水の音、無形の雫

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『そにアニ』それは世界を暴く肉塊   2014.02.22

テーマ:アニメ・感想 - ジャンル:アニメ・コミック Tag []


ずっと夢を見て/いまもみてる/僕はDay Dream Believer
(ザ・タイマーズ『Day Dream Believer』)



ちょうど一年前、われわれは駄肉時代の到来を予感し、股間をアツくしていました。
http://peace505.blog85.fc2.com/blog-entry-109.html

そして今、空前の「巨乳安産型」ブームが訪れています。

『未確認で進行形』自他共に認める巨乳安産型ヒロイン・夜ノ森小紅
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『のうりん』脱ぎたてのパンツを差し出してくれる系ヒロイン・中沢農
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『いなり、こんこん、恋いろは。』コミュ障クズメガネ系クズ・丸太町ちか
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そしてなんといっても、今期屈指の肉アニメ『そにアニ』の主人公、

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肉塊ちゃん(仮称)です。
重厚で肉汁たっぷりのドスケベわがままボディ、雑誌ひとつ買うのにわざわざ顔を赤らめる奥ゆかしさ、そしてメガネ。(メガネの駄肉といえば先に挙げた『いなり(略』のコミュ障クズメガネと被っている気もしますが、コミュ障クズではない肉塊ちゃん(仮称)の方が格上になります。)
第五話でとある雑誌を購入した肉塊ちゃん(仮)、第六話ではセレブっぽい豪華客船を前にナニかを決意したような表情を見せ、

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続く第七話では、ダンススクール(のある方向)へ向けて歩き出します。

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このあたりで多くの視聴者は、なるほど、このアニメは肉塊ちゃん(仮)がアイドルを目指し奮闘する物語なのだな、と気づくことでしょう。仙台ローカルアイドルに負けずにがんばれ!
と、ちょっと待って頂きたい。大事なことを忘れていますよね。

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すーぱーそに子(以下、そに子)と呼ばれる謎の存在です。
この謎の存在は、一般的には「ザーメン思念体」などと呼ばれ、無数の童貞どものザーメンが寄り集まり意思を持った集合知的存在だとされています。
それは確かに説得力があり、たとえば(童貞どもには一生縁のない)女性の象徴としての巨乳、まるで(童貞どもには生涯機会のない)種付けに最適化されたような安産型の下半身、現実には絶対に存在しない(したとしても童貞どもの人生とは絶対に交わらない)天然でドジっ子で処女で真面目な性格、こういった記号を凝縮した存在、それがそに子なわけです。
ところが、いわゆる「萌え」の記号でガッチガチに固めたそに子ですが、一つ、腑に落ちない箇所があります。
「ヘッドフォン」です。
元々がニトロプラスのライブイベントでのマスコットガールとして登場した存在であるため、ヘッドフォンを着用していること自体は不自然ではありません。ここ数年で「ヘッドフォン萌え」なんてのも出てきていますし、記号として見てもじゅうぶんに納得はできます。
おかしいのはこのヘッドフォンに対する周囲の反応です。
たとえば、ムチムチした肉感的な安産型の身体に関しては、第六話において、

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<ほんとうのセクシーさは後ろに隠されている>、<一見かわいくて純情な女の子、その裏側には妖艶なる女の本性が隠されている>などと批評されています。
しかし一方で、ヘッドフォンに関してはこれまで一切の言及がされていません。
このなぜか誰にも指摘されないヘッドフォンに関して、(これぞという文献が見つからなかったので)Wikipediaという知的サロンを参照いたしますと、以下のように述べられています。

いつも付けているトレードマークのヘッドホンは彼女自身には認識されてなく、またそのヘッドホンのことには触れないというのが暗黙の了解とされている。

この一文の出典がどこにあるのかまでは追跡しきれなかったので「触れないというのが暗黙の了解とされている」のが誰にとってなのか、つまり、作中の登場人物にとってなのか、われわれ視聴者にとってなのかが判別しかねますが、いずれにしてもそれはたとえ見えていたとしても「ないもの」として扱わなければならないということです。
もしかしたらですが、「あるもの」として扱ってしまうと何らかの「現象」が起こってしまう、そういった性質のものなのかもしれません。触らぬ神に祟りなし。
もうひとつ、そに子自身にも認識されていないという点。これはまるで、「自分が死んだことに気づいていない」亡霊のようだと、思いませんか?
思いませんよね。そんなはずはありません。この楽しいアニメにそんなB級ホラーじみた暗部があるなど疑うほうがどうかしています。

