水の音、無形の雫

アニメやゲームのレビュー、日常の様々な事象に関する考察など。C86・3日目東P21a

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映画短評 『プリンセス トヨトミ』   2011.05.31

テーマ:映画レビュー - ジャンル:映画 Tag [おっぱい]

たまには映画の話などしてみるのもよいでしょう。
普段あまり映画館に足を運ぶことがないんですが、久々に観に行った映画がなぜよりにもよってコレなのか、というのは、まあ察してください。

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この作品の一番の見所は、やはり最新鋭のCG技術と緻密な演出を駆使して描かれる綾瀬はるかの乳揺れでしょうか。
近年稀に見る神がかり的な作画でした。
思えば我々は、乳が揺れるという現象に対して少々鈍感になってしまっていたのではないか。
アニメなんかでは、明らかに不自然な揺れ方をしたり、不必要なバストアップであったり、妙なSEが入ったりと、ある種「ネタ」的な描かれ方をすることも多々あります。
そうした「つくられた乳揺れ」ではなく、人間本来が持つポテンシャルが過不足なく表現されていたのがこの作品でした。
必要以上のバストアップがあるわけでもなく、しかし押さえるべきところはしっかりと押さえたカメラワーク、鮮明な揺れを可能とする衣装、なにより、引きのカットでもその存在感を主張してやまない巨乳は、我々の心を、そして股間を熱くさせるでしょう。
自然には逆らわず重力には逆らう、このあたりまえの乳揺れがあたりまえのものとして描かれる奇跡。
股間がスタンディングオベーションしないわけがありません。

他の見どころとしては、綾瀬はるかが便所に行くことによって相手方の不正を見抜くきっかけが出来る、という便所論壇的に有用なシーンがありましたし(お花を摘んだあとの綾瀬はるかの妙にスッキリテカテカした表情も必見!)、また、お好み焼きを食べながら「タマ」だの「スジ」だの卑猥な言葉を連呼したかと思えば、二度漬け禁止の謎の奇妙な液体を付着させた棒状のモノを口元に手繰り寄せつつまたしても「スジ」と発言するなど、女優生命に関わりかねないキワドイ演技にも注目すべきものがあるでしょう。
もちろん、物語の大きな核となる女装男子の存在にも目を向けないわけにはいきません。
まるで「放浪息子」に影響を受けたかのようなクリティカルなキャラクター造形は、どうみてもオレっ娘にしか見えない“プリンセス”との対比によって際立ちます。
作中では、「男か女かは関係ないんだ」といったようなメッセージが強調されており、「キャラクター」という観点からみる男女区別不要論、すなわちtnkがはえているか否かは問題ではない、可愛いかどうかがすべてである、という主張に通じるものがあります。
このあたりの発想は割りとアニメ的な部分があるのではないでしょうか。
(そういえば、プリンセスの飛び蹴りのシーンなんかはアニメでよく見られるような構図で、思わずコマ送りでパンツを確認したくもなります。)

と、いったように、全体的には「大阪全停止ってやりたかっただけやろ」感が拭い去れないガッカリ映画でしたが(!?)、前述の乳揺れ、そして女装男子、この二つの要素が(まさにふたなり的に)絡み合うことで妙なオーラを発していたのも事実でしょう。
(女装男子の「性の揺れ」と乳揺れが掛かっていたはずだ!と個人的に解釈しています。)

テーマ的にはプリンセスは結構どうでもよくて、主に父と息子(あるいは乳と愚息)の絆みたいなものがメインだったので、これから観ようという人はぜひお父さんと一緒に観に行くのがよいでしょう。
そして、帰り道、父とともに乳の話で盛り上がる(話題も、股間も)のがよろしいかと思います。


以上。










かんなぎ再考――フラクタルを評価するための前段階として――   2011.04.04

テーマ:日記 - ジャンル:アニメ・コミック Tag [かんなぎ]

絶賛の嵐の中フラクタルが最終回を迎え、今度は「かんなぎ」が“改めて”放映される運びとなりましたが、この機会に「かんなぎ」という作品を振り返ってみるのも悪くはないでしょうし、フラクタルを語るためにはやはりヤマカン御大の“初”監督作である「かんなぎ」は絶対に外せないのではないでしょうか。
(あ、一応第二話以降のネタバレ含みますので未見の人は注意を)


