮すると、この「12回」というのは人工呼吸=接吻の回数ではなく、意識を取り戻してから「イッた」回数なのではないかと推測できます。そしてその「イッた」回数の報告は、ミツヒデが、ヒデヨシのような「便所」ではなく、「肉便器」としての身体性に特化し、また自分だけがノブナガさまの肉便器になれるのだという宣言のように聞こえます。
恐らく多くの視聴者が、このミツヒデの生き様、紳士を越えた武士としての誇りに胸熱くなったことでしょう。


さて、こうした「本能寺の便」を経て、腹黒かわいいイエヤスちゃんの全力にもお目にかかったところでいよいよラストエピソードを迎えるこの作品、一体どんなケツ末が待っているのか、両目とともに肛門も大きく開いてその時を待ちたく思います。

以上。





ところで、毎年夏と冬に行われる紳士淑女の祭典が間近に迫ってきています。
読者諸兄もそろそろ参加の準備を始める頃ではないでしょうか。
一般参加される方もいればサークル参加される方もいらっしゃるでしょうが、誰もが絶対に見過ごすことの出来ない薄い本がついにこの夏刊行されます。

シンシアニメ(8月13日(土)東地区“Q”ブロック-25b)

様々なアニメ作品を、紳士的な視点で真摯に語る新時代のアニメ批評誌です。
これを読まなければゼロ年代のアニメからは置いて行かれるしテン年代のアニメにも到底追い付けないこと必至です!――というような内容になる予定です。
原稿の締切りが迫ってきております。
かー、実質2時間しか寝てないから(ゲームのやりすぎで)つれーわー。

というわけで、詳しい内容の方はまた後日に告知するとともに、上記ブログサイトの方もコンテンツの充実をはかっていく予定ですので、まあ宜しくお願いします。
(あ、ちなみに寄稿者募集中です。7月10日が締切りなのであまり時間ありませんが、何か主張したいことや論をお持ちの方は挙手してください。)













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パンツ規制の基準はどこにあるか 『そふてにっ』   2011.06.05

テーマ:アニメ・感想 - ジャンル:アニメ・コミック Tag [パンツ]

ほぼ毎週日曜の夜10時30分からアニメ反省会と称したUSTを配信しているのを今さら宣伝しつつ、以前の放送でkarimikarimiさんと対談した際に話題になった「そふてにっ」における規制表現について簡単にまとめつつ、終盤にきてついに牙を剥き出したその攻撃性、そしてこの作品に込められた反骨精神について言及していきたく思います。


●モザイクによる規制

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この作品では、しばしばアニマルガードによってそのパンツや乳首が隠蔽されています。
序盤では、「おちんこ」と同じく、パンツではなく「パンツからはみ出した何か」を規制するためのものではないか、と推測していましたが、どうやら毛色が違ったようで(詳細は後述)、とりあえずは「動物」の種類が何を意味するのか、という問題提起を行うに留めておきます。


●遮蔽物による規制

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古くからポルノ映画などでも伝統的に使われている手法ですね。被写体とカメラのあいだに植物やインテリア用品を配置することで局部を隠すというものです。
アニメにおいては、舞い散る「葉っぱ」や「水しぶき」なんかもよく使われます。ロングヘアーのキャラクターだと、髪の毛によって乳首が隠される、という描写もよく見かけますよね。
また、「光」や「影」、あるいは「湯気」なんかも、ここに該当するでしょう。
(地上波のテレビアニメでは、もはや「影」ですらないただの「黒塗り」も散見されますが、あれはどちらかというとモザイクの方でしょうか。)


●ディフォルメ化

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キャラクターをディフォルメすることで「完全な描画」を可能とした手法。
ギャグアニメでよく見られますね。
「リアルに描かなければよい」という発想ですが、描く側のさじ加減と我々の想像力が試される高度な表現です。
ロングショットにすることで細部を識別できなくする手法もここに該当するでしょう。


●パンツじゃないから恥ずかしくない

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2000年代の後半に確立された最新鋭の表現ですね。
「パンツはいてない」もこれの亜種になります。
この作品においては、「アンダースコート」の存在によってこの手法が実現しました。
パンツのようでパンツじゃない少しパンツっぽいパンツ。
「乳首じゃないから恥ずかしくない」の登場が待たれます。


さて、これら大きく分けて4つの規制表現が入り乱れるのがこの「そふてにっ」という作品なわけでありますが、絶対に忘れてはならないのが、この作品は決して「パンツを見せないアニメではない」という事実です。