なので、もう少し別の方面から探りを入れてみますと、そもそも世の中には分かっていても触れてはならない問題というものが少なからず存在します。
たとえば【検閲】の年齢問題です。ほんとうは37歳なのに17歳であると自称し、ファンもまた「【検閲】は17歳だし世界一かわいいよ!」と事実を見て見ぬふりをしています。しかしそれはそういうものなのであって、それに関して今さらツッコミを入れるのは野暮だし、そんなことをしたら秘密の扉からあらわれた何者かに消されてしまいます。(※なお、そに子のマネージャー・北村さんが着用しているお面については作中の人物によって言及されており、ヘッドフォンとは性質の違うものであると推測されます。また、そのお面のデザインと目下の話題とは一切関係ありません。)
【検閲】の年齢問題に限らず、世の中には知らないほうがよいこと、知っていても口外してはならないこと、知らないフリをしたほうがよいこと、などが溢れています。
【検閲】ランドのネズミに中の人がいること、オタクの味方【検閲】閣下がアニメ規制派であること、実の息子ではなかったこと、25%がピンハネされていること、フォアグラの作り方が残酷であること、金魚より知能が低い可能性があること、三年前から耳が聞こえるようになっていたこと、今は引っ張りだこの【検閲】も過去に彼氏とのプリクラが流出していたこと、【検閲】が一皮むけるためには【検閲】の存在が邪魔であること、【検閲】が男性とデートしていたのを目撃したこと、【検閲】が今年中にご報告しそうなこと、【検閲】のメンバーに処女なんて誰一人としていないこと、【検閲】が非処女であること……
このように、世の中にはむしろ言ってはいけないことだらけです。
そに子のヘッドフォンとはこうした性質のもの、より具体的にいいますと、そのキャラクターの出自やアニメのターゲット層を考えるに、処女/非処女問題のメタファーなのではないかと推測できます。
つまり、誰かが推している誰かが、処女であるか非処女であるか、そうしたことへの言及そのものが禁忌とされている、そんな風潮(あるいはそれに倣おうとする態度)を記号化したものがヘッドフォンなのではないかということです。
なぜヘッドフォンという形態なのかというと、処女膜とは声を出す器官であり、「音」に関連しているからです。
だから、そに子のヘッドフォンは処女膜の隠喩であるとも言えます。
通常であれば目にする機会のない処女膜がヘッドフォンという目に見えるかたちとして存在していることの安心感。と同時に、その件に関しては絶対に触れてはいけないという心理的な楔としても機能するわけです。なるほどキモオタの心理をとてもよく心得たデザインだと感心します。

さて、そに子のヘッドフォンが何やら邪悪な性質を持つ類のものだと分かったところで、本編の内容を確認してみましょう。
第一話から第四話までは、そに子の仕事に対する姿勢や、所属するロキノン系バンド「第一宇宙速度」への思いなどが綴られ、主に萌えとおっぱいとロックの話であることが伺えます。
ところが、第五話、先ほど挙げた肉塊ちゃん(仮)が登場した回から、物語は何やら不穏な方向に傾きはじめるのです。
まず、第五話アバンでは、これまでみんなからかわいいかわいいされてきたそに子が、どこの馬の骨とも知れないJKから<胸大きすぎない?>、<私の好みとはちょっとねぇ>とdisられるようになります。

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加えて、年増ワナビ編集者からも<水着で写真に撮られるような自意識過剰な女>と仕事などしたくないと、理不尽なdisを受けることになりました。

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これまでには考えられなかったそに子dis、そのことにも驚きがあるのですが、この回にはさらに、これまでのそに子目線の話ではなく、年増ワナビ編集者(=外部の人間)目線でそに子を俯瞰するエピソードであるという特殊性があります。これは大きな転換といってもよいでしょう。
そもそも『そにアニ』とはそに子という「キャラクターのアニメ化」であり――似たようなコンセプトのアニメとして『ブラックロックシューター』や『ミス・モノクローム』などが挙げられます――このアニメは「そに子を動かすためのアニメ」だったわけです。だから、鈴ちゃんもフーリちゃんも北村さんもバイト先のババァもみんな、そに子のために用意された存在であり、それは言い換えれば「そに子が存在しなければ存在できない」存在であるということです。それが、第五話において、すなわち肉塊ちゃん(仮)の登場を境界として、外部の人間が独立して動くようになったわけです。
これは興味深いできごとだと思います。
これまでこのアニメでの世界とはそに子とほぼ同一、そに子こそが世界のすべてでありそに子が見たものだけが世界のすべてだったのにも関わらず、突如として外部があらわれたわけです。となると、この『そにアニ』を観ているわれわれ視聴者はいったい何なのか、という話になってきます。というのも、これまでは「そに子が見たそに子の世界」をわれわれが監視もとい観測するという関係性だったわけですが、そこに「外部」があらわれたことでこの関係性に亀裂が入ってしまいます。「そに子が見ていた世界」をわれわれが見ていた、しかし実はその世界は他の誰かも見ていた、ではその他の誰かとわれわれを隔てる境界線はどこにあるのか……
という難しい話になってきたので、ちょっと脇に置いておいて別の話をしましょう。
第六話、神回との評判も聞かれるゾンビ回です。