「かんなぎ」においては、当時は「非処女騒動」などというセンセーショナルな事件が起こったりもしましたが、そういった騒動が起こる以前から、この作品には「処女/非処女」を始めとした性的なキーワードがふんだんに盛り込まれておりました。

まず、第一話を視聴したならば、この作品が、主人公・仁が作った木彫りの「ダッチワイフ(またはラブピロー)」に魂が宿るという、ユリア百式あたりを彷彿とさせる「ダッチワイフアニメ」であることが誰の目にも明らかになるでしょう。
(ナギ様非処女説に関しても、そもそもナギ様自身がダッチワイフの化身であるが故、既に“使用済み”である可能性は常に想定されていなければならない。)

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そういった性的表現は、OPから既にあらわれています。
アッーという喘ぎ声から始まるこのOP。
まずはナギ様の振り付けに注目して頂きたい。

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明らかに「手コキ」を模した振り付けになっています。
恐らく、自身の胸の小ささ故に、なんとか他の方法で男を喜ばせようと会得した技なのでしょう。
また、左手で「棒状のもの」を口元へ手繰り寄せる仕草にも注目しなければなりません。
この「フェラーリ」によって男たちは「スピード違反のDriving」へと誘われるわけです。

続いて別のカット。

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この画面一杯に広がる無数の「光」が、先ほどのナギ様の手コキ及びフェラーリによって解き放たれた精子の群れを表していることは明白です。
もちろん、それを受け止めるのはこの場においてアイドル、つまり「性の象徴」として描かれているナギ様自身に他なりません。
この作品のテーマの一つでもある「アイドル」という言葉は、本来的には「偶像」という意味ですから、最初に述べた「ダッチワイフ」というキーワードと繋がってきます。

加えて、このナギ様のストリップ歌謡ショーの合間に挿入されるメイキング映像が、時代劇物のVシネマの撮影風景であることに疑いの余地はないでしょう。
現に、監督である秋葉先生から濃厚なラブシーンの演技指導を受けています。

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このように、OPをざっと見ただけでもこれだけの性描写がなされていたわけです。
では本編の方はどうだったでしょうか。

まず目に付くのはその秀逸なパンツ描写です。
本編中、ナギ様は一切パンチラをしない鋼鉄スカートを穿いていらっしゃるわけでありますが、しかし、圧倒的な演出センスを誇る我らがヤマカン大先生は、その類稀な発想でもって我々に新たなパンツ描写を提示してくれました。

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当ブログでも何度か取り上げたことのある「パンツの事前提示」ですね。
つまり、「はく前のパンツなら恥ずかしくない!」というものでした。
このパンツ表現には新たな可能性を感じたものです。(最近では「みつどもえ」なんかでこの表現が使われていましたよね)

もちろん、このパンツに穿き替える前、つまり、ナギ様が最初から所有していたパンツもしっかりと描写されていました。

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さて、ここで二枚のパンツが出揃ったわけですが、問題なのはここから先、本編において「他のパンツの描写が一切無かった」ということでしょう。
これの意味するところはずばり、ナギ様はパンツを二枚しか持っていないという事実です。
となると、問題となるのはそうですね、洗濯の頻度ですね。
果たして家主である仁に、毎日洗濯するような生活力があるのか否か。
もしかしてナギ様は二日、三日と同じパンツを穿いているのではないか。
そのような疑問を抱いていました。

しかし、ここで新たな可能性が浮上します。
もしかしたらナギ様はパンツはいてないのではないか、という可能性です。
つまり、ナギ様が普段穿いている「鋼鉄スカート」は、パンツを隠すためのものではなく、むしろ「パンツはいてないのを隠すため」のものであると。

これらの可能性については、本編では明確に言及はされなかったものの、「可能性」の存在こそが重要であり、シュレディンガーのパンツ理論――「中身」を確認するまではパンツをはいているか否かは観測不可能である――に直結する問題提起として今なお多くの論者によって考察の対象となっています。
この作品が未だ多くの人に愛される所以ですね。


と、ナギ様とパンツを巡る攻防にはまだまだ注目すべき点が沢山あるとは思いますが、あまりパンツパンツと連呼していると想定される基準値を越えてしまいそうなので、ここは自粛して他の話題へ移りましょう。
いよいよダッチワイフの話です。