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第1話の段階から「パンツ」は定期的に映されていたわけですから、上記で挙げたような「規制」は、乳首や女性器を隠すために使われこそすれ、「パンツを隠すためには使われない」と言えます。
では、所々でパンツに規制が入るのはなぜなのか、アニマルガードの真意は、パンツが隠蔽される基準はどこにあるのか……といった問題を考える前に、まずは第8話において描かれた、我々視聴者に対する明確な意思表示を振り返っておきましょう。

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この、エビオス嬢をも凌駕する女子力の持ち主であるところの岬さんのパンチラを見た時、(アンスコの存在を刷り込まれている)我々視聴者はきっと「どうせアンスコだろう」「パンツじゃないから恥ずかしくないんだろう」と思ったはずです。そして、なんたることか、「記憶に留める」という作業を怠ってしまうのです。
ここに罠がありました。
このパンチラの直後、明日菜の口から衝撃の事実が告げられます。

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「アンスコをはいていない」という事実です。
この時多くの視聴者は「パンツだったのか!」「もっとちゃんと見ておけばよかった!」と後悔と自責の念に駆られたことでしょう。
そして、その事実が詳らかにされた頃には、時既に時間切れ。

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我々は、イタリア代表のディフェンス陣よりも堅いアニマルガードによってその視界を遮られてしまうのです。
たとえどんなものであっても女子のスカートの中身は逐時名前を付けて保存すべきだ、という基本を疎かにしたばかりに、我々は大切なものを失ってしまったわけです。
そして、そんな――保存に失敗した――我々をたしなめるかのように、作中では、由良がしっかりとRECする様が描かれていましたよね。

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この淑女的な姿勢は、「スカートの中」に対する「紳士さ」を失念していた我々への皮肉に留まらず、どんな時にも集中力を切らさずに視聴しなければパンツに失礼である、という戒めとして、我々の心に大きく響くことでしょう。
だからこそ、続く第9話において、敗者救済措置として再びパンツが描かれたならば

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この作品の慈悲深くもユーザーフレンドリーな姿勢に、我々はただただ頭を垂れ、代わりに亀頭を持ち上げることにもなるはずです。(もっとも、ここでは岬さんのパンツは描かれなかったわけですから、やはり敗者にはそれ相応のペナルティが与えられてもいたわけですが。)
こうした、パンツに対する紳士的(あるいは淑女的)な姿勢は、先述の規制表現へと繋がります。
もう一度思い出していただきたいのは、この作品は「パンツを見せないアニメ」ではないということです。つまり、パンツ規制に「パンツを隠す意図はない」ということになります。
では、なんのための隠蔽なのか。
それはこの作品全体を見渡すことで浮かび上がってきます。

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この作品では、エヴァを中心に、多くのアニメや映画、TVドラマなどのパロディが多用されています。また、第一話レビューでも触れたように、Rio的身体をベースとした、パロディやオマージュを飛び越えた映像づくりが行われてもいます。
こういった点を鑑みれば、先に挙げた数々の規制表現の意図が見えてくるでしょう。
つまり、この作品では「パンツ規制」という現象のパロディ化が行われていたわけです。
(したがって、そもそも「パンツを隠す基準」を考えること自体が的外れであり、「パンツが隠されるのは陰毛がはみ出ているからに違いない。キリ」などとドヤ顔でのたまってしまうのは愚の骨頂、失笑されて然るべき態度なのでありましょう。)
これまで我々を苦しめてきたパンツ規制は、2011年になってようやくパロディ化されるに至ったのです。

前述の、パンツに対する紳士な振る舞いと、この「パンツ規制のパロディ化」に、我々は大きな衝撃を受けざるを得ません。
これら、この作品の攻撃的な姿勢、無粋な規制を強いる大人たちへの挑発的な態度を感じ取ったならば、もはやこの作品をポル産クソアニメだなどと一笑に付すことは決して出来ないでしょう。
どんなに苦しい時期もいずれ笑い話にできる――そんな時代がようやく訪れた幸福を噛み締めながら、頼もしくも慈愛に満ちたこの作品に、畏怖と尊敬の念を抱きつつ、胸と股間を熱くするより他ありません。
そしていつの日か、次なるフェーズ、「乳首/女性器規制」がパロディ化されるに至る道のりへの期待に胸と股間を膨らませることでしょう。

以上。













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