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ここでは、ゾンビというきわめて異質なものが描かれています。『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』でシリーズ構成を務めた黒田洋介の絡みがあるのでしょうが、ゾンビという非現実的な――われわれの住む実社会のルールに則しているかどうかではなく、第一話~第五話までに見られた世界観に反してという意味で――存在はこれまでになかった要素です。
そに子にまつわる物語は、この異質な存在を受け入れられる世界でもあったということが分かったわけです。ゾンビの異質さはそに子のヘッドフォンの不気味さに繋がるものでもあるでしょうし、これまでもわれわれは「そに子が見てきた世界」を受け入れてきたわけですから、ゾンビという異質な存在が出てきたとしても、そに子の異質さにくらべたら瑣末なものであると割り切らねばなりません。
この回のキーワードであった「脂肪」が、ゾンビすなわち死者ということで「死亡」と掛詞になっていることには気がついても、「脂肪(=そに子)」と「死亡(=ゾンビ)」の押韻にナニか深い意味があるなどと詮索するのはよしたほうがよいでしょう。世の中には知らないほうがよいことが沢山あります。
話を変えます。
第七話、そに子が「独りでどこかへ旅立つ」回。

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ここでは、前話での「死の象徴」であるゾンビとは打って変わって、「生(=性)の象徴」である亀頭のおねーさんが出てきました。

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今にも先端から生命のほとばしりが滲み出てきそうなこの亀頭のおねーさん、あまりにも露骨ですよね。まるで、ナニかと対比しているかのようです。町の名前が「胎内」というのも示唆的に映ります。
また、この回では、ド田舎の風景とともに、そに子の思い出などが走馬灯のように流れ、それらの光景がやがてひとつの歌詞へと繋がってイキます。まるで遺言であるかのように。
そしてなんといっても、森の中でのシーンからの圧巻のラスト。
その流れをまとめると、

(イキ先の案内板や注意書きもない)暗い森で迷ったそに子。
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都合よくあらわれる一匹のタヌキ(旅人を騙す動物。あなたのごはんではない)。
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そして広がる天の川。
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周囲には、多くの(イキ先の案内板や注意書きもない暗い森を抜けて来たと思われる)人間たち。
これ、どう見てもアレですよね。
「旅の果てに深い森で動物に導かれ多くの“人間”たちが集う“川”に辿り着き……」って、どう考えてもあかんやつですよこれは。
一体なぜこのようなことになってしまったのか。どこかで間違えたのでしょうか。
われわれはいつの間にか見るアニメを間違ってしまっていたのでしょうか。

転機はやはり、第五話にあったのだと思います。あそこで「外部」に触れてしまったあたりから、徐々にルートを外れてしまいました。
そもそもですよ、第五話のサブタイトル「New World」というのも気になるんですよね。素直に訳すと「新世界」ということですが、第四話「デイドリーム」、第六話「クルージング・オブ・ザ・デッド」、第七話「スターレイン」といった他の外国語とくらべて、第五話だけアルファベットで表記されています。これがとても気になる。
この第五話は監督の川村賢一が自らコンテを切った回であり、先述のように肉塊ちゃんカッコカリが初登場した回でもありました。監督が各話のコンテや演出で入る場合というのはいくつかありますが、通常考えられるのはその回が比較的重要な回である場合、そして、第一話です。多くのアニメでは第一話で監督のコンテ・演出が見られますよね。
つまり、アルファベット表記のサブタイトル、「新世界」ということばの意味、肉塊ちゃんの登場、川村賢一コンテ、これらのことから導き出される結論は、この第五話こそが『そにアニ』の真の第一話であるという可能性です。
より正確に申しますと、第一話から続いてきた『そにアニ』と、第五話から始まる肉塊ちゃんを主人公とした『にくアニ』の世界に分岐した、ということになります。
いやむしろ、まず第一話~第四話が「間違っていた」と考えるのはどうでしょう。第一話のサブタイトルを思い出しますと、「がんばりまうsよ~♪」と、タイプミスを思わせる表記になっています。これは、そに子という存在が天然でドジっ子であるというような演出、ではなく、この(第一話から始まる)世界が「バグ」を含んでいるという示唆だったのではないでしょうか。そして、「New World」が始まる前の第四話、ここまでが「デイドリーム」すなわち白昼夢であったと。