冒頭でこの作品が「ダッチワイフアニメ」であると述べましたが、その片鱗は第2話において克明に描かれていました。

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この見事にそそり立つ「棒状のモノ」が何を意味するのかは最早言うまでもないでしょう。問題はこのフルオッキした「棒状のモノ」に対してナギ様が取った行動です。

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いきり立った「棒状のモノ」に布を「被せる」という行為。
これは誰がどう見ても「コンドームの装着」の隠喩であるとしか思えないでしょう。
産土神、すなわち「出産」に深く関係する神であるナギ様による妊娠の否定が行われたわけです。

では、なぜ避妊することを選んだのか。
答えは一つしかありません。
つまり、自分が求めるのは子孫繁栄のための交尾ではなく、快楽を享受するためのセクロスであると、己のダッチワイフとしてのアイデンティティは快楽にこそ存在すると暗に主張しているわけです。
(ここまで直接的な性への姿勢を見せられておきながら、ナギ様が処女であるはずだなどと盲信する方がどうかしていますよね。)

また、ナギ様がいつも大事そうに握っているこの「棒状のモノ」が、ナニの象徴であったのかを確認できるシーンがあります。
第4話において学校に潜入したナギ様が捕まった場面。

ka12.jpgka13.jpg


例の棒から見事な「光」が発射されています。
ではここで先ほどのOP映像の解説を思い出して下さい。
そうですね、この棒の先端から迸る「光」が何を示しているのか、もうお分かりですね。


さて、ここでまた第2話に戻りますが、次のような場面が描かれていました。

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「子供のキンタマ」をつまみあげ


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凝視し


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弄ぶ(野外で)


最早ビッチとしか言いようのない淫乱ぶりを見せてくれています。
子供にまで手を出すその貪欲な姿勢には頭が下がる思いです。
ナギ様は物語の最序盤から既にその性への奔放な姿勢を余すところなく披露していたわけですね。
(これでも尚「ナギ様は処女だ!」などと信じられる人は、一度然るべき機関の検査を受けた方がよいでしょう。)


ところで、この「かんなぎ」という作品には、一時期流行った「ヤンデレ」描写が含まれています。

先ほどの「棒状のモノ」と並ぶ、もう一つの象徴的な「棒」の存在。

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おいしん棒(男淫芯棒)と名付けられたこの棒もまた、ナニかしらのメタファーとして機能していたわけですが、この見事な「棒」に対して、ナギ様はとんでもないことをしでかしてくれました。

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(粉々に砕いて)米にかけて食う


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パンに挟んで食う


このようなショッキングな映像が無修正で放映されていたというのですから、棒もとい某都知事がアニメやマンガを規制したくなる気持ちも分かろうというものでしょう。
この、直視するにはいささか勇気のいるカニバリズム描写ですが、では、ナギ様をここまでの狂気に走らせた原因は一体何だったのでしょうか。

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そう、OPの歌詞で「ハッテン☆マイケル」と示唆されていた、仁のおホモだち、大鉄ですね。

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第8話における、ナギ様のこの殺意に満ちた眼差しを見ても大鉄に対する敵意は一目瞭然ですが、指摘すべきはそれだけではありません。

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大鉄への当てつけとしか思えない積極的な接触。
自分こそが仁のダッチワイフ、つまり、性のパートナーなのだという確固たる主張ですね。
さらに別のシーン。
今度は食卓に注目して頂きたい。

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一応は客人である大鉄に対し、「肉団子」を食べさせるという所業。 この「二つのタマ」が何を意味しているのかはもはや明白でありましょう。
自ら「棒」を食すだけでなく、ライバルである大鉄にまでカニバリズムを強制するという残虐極まりない仕打ちに、テレビの前のマゾヒスト一同は歓喜の声を上げたことでした――



さて、以上が「かんなぎ」における性的表現の簡単なまとめでした。(思い出しつつなのでいくつか捕捉しきれていない描写などがあると思いますが)
狂気的とすら言える性への探求が描かれたこの作品、ここに込められた意図を踏まえた上で、もう一度「フラクタル」を観返してみるのもよいのではないでしょうか。

以上。





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で、結局彼は何がしたかったわけ?『東のエデン 劇場版II Paradise Lost』   2010.03.22