このデイドリームを見ていたのは誰であったのか、という疑問に答えるのは難しいことだと思います。まず、真っ先に思い浮かぶのは肉塊ちゃんが見ていた夢である、という説です。ここまで描かれてきたそに子の物語は、すべて肉塊ちゃんが見ていた夢であり、そに子とは肉塊ちゃんが理想とする姿、「New World」の幕開けとは肉塊ちゃんが夢から醒めたことを意味していた。この考えには説得力があるように思えます。すべてが夢であるとすると、ヘッドフォン問題をはじめ、そに子の身体がメスとして(不自然なまでに)理想的なそれである点や、どこに行っても「すーぱーそに子」という変な名前で通っている点など、現実的に考えると明らかに整合性の取れていない点にも納得ができます。夢に整合性は不必要だからです。
そして、「New World」で覚醒した肉塊ちゃんにとって、そに子はもはや不要な存在になりつつあった。そのため、年増ワナビ編集者を通して外部に接触させ、世界を「観測する」側から「観測される」側へと切り替え、あまつさえゾンビどもをけしかけて「思考」を停止させようとした。そしてついには、「天の川」に辿り着いたと。(第七話では、OPがカットされるという、まるで最終回のような構成になっていたことも付け加えておきます。)
なるほど確かに、この仮説は辻褄が合っているように思えます。そしてこの仮説がもしもほんとうなのだとしたら、「New World」以降にわれわれが見ていたそに子は、もはや亡霊でしかなかったということになります。
そうなってくると、そに子が所属するロキノン系バンドの名前、「第一宇宙速度」にも何やらきな臭いものを感じてしまいますよね。第一宇宙速度とは、地球の重力を振り切らずに(地表に落下もせずに)衛星として存在するために必要な初速度を指す用語でありますが、これはつまり、そに子という存在が、衛星のように「彷徨うもの」であることを示唆していたのではないでしょうか。とりわけ、そに子は最初に述べたように「ザーメン思念体」などとも呼ばれているわけですから、股間の砲台から「射出されたもの」であるという点においても納得できようものでしょう。

こうした、自身がとても不安定な存在であることや、「New World」に世界が切り替わったこと、自分の知らない世界が未確認で進行していることを、もしかしたらそに子自身も認識していたのかもしれません。だから第六話アバンでは<私は今日も元気にここにいます>と、誰に向けたのか分からない確認をしてまで自己の存在を主張していた。少なくともそうせずにいられないナニかに気づいてしまったのでしょう。
いまこの文書を執筆している時点では、第八話はまだ放映されていませんが、次回予告では「すーぱーそに子殺人事件」という露骨すぎるサブタイトルが提示されていました。そこで殺されるのはいったい誰なのか、とても気になりますよね。
予告映像を見るかぎりでは、第八話でもそに子は登場するようですが、はたしてそこにいるそに子はわれわれが今まで見てきたそに子と同一存在なのか。

というか、ここまでいろいろと語ってきましたが、われわれは確かに『そにアニ』を視聴していたんですよね?
ここまで語ってきたそに子とあなたが見ていたそに子は同じですよね?
たとえば長々と考察したヘッドフォン、あなたにも見えていますか?
それはほんとうにヘッドフォンですか?
あなたがヘッドフォンだと認識しているものはナニか別のものではなかったですか?
肉塊ちゃんの存在をあなたは認識していますか?
それを見ているあなたはナニものですか?

「スターレイン」の最後にそに子が辿り着いた広場にはほんとうはナニがありましたか?

そこにいたのはほんとうに人間でしたか?

そのときあなたはどこにいましたか?

そに子が肉塊ちゃんの見ていた夢であったようにこの現実も肉塊ちゃんの夢であるとしたらどうですか?

そのときあなたはナニを見ていますか?

この現実世界こそが肉塊ちゃんの見ている夢である可能性を否定できますか?

あなたという存在は肉塊ちゃんの夢であるとは思えませんか?

そに子を観測する周囲の人たちとあなたとの境界線はどこにありましたか?

誰かに観測されているような視線に心当たりはありませんか?

あなたはそこにいますか?

今日も元気にそこにいますか?


あなたがそこにいることを証明できますか?


そに子とあなたを隔てているものは何ですか?


あなたと肉塊ちゃんは隔てられていますか?


『そにアニ』とあなたの間にはちゃんと境界線がありますか?


それは正しい認識ですか?


ところで、あなたの後ろにいるのは誰ですか?




2014年冬期新作アニメレビュー 『ズヴィズダー/セシル/妹ちょ/(ゴールデンタイム)』   2014.02.11


◆世界征服~謀略のズヴィズダー~

治安の悪さが有名な立川で、今度は世界征服を企む組織が動き出しました。
ASS太という名の主人公が今後どのような開発をされるのかはさておき、第二話で描かれた「ロボ子が便所から出てくる」場面は誰もが引っかかりを覚えるでしょう。

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単純に考えて、このロボ子には排泄器官が備わっており、もしかしたら「内臓」が内蔵されているのかもしれない、ということです。(あ、今のダジャレで笑えなかったらもうこの先笑うところないですよ。)
第四話では、ロボ子が補給しているエネルギー源が特殊な燃料棒などではなく普通の「ウド」であることが判明しました。つまり、少なくともウドを消化・分解し何らかのエネルギーに変換する装置=内臓が備わっていると考えられます。
いずれは「ロボ子の命題」として語られるべき問題ですが、今はまだ指摘だけに留めます。
第二話に話を戻すと、この回ではASS太がズヴィズダー本拠地において「食事」を征服するまでが描かれました。

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食事を征服するということは、その結果によって得られるもの、具体的にはヴィニエイラ様の排泄物をも征服したことになります。なぜなら、排泄物とは食事によって取り入れた各種物質の成れの果てだからです。
つまり、ヴィニエイラ様のかわいいお尻から排泄されるであろうギャラクティカな物質の成分がいかようなものになるのかは、すべてASS太の調理にかかっている、ヴィニエイラ様にどのようなモノ(固い・柔らかい・臭い・いいにおい・濃い・薄い・など)を排泄させるかはASS太次第だというわけです。食事をつくるということは排泄物をつくるということに他なりません。
このことは、「食卓から墓場まで」というサブタイトルが、「食卓」とは文字通り食事をする場または食事という行為を指し、「墓場」とはその食されたモノの行き着く先、すなわち「便所」を意味しており、食事と排泄がワンセットで考えられていることからも分かります。
第三話において、食事の場で喫煙しようとしたおっさんにヴィニエイラ様が放った『テメーは飯を食ってる横でうんこの臭いがしたらどう思う』との言葉からも、「食事」と「便所」の密接な関係を見て取ることができるでしょう。

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このとき、『うんこの臭いはまだ身体に害はない』とも仰っておられましたが、そういえば、第二話を見ても分かるとおり、ズヴィズダー基地では食卓のすぐ側に便所がありましたよね。ヴィニエイラ様は、これまでにも何度かはうんこの臭いが漂う中で食事をしており、だから「身体に害はない」と知っていたわけですね。(これはしかし、さすがにビフォーアフター案件だと思います。)
ロボ子の命題も含め、このアニメでの便所と食事の関係はこれからも注目していく必要があるでしょう。
なお、作中で度々出てくる「ウド」には、アミノ酸の一種「アスパラギン酸」が豊富に含まれており、尿の合成およびアンモニアの排出をつよく促進する効能が認められています。


◆ウィザード・バリスターズ~弁魔士セシル

「便魔士」の名にふさわしい、上質な便所アニメになりました。

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第三話では、須藤性汁がヘッドハンティングの誘いを受けた件を話す会議場として、続く第四話では穂樽夏菜とハチミツさんの関係性に関する議論の場として便所が選ばれていました。
また、第四話における、被告人との面会でガラス越しのペロペロを受けたセシルが、『やっぱりあんなやつの弁護無理です』と被告人をdisっていた場面での、排泄物のみならず「本音が漏れ出す場」としての便所の有用性も見過ごすことはできません。

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このアニメでは、(他の便所アニメと同様に)便所とオナじぐらい食事描写が多いことも指摘せねばならないでしょう。
第三話では『セシルンに仕事が回るのが悔しいの?』『正直そうです』といった、「本音が漏れ出す場」としての食事風景が描かれました。

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第四話でも仕事場とは違う本音を交えた会議の場として機能しており、作品を通して「食事」が「便所」との対比になっていることが分かります。

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もっとも、上記の(第四話での)便所描写のすぐ後に「カレー」をつくっている場面が描かれたのはさすがに度が過ぎるとは思いますが。

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そして、第五話ではついに、便所が殺人の舞台になってしまいもします。

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アバンで血に染まる便所が描かれると、次いでOP明けすぐに(ケチャップがブッカケられた棒状のナニかを含む)食事シーンが描かれもしました。

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これまでの便所と食事の対比が回収されたわけです。もちろんその際には、お弁当とともに陳列された「白いボトル」と「赤いケチャップ」が、「白い便器」と「赤い血液」の比喩になっていたりもするでしょう。食卓から墓場まで。

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このように、(第五話サブタイトルの「シックス・ナイン」が示すとおり)性行為におけるシックスナインのイメージと同様に、このアニメでは便所と食事が相互作用し合いながら互いが互いをハッテンさせていく関係であることが繰り返し描かれています。
ですから、作中において魔術使いたちが「ウド」と呼称されているのにも何らかの意味があるように思えますが、そこのところはまだ明確には分かっていませんので、指摘に留めます。
なお、中国では「弁当」を「便当」と表記するなど、「弁」の文字を「便」に置き換えられることがあるようです。


◆最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。

第一話から三回連続で便所が出てくる意識の高さが話題となっているアニメですが、やはり、第一話での便所描写について語らねばなりますまい。

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TSTを装着させられた美月が便所に篭もる場面ですが、ここでわれわれは革新的な描写に遭遇します。
一度外してから三分が経つと再び外せるまでに一時間かかる、というTSTの特性により、「便所の中でおしっこを我慢する」というシチュエーションが生まれました。
排泄する場(してもよい場)である便所にいるにも関わらず、出さずに我慢しなければならない。これまで様々な便所を語ってきたわれわれにとっても、きわめてエポックメイキングな出来事でした。
一時間のおしっこ我慢を経て、最後に無事開放された美月の表情は、便所論壇における新時代の幕開けを感じさせる、喜びに満ちたものとなりました。