テーマ:アニメ - ジャンル:映画 Tag [東のエデン] [ジュイスは俺の嫁]

待ちに待った“東のエデン”劇場版、完結編を見てきました。


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実は観賞した当日、某所で大規模なイベントが開催されていて、昼間はそちらのイベントに足を運んでいたため、もはや脚はスティックになるわ肩は上がらなくなるわと、さながら親友のために夜通し走り続けたメロスの如き満身創痍の身体だったわけでありますが、それでもセリヌンティウスとの友情を裏切るわけにはいくまいと、その素晴らしき映画作品をこの目にしかと焼き付けてきた次第です。



さて、東のエデンに関しては、テレビ放映時に当ブログでも取り上げたことがありましたが

『東のエデンに潜む強烈な萌え要素』

今回は俺の大好きなジュイスちゃんの出番が少なくて少し寂しい思いをしました。

あ、基本的にネタバレ全力でいくんでヨロシク。



んで、まあこの劇場版IIでは、ジュイスという最強ヒロインを差し置いて、森美咲とかいうよく分からないビッチがなんかヒロインみたいなポジションに置かれていました。

俺はこのことに非常に強い違和感を感じてもいたわけですが、しかしある一つの要因によって許容せざるを得なくなったのです。

咲ちゃんの服装です。
この、劇場版IIにおいて、咲ちゃんは「肩と腋を丸出しにしたノースリーブワンピース」という、極めて攻撃的でけしからんファッションをしておられました。

もはや映画の内容などどうでもいいぐらいに非常に綺麗で鮮やかな腋を晒しておったのです。


しかもです、全編を通して髪をアップにまとめており、なんたることか、その“うなじ”までをも惜し気もなく晒しているではありませんか。

このことに、俺は自分が一体何のVシネマを見ているのかと、頭が混乱してしまいもしました。


映画作品ということで、通常のテレビアニメと違ってキャプチャを撮ったり出来ないのが非常にもどかしいですが、とにもかくにも素晴らしいファッションセンスでした。
肩及び腋の露出具合が近年稀に見る芸術的な比率で構成されており、また、肩から肘にかけてのライン、及びきめ細やかな腋の描写は、まさしくこの作品が単なるオタク向けアニメ映画ではなく“芸術作品”であると、世に知らしめて止まないことでしょう。

控えめなお乳が腋の存在感をさらに際立たせている点も好評価できますよね。


腋論壇人の一人として、ぜひともこの作品はブルーレイを購入してハイビジョンで観賞することをお勧めしたい。




とまあ、そういった感じで、咲ちゃんの腋と肩ばかり見ていたので、映画の内容自体はよく覚えてませんが、まあ「昭和の世代が作り上げた古いシステムは昭和の世代で完結させて真っ白な状態で次の世代に引き継いだらどうよ?」みたいな話だったと思います。

大方の予想通り、ほとんどの伏線は投げっ放しにして謎を残しておくことで「なんかよく分からないけど凄い重厚で深遠なテーマが潜んでいるように“見せかける”」という、実に押井ファミリーらしいアレでした。

もっとも、この作品に限らず、こうした手法を取り入れた作品は、作品の内容自体よりも、むしろ“作品について議論する”ことにこそ面白みがあるわけですから、作品の方向性としてはこれ以上ない終わり方だったと思います。

また、本来“スイーツ(笑)層に攻殻を見せる”というコンセプトがあったわけですから、そういう意味でも大成功だったのではないでしょうか。

実際、映画館には“ハルヒ”や“なのは”の観客のような、これでもかと言わんばかりのオタクじみたオタクよりも、ヴィレッジヴァンガードやフランフランにいるようなオサレな若者が多かった印象がありますしね。


それにしても、やはり最近の女の子は滝沢君みたいなちょっと強引で茶目っ気のある、線の細い草食系男子じみた実在青少年が好きなんでしょうか?

東のエデン全体の構図として「一昔前の少女マンガ」なんですよねこれ。
テーマとか細かいギミックは置いといて、要するに王子様願望の強いスイーツ女子が何かすごいポテンシャルを持ったイケメンを追いかけるっていう話なわけですから。

そういったあたりも、“少女マンガ世代”のOLなんかに受けた理由なんでしょうねきっと。



と、いったあたりで本日は〆ておきたいと思います。
ありがとうございました。









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