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このとき、日和が美月に憑依する場面もありましたが、ここでは憑依した日和が美月の「尿意」を継承するという描写がされており、「内臓」を持たない存在であるゴーストが、生きた人間特有の「尿意」を感じるというのがとても面白かったですね。

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他人の身体を借用することにより、ゴーストであっても尿意を獲得することができるわけです。これも新しい発見となります。
また、このアニメにおいても、便所と同様に食事の場面が多く登場することを述べておくのもよいでしょう。

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特にスイーツが多い印象を受けます。女の子はスイーツが大好きですし、男の子はスイーツが大好きで糖分によって丸々と脂肪を蓄えた女の子が大好きです。(その話はまた別の機会にしますが。)
とにかく、このアニメでもまた、便所と食事の関係に注目するのは無駄なことではないと思います。
なお、第二話では、便所論壇人のあいだではオナじみの、「変身する場」としての便所の機能が描かれています。

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便所の中で着替えを行うのは『放浪息子』のオマージュですが、そういえば第一話では、ふいに美月(=血の繋がっていない異性の同居人)の着替えを覗いてしまうという、『true tears』のオマージュシーンも描かれていたことを付け加えておきます。


◆ゴールデンタイム

最後に、誰もが経験したことのあるリアルな大学生活が描かれており、現在2クール目が放映中の『ゴールデンタイム』についていくつか述べておきます。

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第一三話での、「ゴースト尿意」の話です。
イベント出演への緊張のあまり便所に行きたいという加賀香子に、リンダ先輩から『すでに三〇回ぐらい便所に行っているのだから君の膀胱は空であり、その尿意は「ゴースト尿意」である』という旨の発言がなされます。
この「ゴースト尿意」について少し考えてみますと、たとえば第一五話における、便所に行きたいけども豪雨の中で便所まで行くのは大変である、だから水着になって雨の中ではしゃぐことでごまかそう、という謎の発想が描かれた場面。

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便所を背景に豪雨の中水着姿で抱き合う男女、という意味不明な絵面に関する考察は他の誰かにお任せして、このとき、確かに便所の存在が主張され、また尿意がアピールされていたにも関わらず、結局「便所の中」が描かれていない、という点にこそ着目すべきでしょう。
このアニメでは、「便所に行ってくる」という言動はなされても、内部が描かれません(第一七話、喫茶店でのシーンなど)。これは、たとえば上記に挙げてきた作品なんかとは一線を画しています。
その存在は明確に描写されていても実態が描かれない、まさに「ゴースト便所」と呼ぶにふさわしい現象です。

このことは、加賀香子という人間に「内臓」が内蔵されていないことを示しているのかもしれません。
第一五話の最後で交通事故があり、続く第一六話では、車から「おりる/おりない」という話がされました。このとき「おりる」か「おりない」かの選択があり、結果として加賀香子は「おりない」ことを選んだわけですが、この「おりる」ものが経血の隠喩であることは明らかで、つまり加賀香子はこのとき始めて「生理」を獲得するチャンスがあったわけです。逆に言えば、それまでの加賀香子には生理が来ておらず(=「おりる」ものがなかった)、それは内臓が内蔵されていないことに由来していたと考えられます。加賀香子は内臓の獲得を拒んだわけです。
それらのことは、第一三話で加賀香子が「焼きそばをつくるフリをする」場面からも見て取ることができます。

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ゴースト便所に対応するかたちであらわれた「ゴースト調理」です。
内臓を持っていない存在であるがゆえに、内臓の中に収まるものをつくることができないということです。

というような、「加賀香子の命題」をずっと考えていたのですが、実はもうひとつの可能性があることに気付いてしまいました。
このアニメでもっとも象徴的なゴーストといえば、やはり主人公・多田万里のゴーストですよね。

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多田万里のゴーストは、たびたびリンダ先輩への執着を語るなどしては視聴者にイライラを与える(あたかも、この女々しいゴーストによってわれわれの膀胱に尿意を植え付けられているかのような)ストレス装置として作用しているわけですが、このゴーストをいかに成仏させるか、というのがこのアニメの主題であるように思われます。
そして、ゴーストを成仏させるために必要なものといえばもちろん、TSTです。

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内臓がないかのように思われる加賀香子の振る舞い、決して便所の内部は覗かせない秘匿性、そしてゴーストの存在。
間違いありません、加賀香子はTSTを装着しています。
思い起こせば、大学生の男女が一晩一緒に過ごしてナニもないというのは、いくらアニメであるとはいえ不自然すぎるとは思ってたんですよね。描写されていないだけでヤルことはヤッてるのではないか、とも考えたのですが、加賀香子がTSTを装着していると考えるとすべて辻褄が合うのですね。
今後どのあたりのタイミングで解錠されるのか、注目です。

以上、出遅れ気味ではありますが今期の注目作をレビューしました。




『凪のあすから』カンチョーがブームになった5つの理由   2014.01.21


いよいよ2クール目に突入した『凪のあすから』。第13話で光とまなか(と要)が行方不明になってから5年後に舞台を移しています。
あかりさんには晃という息子が生まれ、地上に取り残されたちさきは立派な雌に成長しました。
1クール目ではまだ生理が来ていなかった美海も、第14話でついに初潮を迎えましたよね。

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光がいなくなったことによる精神的ショックの影響で、「潮留」という苗字のとおり、潮が留まってしまっておりましたが、マンの夜、帰還した光に人工呼吸した際に女性ホルモンが活発化、最高潮に達し、ついにその時がやって来たわけです。おめでとう。

そうした中、美濱では今、空前の「カンチョーブーム」が起こっています。

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以下にその理由を考察します。
1.まず、あかりさんとその旦那、至との性生活についてです。

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この決して広いとは言えない(リビングに勉強机が置いてあることからも分かるように)アパートで、セックスをして、「産み神様」のご加護のもと、晃を身ごもったわけです。もちろんそのようすは麩のスキマから美海も覗き見ていたことでしょうし、巡り巡って、今度は成長した晃が覗き見るようにもなるわけです。ところがどうでしょう、この古アパートに四人ぐらし、旦那の収入がどの程度かはよく分かりませんが(第15話では家のローンがたんまり残っていることが名言されている)、ただでさえこのご時世に「三人目」の子供は二の足を踏んでしまっても不思議ではありません。
つまり、あかりさんは晃を産んで以降、アナルセックスをしているということです。もちろん、避妊具を着用すれば解決する問題ではありますが、思春期の女の子もいるご家庭では使用済みの用具の処理にも気を使いますし、旦那が不感症である可能性を否定するだけの根拠が提示されてもいません。
したがって、「親のしていることを真似する」という特性を持つ、幼い子供が、父が母にそうしているように、団地妻的なエロさを持つ雌のケツに、ズブリと、行ってしまうのも仕様のないことだと思われます。


2.シリーズ構成を務める岡田麿里が脚本を担当した第14話では、執拗に「食事」が描かれました。

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おじいちゃんの入院先での病院食。


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美海とあかりさんが料理をする回想シーン。


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別の回想では、木原一家の朝食風景。


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学者先生へのお・も・て・な・しの食卓もありました。

こうした、食事(あるいは料理)描写へのこだわりは、岡田麿里の過去に担当した作品でも随所に見られましたが(『true tears』でのぶり大根および鶏の唐揚げ、『とらドラ!』でのトンカツ、『フラクタル』での豆スープなど)、食事とは、常に「排泄」と対になっているものです。
「食べたら出す」というのは生き物にとってなくてはならない大切なサイクルですが――たとえば、死期が近づいている(らしい?)おじいちゃんは「食欲がない」「味がうすい」などと言って食事を残しており、一方で、回想シーンにおいて、新たな生命の誕生を待つあかりさんと美海が楽しげに食事をつくる場面が描かれる、という対比がなされていたりもします――これらの食事シーンは、単にフード理論的な演出表現として描かれているのではなく、「食事」によって「排泄」という対概念を想起させることで、視聴者に「肛門」の存在をつよく意識させるためのものだと考えられます。


3.ここで少し視点を変えて、ちさきと紡の関係を考えてみましょう。
多くの視聴者は「若い男女(それも、エロい身体の雌とクールで優しいイケメン)が5年間も一つ屋根の下で暮らしてナニもないはずがない」と疑問に感じておられると思います。まったくその通りで、第14話の後半、ちさきが木原家に拾われてから徐々に打ち解けていくまでがダイジェストで流れます。

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失意に沈むちさき。


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それを見守る紡。


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朝チュン。


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先ほども挙げた朝食風景(少し笑顔を取り戻している)。


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漁に出る紡。


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雄々しく勃起する男根。


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男根の根本で手を振るちさきは満面の笑みです。

これらの光景から、ちさきと紡は滅茶苦茶セックスしていると推測できます。
ただし、通常考えうるセックスとは少し違います。そうです、ここでもアナルセックスがおこなわれていました。
一つには、ちさきは光に好意を持っており、出来ることなら彼にこそ処女膜を破って欲しいと思っています。だから、膣への挿入はどうしても避けたい。
もちろん紡もそれはわかっており、しかもいいヤツなので、そこまでのことを求めようとはしません。
導き出される結論は、アナルですよね。

加えて、続く第15話(この回も岡田麿里脚本でした)のこのシーン。

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ハサミを取りにちさきの部屋へ行った紡が、ノックもせずにドアを開け、お着替え中のちさきを目撃してしまうという場面です。(このあとティッシュ箱でオナフィッシュを制作したのかどうかは分かりません。)
ここでは、「帰っていたことに気付かなかった」と、もっともらしい言い訳をしていますが、この言い訳はちさきに対してというよりは、むしろ視聴者へのミスリードを促すためのものでしょう。なぜなら、帰っていることに気付いていようがいまいが、女性の部屋を開ける際にはまずノックをするのがシンシの嗜みであり(便所のドアはその限りではない)、逆にノックもせずに無造作に開け放つことができるのは、紡がこの部屋を定期的に開け閉めしている(=定期的に夜這いに来ている)証左であると言えるからです。「開け慣れている」といえば分かりやすいでしょうか。
そして、このとき、ちさきから「どうだった?」と聞かれています。「あの頃と変わった?」と。

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それに対して紡は、「あの頃は見たことないから。わからない」と答えます。
このやりとり、不可解ですよね。このときの質問者の前提は「見られたことがあるはずだ(=見られるような状況になった記憶がある)」という具合でしょうか。一方、回答者のほうには「見たことがない(=見た記憶がない)」という前提があります。
つまり、前提となる記憶に齟齬があるため、同じ一つの事象に対して認識の違いが発生しているわけです。
これ、正確には恐らく「あの時と変わった?」「あの時は見えなかった」ということなんだと思います。紡視点で考えると、正しくは「見たことがない」のではなく「見えなかった」のです。だから、「見られたことがある」という前提と「見たことがない」という回答に食い違いが生まれたと。
では、なぜそのような認識の齟齬が発生したのでしょう。考えられるのは「滅茶苦茶セックスしたときにちさきの側には見られたという認識があったが、実際には紡からは見えていなかった。なぜなら背後からアナルに突っ込んでいたからだ」という可能性です。
ちさきは5年前(1クール目)の時点でも既にエロい雌の身体をしており、男子どもからジロジロと性的な目で見られ続けてきました。だから、他人の視線に敏感になっていた。ゆえに、バックからのアナルセックスの最中にも、とうぜん(全てを)見られているものだと思いこんでいたわけです。ところが実際には、バックから責めていた紡からは背中ぐらいしか見えていなかったと。
さらに、この問答のあと、紡は思い直し、ちさきに対して「変わった」と告げます。無論それは、自らが拡げたアナルのことを指しています。「以前よりも綺麗になった」すなわち、日常的にアナルセックスをするようになったため、より丹念に洗浄するようになったということです。
以上のことから、いま現在、ちさきのアナルはガバガバであると断言します。

そして特筆すべきはこの第15話のラスト、光と再開するシーン。ここでは「変わっちゃって(アナルを開発されちゃって)ごめん」と告げるちさきに対し、光から「お前ぜんぜん変わんなくて(処女膜はキープされていて)安心した!」との所見が述べられます。
そうです、昔からの幼なじみであった光には、ちさきの処女膜から声が出ていることがちゃんと感じ取れたわけです。アナルはガバガバであっても処女膜だけは守り通す、幼なじみの絆が描かれた、感動的な場面であるとともに、紡と光の、それぞれの「見た/感じた」ものが対比された優れた演出でした。

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なお、光の鋭敏な嗅覚は第一話の時点で既に示されており(潮のにおい、ブタ臭い、など)、そんな光と親戚関係にある晃もまた、優れた嗅覚によってちさきのアナルが開発されていることを感じ取ったものだと思われます。それゆえの、カンチョー。


4.このように、ここまで色々と述べてきましたが、この作品がアナル拡張アニメすなわち「アナニメーション」であることは明白であり、それはたぶん、岡田麿里シリーズ構成で昨年には劇場版も公開された人気アニメのコイツとも無関係ではありません。

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「あなる」という名前には、その本人よりもむしろ、「めんまの中の人」に「あなる!あなる!」と発声させることにこそ意義があったものだというのは羞恥の事実です。もう何ヶ月も前から伏線は張られていたわけです。


5.そもそもですよ、われわれは何よりもまず『凪のASSから』というタイトルの時点で、この作品がアナニメーションであることに気づいておくべきでした。
無邪気にも「これはダッチワイフアニメだ!」なんて言っていた自分が恥ずかしい。
2013年秋期新作アニメレビュー 『凪のあすから』

もちろん、まなかは相変わらず海の底ですし、まだすべてが明らかになったわけではありませんので、「産み神様」の正体とともに注意深く見守っていく必要があります。
事実、アナルセックスと平行して「妊娠・出産」というテーマも克明に描かれており、この作品はもしかしたら現代における処女膜信仰へのカウンターたり得るのかもしれません。

以上。






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